後妻という道【マージョリー視点】
青白い肌にこけた頬。ひとつ年上のはずなのにわたくしよりも体が細くて小さくて、なんだか薄気味悪い王子だと思った。
その人はこの国の第3王子。だけどわたくしは否定した。わたくしの理想とする王子様は、王太子殿下、もしくは第2王子殿下のような方々。間違ってもあのような骸骨ではない。
いつ死ぬかわからない体の弱い第3王子。誰にも期待されない王子に近づいても時間と労力の無駄だとお父様もお母様もお兄様も言っていた。
だから王子から握手を求められたときも拒絶した。触った部分から悪い病にかかりそうだったから触りたくなかったのだ。
そのことで小言を言ってくる格下の伯爵家の娘がいたけど、無視した。存在感のない王子へ愛想振りまいたところでどうなるというのか。そんな無駄なこと誰か好んでするものか。
それからしばらくして、病状が悪化した第3王子が療養のために地方に引っ込んだと聞いたときはとうとう死ぬのかと思った。
ただそれだけ。興味がなかった。
周りだってそうだ。存在感がない第3王子のことなんかすぐに忘れた。
◇◇◇◇◇
家が転落し始めたのはいつからだろう。
お父様が投機に失敗し、賭博に溺れ、お母様は宝石やドレスを買いあさって散財する。
そしてそれが普通だと思っていたわたくしも兄も親と同じことをして、家計が火の車になっていると気づいたときにはもう手の施しようがないほど、我が家は多額の負債を抱えていた。
最初は領内の税を引き上げればすぐに取り戻せるだろうと思った。
だけどそれができたのは最初の数年だけで、そのうち国の税務長官から監査指導が入った。
国の法律で各領地内の税収は上限があるから、現状の税はとりすぎだ。とりすぎた分は領民へ返還するようにと厳重注意されたのだ。
そんなこと言われても、今まで徴収してきた税は使ってしまった。
長年の贅沢に慣れてしまったわたくしたちは節約の仕方なんかわからず、前と変わらない生活を繰り返していたのだ。
そのせいか散財一家と貴族の間で不名誉な噂を立てられた。
別に無駄遣いしているわけじゃない。周りと同じように流行の最先端に立つために美を競っているだけ。
貴族が労働をするのはみっともない事との先人の教えを守ってきただけのこと。
それなのに悪名だけが独り歩きして、わたくしも兄もいい縁談に恵まれなかった。
進行していた縁談は破談になり仕方なく、他の身分がつりあう家にも縁談を持ちかけてみるも、既に決まっているから、せっかくのお話ですがと断られる始末だ。
兄はともかく、わたくしは早く結婚相手を探さなきゃなのにと内心焦っていると、お父様が良縁だと言って縁談話を持ってきた。
『喜べ、マージョリー。ボーナム子爵との縁談を結んできたぞ』
父の言葉にわたくしは二重の衝撃を受けた。
まずひとつは、侯爵家の娘であるわたくしが格下の子爵。しかも子爵家の中でも更に下の家格になるボーナム子爵家に嫁げというのだ。
そしてふたつめは、子爵は十数年前に奥方を亡くしている。更に跡継ぎとなる子供もいる。
20も年が離れている子持ちの男に嫁げと言われたわたくしは当然大反発した。
しかしこれは決まったことなのだという。
あちらの莫大な資産で援助してもらう代わりに、侯爵家の高貴なる娘を嫁がせる取引なのだと。
渋々、嫁ぐ予定のボーナム子爵に顔合わせという形で会いに行くと、わたくしは新たな事実を知った。
「マージョリー嬢、こんなおじさんの元へ嫁ぐことはあなたも望んでいないと思う。これは援助を目的とした契約だ。私達の関係は白い結婚として、あなたも同じ年頃のお相手を見つけて囲うといい。もちろん君は屋敷の女主人だ。子爵夫人として尊重することは約束するよ」
形式に従って挨拶をした後に言われたのはそんな言葉だった。
最初から違和感があったのだ。若く美しい娘が嫁ぐ事になったというのに全く喜んだ様子が無い。それは子爵だけでなく、使用人もで、わたくしを出迎えた屋敷全体がどこか沈んだ様子だったのだ。
「後継ぎは亡くなった妻との間に生まれた正統な後継ぎがいるから心配いらない。今年12歳になる。妻が命懸けで産んでくれた一粒種だ……入ってきなさい」
そう言って子爵は軽く開かれた扉の向こうにいる誰かに声をかけた。
「失礼いたします」
入ってきたのは11、12くらいの少年と、彼の肩を抱いて支えている30代前半くらいの女だ。
最初は子爵の息子の家庭教師か何かと思った。
子爵と結婚したら義息子になる少年はわたくしを見て邪魔者を見るかのような生意気な視線を飛ばしてきた。
「坊ちゃま、この方は坊ちゃまのお母様になられる御方ですよ、ご挨拶を」
後ろの女が窘めると、少年はふて腐れたような顔をした。
「なんでこの人を母上と呼ばなくてはならないのですか。僕の母上は亡くなった母とセイラだけです!」
「坊ちゃま……」
少年の言葉に息を呑んで感激したように涙ぐんだのは後ろの女だった。
子爵は座っていたソファから立ち上がると、目元を抑える女の腰に腕を回して親密そうに密着していた。
わたくしはそれを見て、まさかと思った。
あぁ、そうか。この男がこれまですっと後妻を迎えていなかった理由は。
──相手には長年の愛人がいたのだ。
「旦那さま……」
「この子が君を母と慕うのは君が母親代わりに真摯に向き合って、大切に育ててくれたおかげだ。亡くなった妻もきっと君に感謝しているはずだよ」
妻亡き後、子息の母親代わりをしたのがこの女なのだとすぐに悟った。
「お亡くなりになった奥様とあなたの大切なお子様ですもの。私にとっても息子同然です」
子爵の愛人は健気な態度を見せた。
そんな姿がいじらしくて愛おしくてたまらないとばかりに子爵は甘い微笑みを愛人に向けていた。
……人前なのにいい年して恥ずかしくないのかしら。
この女も何なの。愛人という賎しい立場の癖に。
だけど、こっちが金銭援助を求めて持ちかけた婚姻話なのであまりきつく言えなかった。そもそも貴族男性の浮気や愛人は嗜みの一つだからだ。
どこからか聞かされた噂によると、出産により妻を亡くして悲嘆にくれていた男を支えたのが、元メイドだった現在の愛人だった。
彼女は弱々しい赤子を放置できずに育児面に口出しするようになり、献身的に赤子の育児に携わった。
父親である子爵とちょっとした衝突もありながらも、育児をしていく中でふたりは惹かれ合う。彼らは正統な跡取りの地位を奪わぬよう、子供を作らないという誓いを立てて愛人関係になったのだという。
亡き妻の実家は当初、愛人の存在に渋い顔していたが、忘れ形見の孫が元メイドの愛人に懐いて母と慕っている姿を見て考え直したのだそうだ。
身分が理由で一緒にはなれないふたり。元メイドは自分が愛人であると言う立場を忘れず、一歩引いて身を弁えていた。
愛人という立場ではあるが、彼女の献身的な態度をこの屋敷の使用人や領民たちは好意的に見ていた。彼女がいることで、子爵は安らげる存在ができたし、子息はすくすく健やかに育った。
子爵親子が大変なときに身を削って支えになった愛人は確固たる位置に立っていた。
ここに割って入ってきた邪魔者はわたくしだ。
わたくしは歓迎されていないのだ。
子爵家の潤沢な財産と引き換えに娘を嫁にやるという取引。
断ろうにも身分が上の候爵家に逆らえず、権力に押される形で縁談をまとめられてしまった子爵もまた被害者だった。
居場所なんてこの屋敷の何処にもないのだと知らされたわたくしは嘆きたくなった。
20も年上の男と結婚なんて、抱かれるなんて真っ平ゴメンだと思っていた。しかし妻という地位を持っただけの存在として蔑ろにされることは願っていなかったのに。
惨めだ。あぁ惨めだ。
このまま黙って家のために犠牲になってやるものか。
わたくしはお兄様に泣きついた。
するとお兄様から今度第3王子の花嫁を占いで決める儀式が行われると教えてもらった。
あの王子と会ったのは10年以上も前のこと。あのお茶会が最後だ。
あの日握手を拒んだ第3王子は見違えるように美しく逞しく成長した。寄宿学校時代から徐々に力をつけていき、人脈や財力を身に着け、次期公爵になることが約束されている。
今ならあの王子の手を拒まない。幼い頃のことなんて相手も覚えていないだろう。
後妻としてお飾り子爵夫人になるより、公爵夫人として愛される方がいいに決まっている。彼は事業を成功させて、個人資産をたんまり隠し持っていると聞く。
花嫁選出の儀のとき、もしかしたらと期待していた。わたくしは王子の妻としてふさわしい侯爵家の娘。
どうせ貴族の中から選出されるんだ。それなら選ばれる確率があると思って期待した選出の儀。
選ばれたのはあの平民娘だった。
ただ、平民と言うには美しすぎる娘だった。男爵の姪だというその娘は、過去に社交界の花だと呼ばれた美女の血縁なのだという。
ブロムステッド男爵にこんな隠し玉がいたなんて知らなかった。
だけど平民混じりの娘を王子が受け入れるわけがない。そう思ってバルコニーに立つ王子を見上げるも……
第3王子は愛しい者を見る男の目で平民娘だけを見つめていた。そう、ボーナム子爵が愛人を見つめている時の瞳と同じだったのだ。
悔しかった。
なぜぽっと出の平民に上物を奪われなくてはならないのかと惨めになった。
それならいっそ立候補して候補に捩じ込んだ貴族の娘の誰かが選ばれたほうがまだマシだと思った。……わたくしは父に激怒されて候補に入れなかったのだ。
あの平民女は最後まで最有力候補として生き残り、そして第3王子と想いを通わせるようになった。
愛し合うふたりを見ていると、無性に腹が立った。
結婚していない今ならまだ間に合う。
あの王子を奪うのだ。
候爵家出身のわたくしこそ、公爵夫人に相応しい。あの平民上がりを蹴散らしやる。
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