私、初恋の人にまた恋をしたみたいです。

 裁判が終わり、ベラトリクス嬢が修道院に送られたその翌日。

 王子から今後について話がしたいからと部屋に呼び出された。


 何の話をされるんだろうかとドキドキしながら王子の居室へ向かっていると、侍女を引き連れた令嬢とすれ違った。その人は3人目の花嫁候補だった令嬢だ。よそ行きの服装をしていたので、これからお出かけかなと想像しながら、道を空けて頭を下げると彼女は私の前で足を止めた。

 それでベラトリクス嬢の事を思い出してぞわっとした。


「最後まで残るなんて本当にしぶといわね、さすが運命の相手ってところかしら」


 その言葉にどきっとする。

 そんなこと言われましても。他のお嬢様たちは自分が撒いた種によって自爆して脱落しただけじゃないですか……私がしぶといとかそういう問題じゃないと思う。


「あの女に狙われてここまで耐えられている人、はじめて見たわ。……ステファン殿下が一人の女性にここまで熱中している姿もね」


 彼女はぽつりとつぶやく。


「最初からわかっていたわ。ステファン殿下の視線が誰に向いてるかってことくらい」

「え」


 ここで出てきた王子の名前に私が顔をあげると、がっかりした表情を浮かべた令嬢が私を見つめてため息を吐き出していた。


「気に入らないけど、ここにいても無駄そうだわ。私は今日でお城を辞します」

「それって」

「花の命は短いのよ。切り替えていい男を捕まえて見せるわ。あなたが貴族入りしたらまたどこかで会うかもしれないわね……じゃ、私はこれで」


 その人は私に意地悪をするために立ち止まったわけじゃなかったようだ。ちょっと恨み節を吐き捨てたかっただけみたいで、そのまま振り返ることなく立ち去ってしまった。

 ベラトリクス嬢に隠れて存在感がない人だったけど、あの候補の中で一番無害だった令嬢だったのかも。……彼女は純粋に王子のことを想っていて、花嫁候補に名乗りをあげたのかな。そう考えるとなんか複雑な気持ちになった。



 令嬢を見送った後に向かった執務室で王子と顔を合わせたので、その事を話すと彼は何となしに言った。


「ヘーゼルダインの裁判があった前日に、彼女から花嫁候補辞退を申し出てきたんだ」


 あっさり言われたそれに私はカッと目を見開いた。


「辞退できるんですか!? 私てっきり出来ないものかと思っていました!」


 何度か辞退したいと意思表示していたけど、すべて王子に睨まれて封殺されてたから、私には辞退する権限がないのだと思っていたのに!


「させないよ」


 ぎらりと王子の瞳が光る。彼の睨みに耐性が出来ていたはずなのに私はぎくりと身を強張らせた。

 もーまたそうやって睨むしー…


「私は君を花嫁にする。そう決めていた」


 対面の席に座っていた王子はゆっくり立ち上がった。テーブルの端を横切ってソファに座る私の前に立つ。そのまますっと膝を曲げ、床に片膝をつけると私の左手を恭しく持ち上げた。その動作には無駄がない。

 思わず見惚れていたけど、王子様に膝をつかせてしまったことに私は青ざめた。


 だけど彼は私の焦りなど知らんぷりで、手の甲に口づけを落としてきたのだ。柔らかい唇が皮膚に直接当たる感触に、自分の頬が燃えるように熱くなった。


 王子の翡翠色の瞳がちらりと上目遣いに伺って来る。

 私はどんな反応をしたらいいのか分からず、ドキドキ暴れる心臓と上昇しつづける熱に翻弄されていた。

 彼はどこからかキラリと輝くものを取り出して、それを私の指にそっと嵌めた。──以前宝石商にオーダーしていたペアリングの片割れだ。


「やっと指輪が出来上がったんだ。それに、やっと準備を終えられた」


 王子はこの日を待っていたと言いたそうに晴々とした笑顔を浮かべていた。……準備が終わったってどういうことなんだろう。


「約束しただろう、大人になったら君に求婚すると」


 彼の発言に、忘れたはずの遠く幼い日の約束を思い出した。

 私は彼の名前も顔も覚えていない。

 もしかして、私の初恋の人は彼だったの?

 

  確かに彼は金色の髪を持っていた。

 だけど体が細くて青白くて、今の殿下のように剣を振ることも、私を軽々と抱き上げることも出来ないくらい体が弱い人だった。


 あぁでも、その翡翠の瞳を私は憶えている。

 私の大切な思い出、初恋の彼。


 こんな側にいたのに、私は気付かなかったのか。

 彼はこれまでに何度も私に手掛かりを与えつづけてくれた。それなのに私は……。


「これまでずっと、君に相応しい男になろうとその一心で頑張ってきた。それなのに国の決まりで王族はもれなく占いによって結婚相手を決められると言われ、落ち込んでいた私の前に捜し求めていた君が現れたんだ」


 運命の相手占いのあったあの日、最後の足掻きで会場内に私がいないかを探していたそうだ。だけどどこにも初恋の彼女はいない。

 がっかりしながら貴族令嬢たちが座る特別席に視線を移したら──いた。


 私の顔を一目見た瞬間気づいたのだという。

 側にはブロムステッド男爵夫妻。私がブロムステッドの縁者であると憶えていたこともあり、私の髪の色が昔と違っていてもすぐに【レオ】だとわかった彼はバルコニーから私の名を呼んだのだという。


「だから魔女殿が言い当てた運命の相手が君だとわかったときは嬉しかった」

「でも、あの時私のことものすごく睨んでたじゃないですか」


 嬉しかった風には全く見えなかったぞ。

 あれは誰がどう見ても、気に入らないと腹を立てているようにしか思えなかった。

 私の反論に王子はむっとした顔をする。


「君が私のことを忘れるからだろう。しかも花嫁候補辞退の言葉を口にしそうだったからつい」


 ……つまり、私があれ以上余計なことを言わないように目で圧力をかけていたと仰るの?


「その後も平民だから身に余ると訴えるし、私の前ではいつも萎縮してるし」

「殿下が睨むからですよ、会う度に睨んできたでしょ」


 どこの世界に王子を前にして堂々としていられる平民がいるっていうんだ。いたとしたらその人はよほどのアホか、もしくは命知らずだぞ。普通の神経を持った人間が王族相手に畏怖を抱くのは当然じゃないか。


 この際なので散々睨まれたことに文句を付けると、彼はなぜか頬を赤らめて恥ずかしそうに目をそらしていた。

 反応がおかしくて私は思わず怪訝な顔をしてしまう。


「それは……君があまりにも美しく成長したから目が離せなかったんだよ」


 どの口が言うんですか。美しいの代名詞に言われたくない。

 鏡で自分の顔を毎日見ている癖に、そんな……


「悪いけど、君を逃がす気は毛頭ないのだよ」


 跪いた体勢から立ち上がった王子は私の隣に座ると、両手を握りしめてきた。……手をつないで一緒に走ったときは同じくらいの大きさだったのに、今じゃこんなに違う。

 昔の彼との共通点を見つけ出せずに寂しく感じていると、王子は私に顔を近づけて瞳を覗き込んできた。


「レオーネ・クアドラ嬢、私と結婚してください」


 改めてされたプロポーズに私は困惑してしまった。

 思えば、彼は最初からこれまでもずっと私を花嫁にする口ぶりだった。

 私はこの求婚に「わかりました、あなたと結婚します」と頷いていいものなのだろうか。

 

 私の戸惑いを察したのだろう。王子は目を細めて私を軽く睨んできた。


「約束は違えさせないよ」


 私はその約束を信じなかったのに?


「私、あなたのこと忘れていたんですよ」


 約束のことは覚えていても、守られないと思っていた。彼の顔も名前も忘れてしまった薄情な女なんだぞ。

 律儀に約束を守ろうとしてくれるその気持ちは嬉しいけど、でも…


「私が覚えていた。それに私はまた君に恋をした。それで充分だ」


 彼は私の頬に手を伸ばし、優しくそっと撫でてきた。それがくすぐったくて身じろぐと、鼻の頭にキスを落としてきた。


「……君が思うより、私は君に夢中なんだよ、かわいいレオ」


 至近距離から見つめられながら囁かれた私は、息を止めて彼を見つめていた。


 ななな何を言っているんだこの人は……!


 口説き文句に動揺した私は目線をあちこちにさまよわせて、冷静さを保とうとしたのだが、王子はそれを許してはくれなかった。


「目をそらさないで、レオーネ。返事を」


 息のかかる距離まで顔を近づけられ、私はいっぱいいっぱいだった。ここぞとばかりに迫ってくるのやめて。心臓が爆発しそうです。


「あ、あのでも、私との身分差が」


 私が言いたいのはそれ。

 いくら占いで決まったとは言え、身分違いの結婚は何かを失う覚悟じゃないと出来ないんだ。私との未来を選ぶ代わりに、ステファン王子は今の地位を失うこともあるかもしれない。王族の皆さんが良くても、貴族たちは許してくれないんじゃないかな。


 私はずっと同じことを訴えてきた。

 それなのに王子はそんなこと些末事だとまともに取り合ってくれなくて。

 でもね、身分差ってものはそれだけ障害なんだよ。私のせいで王子が大変な目に遭うことは望んでいないんだ。もう少しじっくり考えないと……


 言葉を封じるかのようにむちゅっと唇を塞がれ、噛み締めていた唇を開けるように舌でノックされた私は頭で考えるよりも先に体が反応して彼の舌を出迎えていた。

 あぁダメだ、キスをされると小難しいことを何も考えられなくなる。熱くて苦しい。

 

 文句を吐き出せないくらい激しい口づけ。幼い日に交わした可愛らしいキスとは違う。

 そうだ。私も彼も、もう子どもじゃないんだ。


 彼の唇がそっと離れて、空気に晒された濡れた口元がひんやりした。ぽやんとした頭で彼を見上げると、王子は欲を含んだ瞳で私を見つめていた。

 ずっとこの目で睨まれてると思ってたけど、それは私の思い違いだったのかな……


「身分なんてものは高位貴族の養女になってから嫁げばいいだけさ。君の大叔母上のようにね」


 再びキスをされそうな気配がしたので、私は彼の胸を押し返して止めた。お預けを喰らった彼はちょっとむっとしていたが、今ここで聞きたいことがあるのだ。


「……私でいいんですか?」

「君じゃなきゃ意味がない」

「私を選んだことで、失うものがあったとしても?」


 私の両親の結婚はみんなに祝福されたものじゃなかった。後ろ指をさされたし、失ったものも多かったと聞く。

 それを知っていた私は、彼が後悔しないかが気になっていた。


 だけど王子はなんだそんなことかと笑っていた。


「私は平民になったとしても食うに困らないように手に職をつけているんだ。だから君とならどこでだって生きていけるよ」


 いろんな可能性を考えて動いて来たという王子。

 なんという頼もしい発言なのか。


 私は返事をしようとしたけど、嬉しくて先に涙が零れてきてしまい、くぐもった声が出てきてしまった。だから返事の代わりに彼に抱きつくことで表現した。


「愛しているよ、レオーネ」


 彼の愛の言葉に私は何度も頷いた。


 ──不思議だな、私も彼じゃなきゃだめな気がしてきた。

 私は初恋の人にまた恋をしていたようだ。

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