3. 誘惑の日々

 桜梅学園高等部に入学してから三か月。

 七月初旬、本格的な夏が始まろうとしている季節。


 俺は学校から帰宅後、キッチンで夕飯の準備をしていた。


「どうしてこうなった」


 ほうれん草の和え物の準備が終わりこれからメイン料理へと取り掛かろうと思った時、見ないようにしていた光景が目に入ってしまい、恒例の台詞を思わずつぶやいてしまった。


「……とかどうかしら?」

「いいねいいね……もありじゃない?」

「もっと積極的にやるべきですぅ」


 リビングの机を囲ってヒソヒソ話をする三人娘。

 もちろんレオーネ桜梅の寮生達だ。


 つーかお前ら期末テスト対策の勉強会をする体で集まってるんだろ。

 ここのところ毎日のように同じ理由で集まりながらも勉強していないので勉強会がただの名目で嘘ってのは知っているけれど、だとしても勉強するそぶりくらい見せろよ。


 教科書開けよ氷見。

 いや、それより教科書もってこいよ禅優寺。


 あと、ひそひそ話をするなら俺に聞こえないようにもっと配慮しろよ!


 決して俺とは関わる事が無いはずの三人娘は、普通に、いや、普通以上に・・・・・関わるようになっていた。


「自分のせいだから帰れとも言いにくいし、はぁ……やっちまったなぁ」


 原因は分かっている。

 ひょんなことから俺が彼女達にちょっとした・・・・・・おせっかい・・・・・をしてしまったからだ。


 俺は鈍感では無いから、そのおせっかいにより、最底辺だった好感度が反転し、逆に上限突破していることにもちろん気付いている。


 気付いてはいるのだが、俺は彼女達の想いに答える気はない。

 女子寮の寮父というややこしい立場だからとかではなく、単純に好みの問題だ。


 目下の悩みは、彼女達が異常なまでにアプローチしてくること。

 全てスルーしているので俺にその気が無いことは分かっているはずなのだが、諦める様子が全く無い。

 かといってはっきりと告白されたわけでも無いのに先手をとって断るのは変だしなぁ。

 彼女達もそれが分かっていて敢えて告白せずに俺を堕とすことに注力しているようだし。


 贅沢な悩みと罵られるだろうが、どうすりゃいいんだよ。

 同じ屋根の下にいるから逃げ場がない。


「玲央、ちょっといい?」


 なんて悩みながら料理をしていたら氷見に声をかけられた。


「……」


 リビングの方を見ると、氷見はこちらを向いて片膝を立ててソファーに座っていた。

 夏だからか服装は全体的に薄手であり、短いスカートを履いている。

 俺の位置からだとやや遠いが、異性に見せてはならない部分がはっきりと見えていた。


 俺を堕とす為に狙ってやっているのだろうが、顔が真っ赤だぞ。


 学園では氷帝だなんて言われているが、炎帝の間違いではないかと思える程に照れている。

 そんなに恥ずかしいならやるなよな。


 なお、氷帝と呼ばれている理由は、近づきがたい程の美人さと、クールさと、そして何よりも男子生徒に対して絶対零度の視線を向けて殺しにかかることによるものだ。

 俺も初対面で喰らったことがあるから、納得の二つ名である。


 今の氷見の様子をクラスメイト達が見たら、別人だと思うかもしれないな。


「何か用でしょうか。氷見さん」

「え?」


 俺は何も無かったかのように、普通に氷見に返事をした。


 氷見は全く動揺するそぶりを見せない俺の態度に困惑しているようだ。

 照れたり戸惑ったり表情がコロコロ変わってちょっと面白い。

 クールさは何処行った!


 ちなみに、俺の反応が淡白なのには理由がある。


 女子高生の生パン?


 はっ、こちとら下着程度見慣れてるんだよ。

 あのクソ姉貴のせいでな!


『お姉……ちゃん、またそんな恰好して。風邪ひくぞ?』

『平気平気、あ、玲央ビールとってきて』

『完全におっさんじゃん』

『こんな美人を相手に失礼な……よし!いけー!回れ回れー!』

『ほんと、完全におっさんだよ』


 下着姿でビール片手に野球観戦している姉貴がリビングを占領しているのが、我が家の日常だった。


 見た目だけは抜群の美人のあられもない姿を見慣れている俺にとって、下着を見せつけられても効果は薄い。


「何も無いのなら夕飯の支度に戻りますね」


 用事なんて無くて誘惑する目的で声をかけただけだと分かっている俺は、すぐに氷見に背中を向けた。

 はぁ、つまらないものを見てしまった。


「嘘でしょ。JKの生下着に興味が無いなんて」


 氷見の呟きが聞こえて来たが、少し違うな。

 俺だって別に枯れている訳ではない。

 興味はあるが、相手とやり方が悪い。


 こういうのは見えそうで見えないのが良いんだよ。

 仮に見えたとしても、恥じらいによって慌てて隠さなきゃダメだ。

 いくら照れてようが堂々と見せてきたら、あのクソ姉貴が脳裏にチラついて萎えてしまう。


 俺の好みを全く分かってないな。


「しかも路傍の石を見るかのような眼で見られた……あふぅん」


 ん、なんか今、最後に変な言葉が聞こえて来たような。

 いや、考えるな。気にしたらダメだと俺の中の何かが警鐘を鳴らしている。

 料理に集中しよう。




 今日のメイン料理はトンカツだ。

 カツを揚げる前に付け合わせのキャベツの千切りを作っておこう。

 まな板の上にキャベツをセットして右手で包丁を手にした時、俺の左腕が柔らかなナニカに包まれた。


「レオっち、手伝おっか」


 今度は禅優寺か。

 キャベツを抑えようとした左腕をがっちりとホールドし、ふくよかなアレに押し付けている。

 肌着ではないかと思えるくらいに薄手であるため、下着の感触や彼女の肌の熱がしっかりと伝わって来る。


 更には挑戦的な笑みを浮かべてあざとく上目遣いしてくる。

 氷見と同じく俺の動揺を誘っているのだろう。


 禅優寺は三人娘の中で唯一俺と同じクラスだ。

 生粋の陽キャで、一か月も経たずにクラスのカーストトップに君臨する。

 誰にも分け隔てなく相手に合わせた適度な距離感で接するため、彼女の事を否定的に感じる人は一人もいない。

 俺を除いて、だが。


 他のクラスとの交流もあるみたいだし、見た目の可愛らしさから男子生徒からの人気はかなり高い。

 このままいけば、いずれは学園のアイドル的存在になりそうだ。


「……ふっ」

「鼻で笑われた!?」


 そんなアイドルに『あててんのよ』攻撃を喰らったのだが、ぶっちゃけ効果など無いに等しい。


 当然理由はあのクソ姉貴だ。


『れーおー! おふろいっしょにはいろー!』

『うわ、酒臭! 危ないから風呂はダメ!』

『いいじゃ~ん、れおがいるからだいじょうぶ~』

『何も大丈夫じゃないから。ほら、服着て』

『ぐぐぐ、よくじょうした?』

『するか!』

『そんなこといって、ほんとはさわりたいんでしょ~ほらほら~』

『おいこら、胸を揉ませようとするな』

『やん』

『似合わねー』

『ほらほら、もんでいいぜ~。それともれおはしりのほうがすきか?』

『はぁ……ダメだこいつ……』


 酔っぱらった姉貴は突然リビングで全裸になって風呂に入ろうとする。

 その途中で俺を見つけると、俺に卑猥なことをさせようとしてくるんだよ……


 生乳何度も揉んだことありますが。

 生尻何度も揉んだことありますが。

 秘密の花園もフルオープンで見たことありますが。


 お陰様で興味ない相手・・・・・・だと衣服越しに胸を触った程度じゃ興奮しねーよ!


 ちなみに、姉貴はこの時の事を隠し撮りして、俺の脅しに使っている。

 姉の生乳を揉んでいる写真なんて公開されたら俺の人生終わりだ。

 くそぅ、なんとか回収できないだろうか。

 このままでは一生姉貴に逆らえん!


 とまぁそんなこともあり、意を決して迫ったのに効果が無いどころか鼻で笑われたので禅優寺は戸惑っている。

 尤も、今回はスルーではなく、別の意味で反応しなければならないけどな。


 俺は右手に持つ包丁を置いて禅優寺の方に体を向けた。


「包丁を持っている時と、火を使っている時は接触禁止と言いましたよね」

「ひぃっ! ご、ごめん!」


 俺は声に怒気を少し籠め、禅優寺を軽く叱った。


 まったく、真っ赤に染まった千切りキャベツでも食べたいのだろうか。

 寮父や同級生というのは関係なく、人として叱らなければならない危険な行為だったのではっきりと言う。


 俺が戸惑うどころか怒られたことで禅優寺はしゅんとしてしまった。


「これから油を使いますから離れていてください。お手伝いならお皿を出してくれると助かります」

「あ……うん……」


 ふぅ、ようやく距離を取ってくれた。

 叱ってしょぼんとさせるのは苦手なんだよ。

 でも大惨事になってからでは遅いからここは心を鬼にしないと。


 さて、千切り千切りっと。


「羨ましい」


 氷見が禅優寺の様子を見て何かを漏らした。

 あーあーきーこーえーなーいー




 無事に夕飯を作り終えてダイニングテーブルに四人で着く。

 テーブルの上には俺が作った料理が並べられている。


『いただきます』


 ここからは戦場だ。

 三人とも必死になって夕飯を貪っている。

 その姿はまるで体育会系男子のように鬼気迫るものがある。


 別に俺のイメージを押し付けるつもりはないが、こいつら本当に女子だよな?


「「「おかわり!」」」

「はいよ」


 そんなに食べて体重は大丈夫なのだろうか、とは怖くて聞けない。

 それに俺の料理を美味しいと思って貰えているのだから、正直ちょっと嬉しい。


 しばらくして野獣たちがレディに戻ると、ようやく会話が始まる。

 大抵は他愛も無い世間話であり、今日も授業やクラスの話題で和やかな空気が漂っていたのだが、唐突にある人物がぶっこんできた。


「そうだ、春日さん」

「何でしょうか?」


 この三か月で、栗林とも無事に話が出来るようになっていた。

 普段は変わらず前髪で目線を隠しているけれども、何故か寮にいる時は髪留めを使って前髪を避け、顔がはっきりと見えるようにしている。


 かなりの小顔で可愛らしさ極振りタイプだ。素顔を晒せば間違いなく男子から人気が出るだろうに、勿体ない。まぁそれが嫌なのかもしれないが。


「今日の洗濯物……あの……ええと」

「?」


 歯切れが悪いな。


 ちなみに彼女達は何をトチ狂ったのか、洗濯も俺に任せている。

 寮のサービスではあるが、同世代の男に自分の使用済み衣服を渡すとか正気ではない。


「いつもと違うのもあるので……気を付けて下さい」


 いつもと違うもの?

 ああ、そういうことか。

 氷見と禅優寺も気付いたようだな。


「まさかアレを出しちゃったの!?」

「うさぴょんやるぅ~!」

「あ、あはは」


 アレねぇ……

 俺は別に構わないが、色々な意味で終わっていると思うが良いのだろうか。


「下着出すのは良いですが、汚れてたらちゃんと仕分けしといてくださいね」

「「「え?」」」


 三人娘が驚いた表情でこっちを見ている。

 洗濯物でいつも出してないのって言ったら下着くらいしか思いつかないだろ。

 当てて当然だ。


「まさかJKの使用済み下着を汚物扱いするなんて」

「レオっち、動揺しないにも程があるよ?」


 ああなんだ、そっちのことか。

 てっきりぼかしたのを当てたことを驚かれたのかと思った。


「慣れてますから」

「「「え?」」」


 女性下着を洗い慣れている男子高校生。

 ははっ、驚くのも無理はないか。


「他意は無く、下着は汚れるものです。特に生理の場合に経血が付着することもありますよね。以前にもお伝えしましたが、他の洗濯物へ汚れがつかないように汚れが酷いものは別に分けておいてください」


 下着の場合は洗い方に気を遣う物もあるんだよなぁ。

 流石に姉貴みたいに高級ランジェリーを着てるってことは無いと思うけれど。


 そう、俺が女性服の洗濯に詳しいのも、もちろんクソ姉貴のせいだ。


『玲央これ洗っといて』

『うわ、これは酷い』

『それ高かったんだから、元通りにしろよな』

『そんな高いの、生理が酷い日に穿かないでよ。穿いたとしても血がつかないように気を使って!』

『嫌よ面倒臭い。それに私モデルだから、見られても良いようにどんな時でも良いものを身に付けなきゃ』

『ショーツ見せるようないかがわしいモデルやってるの?』

『あはは、見たらぶっ殺す』

『俺にもその態度でいて欲しいんだけど』

『嫌よ面倒臭い』

『面倒臭い事してくれよ……』


 姉貴のショーツは生理とか関係なくいつもマジで汚かったからな。

 あんなの毎日のように見せられたら女性の下着見てもエロい気持ちになんかなりゃしない。


「せ、生理ってあんた……」

「レオっちって中身女でしょ」

「手ごわすぎですぅ」


 異星人を見るかのような眼で見てきやがる。

 どうせならそのまま百年の恋も冷めてくれませんかね。

 俺は君達とはもっと距離を開けて適度な他人でありたいんだけど。


 そうだ、この話の流れなら少しだけお説教しても変じゃないよな。

 嫌われるかも知れないけれど、初対面の時程酷くはならないだろ。


「せっかくの機会だから皆さんにお伝えしておくことがございます」


 ああ、違う違う。

 こうじゃなかった。


「寮父としてではなく、同級生の男子生徒として言わせて頂きます」


 俺は彼女達と適切な距離を保つため、寮では寮父としての態度で接している。

 丁寧な言葉遣いなのはそれが理由だ。


 だけどこれから言う内容はもっと身近な相手に言われた感がある方が効くだろうから、今だけは例外的に男子高校生に戻る。


「最近のみんな、年頃の女の子としてどうかと思うよ」

「「「……」」」


「色々と言いたいことはあるけれど、一言で言うと『はしたない』」

「「「……」」」


「今回も、自分の下着を洗ってもらうとか、狂気の沙汰としか思えない」

「「「……」」」


 三人は俯いてしまったか。

 予想通りかなり効いてるね。

 少なからず想いを寄せている相手から、暗に『きもい』と言われたようなものだから。


 でも本当にどうかと思うよ。


 いくらなんでもこんなはしたないままで世の中に出したら、レオーネ桜梅で寮父に何かされたせいだ、なんてあらぬ疑いをかけられるかもしれない。

 これで少しは年頃のレディらしい振る舞いに戻ってくれたら良いんだけれど……


 まぁ、俺の期待なんていつも裏切られるんですけどね!


「でも私達の面倒をみるのが寮父さんのお仕事ですよね」

「それは少し違」

「洗濯も寮のサービスだから何も問題無いはずですぅ」

「確かにそうだけ」

「じゃあこれからもよろしくお願いします!」

「……」


 つよい。


 栗林は出会った時こそ最弱メンタルの持ち主に見えたが、実は一番の強者つわものだった。俺が彼女達に生活態度を見直すように何度となく伝えても、強行突破して来る。


 ある意味、一番姉貴に近い考え方をしている人だ。

 強請ネタを提供でもしようものなら、一生俺を便利屋として使いそうでマジ怖い。


 結局、栗林の行動力にあてられて、他の二人も下着を洗濯物として出してきやがった。

 俺がソレらを洗濯してるなんて外部にバレたら……


 平和な高校生活はどこいったああああああああ!

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