第13話 アンナの職場

 王都の日が暮れていく。

 入り組んだ建物の間に、夜の闇が立ちこめていく。

 メリルの開発した魔導器を使った街灯が、明かりを放っていた。


「父上。すみませんが、アンナのことを迎えに行って貰えませんか? きっと、アンナも喜ぶと思いますから」

「ああ。分かった」


 俺はエルザの頼みを了承すると、アンナを迎えに行くことに。

 家を出ると、住宅街を抜け、大通りにある冒険者ギルドへ。

 しばらく歩くと役所のような立派な建物が見えてくる。

 ここが冒険者ギルドの本拠地。

 俺もかつてはこの場所に通い詰めていた。

 冒険者になった十四歳の頃から、引退した十七歳までの三年間、俺はここにずっといたような記憶しかない。


 ――足を踏み入れるのは十八年ぶりになるか……。


 両開きの扉を開け放ち、室内へ。

 景観はほとんど変わっていない。

 中央には依頼書の貼られた巨大な掲示板が設置されており、冒険者はこの中から依頼を選んで奥の受付に持っていく。

 受付にはギルドの受付嬢が常駐していて、依頼書を持っていくと、ランクや適正などの審査を経て受理して貰える。

 受付嬢から直接任務の依頼を勧められることもある。

 ギルド内の手前のスペースや二階は酒場となっており、任務前の作戦会議や、任務達成後の打ち上げなどに使用される。


 ――見れば見るほど、懐かしさが込み上げてくるな。


 アンナの姿は……見当たらない。表にはいないのだろうか? 書類を運んでいた受付嬢に声を掛けてみることに。


「すまない。ちょっといいかな」

「はい。何でしょう?」

「アンナはいるかな。ギルドマスターの」

「アンナさんなら、今は奥の部屋で作業してらっしゃいますよ。何かご用があるなら私が代わりに承りますけど」

「いや。仕事で来たわけじゃないんだ。アンナを迎えにきただけで」

「迎えに来た……はっ!」


 受付嬢は何かに気づいたかのように目を見開いた。

 口元に手を宛がう。


「あなたはもしかして――アンナさんの恋人さんですかっ!?」


 ――えっ?

 予想外の推測に、俺は思わずずっこけそうになる。


「アンナさんってば、いつの間に恋人を……。しかもこんな素敵な大人の人を! あの人も隅に置けませんね!」

 受付嬢は「きゃー!」と一人盛り上がっていた。


「あの……俺はアンナの恋人ってわけじゃなくて。俺は父親なんだ。今日から王都に住むことになった」

「えっ? アンナさんのお父さんですか?」


 俺が頷くと、受付嬢は口を開いた。


「へーっ。あなたが噂のカイゼルさんですか」

「噂の? どういうこと?」

「アンナさんが以前、話してくれたんです。私のパパはしっかり者で、とても頼りがいのある強くて素敵な人なんだって。冒険者ギルド始まって以来のスピード出世で天才と呼ばれているアンナさんがそこまで言う人ですから。きっと、凄いお父さんなんだろうって皆で噂してたんですよ」


 受付嬢はニマニマと目を細めていた。


「なので、お会いできて光栄です。ふーん。へーえ」

「なぜジロジロと見るんだい?」

「カイゼルさん。噂に違わず、素敵な人ですねっ。若々しくて格好良い! 私のぽっこりお腹のお父さんとは大違いです!」

「はは……」

「でも、あまりアンナさんとは似てませんね」

「――っ」


 俺はその言葉を聞いて心臓が止まりそうになった。

 俺とアンナは似ていない――。

 当たり前のことだ。

 なぜなら、俺とアンナは血の繋がりのある本当の親子ではないから。


「あ。美男美女ってところは似てますけど。いいなー。お母さんもきっと、とても綺麗な人なんだろうなあー」


 受付嬢はうっとりとした表情を浮かべていた。

 アンナの本当の母親……か。もう俺がお目に掛かることは出来ないが。受付嬢の彼女の言う通り美人なのだろう。 


「どういうことだ! おらぁ!」


 ギルド中に響き渡るような怒鳴り声がした。

 見ると、冒険者と見られる屈強な男が、受付嬢に詰め寄っていた。禿頭のその男のこめかみには青筋が浮いている。

 何やらご立腹しているようだ。


「ガルドさん。ですから。先ほどご説明した通りです」

「納得できねえって言ってんだ! おらっ! 責任者を出せ! 責任者を! お前みたいな下っ端だと話にならねえ!」


 ドンッ!

 ガルドと呼ばれた冒険者の男は――勢いよく受付を拳で叩いた。

 受付嬢は悲鳴を上げると引っ込んでいった。


「ガルドさん。どうかされました?」


 奥の扉から姿を現したのは――アンナだった。

 結んだおさげの髪を、左肩から垂らしている。

 四年前よりぐっと大人っぽくなり、知性の溢れる美貌をしていた。

 身を包んだ制服は、受付嬢たちのものよりも高級感がある。さすがはギルドマスターといったところだろうか。


「どうしたもこうしたもねえよッ! 何で俺はこの任務を受けられないんだよ! 割りのいい仕事だってのに!」

「はあ……」


 アンナは依頼書に目を通すと、ガルドに向かって言った。


「簡単な話ですよ。あなた、まだBランク冒険者でしょう? この依頼はAランク以上の冒険者にのみ開放しています」

「だったら、俺をさっさとAランクに上げろ!」

「それは出来ません。規定ですから。それに私としては、ガルドさんがこの依頼を受けるのはオススメできませんね」

「どうしてだ」

「あなたの今の実力ではきっと、依頼をこなせないでしょうから。死ぬと分かっている人を送り出すわけにはいきません」

「――っ!」


 ガルドは目をかっと見開いた。


「てめえ! オレ様のことをバカにしてるのか!」

「はあ……。実力の伴わない人に限って、自分を過大評価したがるのよね。死なせた責任はこっちに来るのに……」


 アンナは面倒くさそうに溜息をついた。

 その時、彼女の視線が俺を捉えた。

 すると、口元に薄い笑みが広がっていった。


「じゃあ、こうしましょう」


 アンナは指を立てると言った。


「あなたがそこにいる方と腕相撲をして、もし勝つことができれば、その時は今回の任務を受注させてあげます」

「ああ? なんだこいつは」

「彼はAランク冒険者です。冒険者稼業からは十八年前に足を洗っています。かなりのブランクがあるわけです。そんな彼に力勝負で負けてしまうようなら、あなたはまだ任務を受けるには力不足です」

「……俺が勝ったら、任務を受けさせてくれるんだな?」

「ええ。二言はありません」


 アンナが頷くと、ガルドは満足気に鼻を鳴らした。


「いいだろう。――おい! お前! 今、この小娘が言った通りだ! オレ様の踏み台として腕相撲で勝負して貰うぜ!」

「おいおい……」


 知らない間に、知らない相手と戦うことが決まっていた。


「ごめん。パパ。軽く一ひねりしちゃって」


 アンナが俺の元に来ると、謝りながらそう囁いてきた。


 ……まあ、愛する娘のお願いとあらば聞かないわけにはいかないか。


 それにこの男はアンナの業務を邪魔して困らせている。

 なら、戦う理由は十分だ。


「分かった。この勝負、受けよう」

「そうこなくっちゃなあ。……言っておくが、手加減はしないぜ。二度とその腕を使えないようにしてやるよ」

「はは。お手柔らかに頼むよ」


 俺たちは酒樽を挟んで向かい合うと、互いに手を組み合った。


「では――始めっ!」

「はあっ!」


 俺は開始と共に全力の力を込めて、ガルドの腕を引き倒した。

 酒樽がバラバラに砕け散る。

 ガルドは腕だけではなく、身体ごと床に叩きつけられた。


「ぐあああああああっ!?」


 悲鳴を上げながら、床の上を転げ回っている。

 その腕はあらぬ方向に曲がっていた。


「はい。勝負ありっと。――これで分かったでしょ? あなたはまだ、Aランク冒険者には遠く及ばないって」


 アンナはもんどり打つガルドを見て、苦笑する。


「……って、聞いてないか」


 ☆


「パパ。ありがとね。助かっちゃった」

「それは構わないが……。俺が負けたらどうするつもりだったんだ? Aランクとは言え十八年もブランクがあったんだし」

「え? そんなこと考えなかったけど」


 アンナはきょとんとした顔で言った。


「パパは世界一強いんだもの。負けるわけないじゃない」


 凄い信頼だ。


「一応、聞いておくけど。それはギルドマスターとしての慧眼なのか? それとも愛娘としての贔屓目なのか?」

「ふふ。どっちもよ」


 アンナはいたずらっぽく微笑んでいた。

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