もうひとりの獅子・後編【三人称視点】


 栗色の髪色だというだけで、花嫁候補に無理矢理ねじ込んだ侯爵家の娘が恋人とふしだらな行為に及んでいたことが判明して、城中は騒然となった。

 結局その娘は家人から処分を受けて、候爵家から放逐されたという話を聞かされたとき、ベラトリクスは鼻で笑った。


 ──馬鹿な女だ。何故ここでそんな真似をするのか。でもまぁ、邪魔な女がひとり減ってよかった。いつかは消す予定だったがその手間が省けた。 

 ……そういえば温室には珍しい植物があると聞いたことがある。飲ませるとたちまち死にゆく毒があるとか。


 そのことを思い出したベラトリクスは側にいる侍女に言った。


「温室に向かうわ。それと、頼みたいことがあるのだけど」


 従順な侍女は黙って傾聴する体勢を取る。この部屋の中ではベラトリクスが女王。彼女に逆らう人間など存在しない。


「毒虫をあの女の部屋に放っておいて」


 それが恐ろしい命令だとしても、否定してはいけない。彼女の言うことは絶対なのだ。



 ベラトリクスの従順な侍女がどこかで入手したのは猛毒を持つ毒蜘蛛だった。裏街道でやましい商売をしている店から秘密裏に仕入れてきたものだ。

 丁度、衣装屋がレオーネ宛てにドレスを届けに来たという情報を仕入れたので、ドレスをおさめた衣装ケースに毒蜘蛛を忍ばせる。

 うまいこと行けば、怒った蜘蛛に咬まれるだろうと願いを込めて。これ以上あの方の不興を買わないで欲しいと内心懇願しながら。


 ──ベラトリクスの望みは叶った。

 新品のドレスに隠れていた毒蜘蛛はレオーネの足に咬み付き、毒を放ったのだ。それにより毒が回ったレオーネの容態が悪化したと聞いて喜ぶも、ステファンの寝ずの看病により回復したと聞かされてがっかりした。


 しかも、以前よりもレオーネとステファンは急接近して親しくなっていた。

 それを目の当たりにしたのは、花嫁候補お披露目のパーティでのことだ。一番最初にエスコートされて入場したベラトリクスは周りの貴族達からの注目に気持ち良く入場したのだが、そのあと身分が低いレオーネが王子と共に入場し、自分よりも注目を浴びていたことを不快に感じていた。

 しかも、一番注目されるであろうファーストダンスではステファンは迷わずレオーネの手を取り、ダンスホールへ進んで行った。

 ふたりの世界に入り込んだ彼らは踊りながらなにか言葉を交わし合うと、観衆の前であるというのに熱いキスを繰り返したのだ。


 周りで貴族令嬢らの悲鳴が響く中、ベラトリクスは持っていた扇子を握り締めることで爆発を抑えていた。


 ベラトリクスもステファンと踊って注目を奪い返そうと動くが、彼を見失ってしまった。会場の人の多さもあって探すのに難航しそうだったが、彼がどこに消えたのかはすぐに判明した。

 取り巻きの令嬢が半泣きでベラトリクスに訴えてきたのだ。平民娘に身の程をわからせようとしていると、ステファンが割り込んできて睨まれてしまったと。

 余計なことを…! ベラトリクスは取り巻きの少女を睨みつけると、扇子で隠した口元を怒りで歪めた。


 酒で酔ったレオーネを介抱するためにステファンは彼女を抱きかかえて途中でどこかへ消えていき、結局パーティ終盤になってから彼だけが戻ってきたのだ。


「ステフ、口紅がついてるぞ」


 兄の第2王子にからかわれるように指摘されたステファンは指先で自分の唇に触れて、フッと愛おしそうに笑った。

 それを見た第2王子妃が微笑ましそうに義理弟を見ていた。


「レオーネ様が愛しいからって無理矢理はいけませんよ、ステファン様」

「義姉上、人聞きの悪い事をおっしゃらないでください」

「どうせ周りの男を牽制するためにあんなことしたんだろう。どうやら我が弟は思ったよりも独占欲の強い男らしい」


 兄王子達にからかわれて、年相応の青年の表情を見せているステファンの元にベラトリクスが近づくと、彼は素の笑顔から公式で見せる笑顔に切り替えた。


「ステファン殿下……お披露目パーティですのに、わたくしと踊ってはくれませんの?」


 本来なら男性側からダンスの誘いを頂く立場だというのに、自分からお伺いを立てなくてはならない状況にベラトリクスは屈辱を感じていた。


「すまない。君とは踊るつもりはない。レオーネとだけ踊ると決めているんだ」


 意を決してダンスを踊ろうと誘うが、ステファンの返事は否。

 ステファンはレオーネ以外とは踊るつもりはないのだという。

 彼はあの花嫁占いの場ですでにレオーネを運命の花嫁と決めていた。ステファンの目に映るのは彼女だけ。他の女性には興味がないのだ。


 そんなことは当初からわかっていたことなのに、ベラトリクスは辱めを受けたかのように感じた。

 伯爵家出身のベラトリクスではなく、男爵家の血が流れるだけの平民レオーネを選んだのだと言外に告げられた彼女は決めた。


 あの女をずたずたにして殺してやろう。

 そして遺体をこの憎き王子の前に投げ捨ててやろうと。



◇◆◇



 新たにベラトリクスは考えた。

 まずは簡単に手紙でおびき寄せてやろう。捕まえて妾館に売り払って、王家に嫁げない身体にさせてやろうと考えたのだ。

 しかし、それは失敗に終わる。レオーネが手紙を不審に思い、ヨランダヘ相談したことで、レオーネをおびき寄せることは叶わなかった。



 次に、ステファンがレオーネのために購入した、ブロムステッド男爵領の有名店のお菓子に、自分の手の者に命じてガラス片を混入させた。

 しかしそれはレオーネが口にする前に毒味役が異変を訴えたため、レオーネの口に運ばれることはなかった。

 喉が傷ついて声が醜くなるか、臓器を傷つけてそのままなんらかの原因で死ねばいいと考えていたのに、レオーネに害が加わる前で阻止される。


「しぶとい小虫だこと」


 あまりにも目障りすぎて、ベラトリクスはレオーネとのすれ違いざまに吐き捨てた。

 嫌がらせは徐々に過激になり、彼女の殺意は日に日に増していった。



 次に考えたのは、もう一度刺客を差し向けること。

 王宮の警備をかい潜って敷地内に潜伏させた刺客達にレオーネを始末させようとしたのだ。刺客に関しては一度襲撃失敗しているので、今度の失敗は絶対に許さない考えだった。

 ただ、レオーネも身の危険を感じて部屋から出てくる回数が減ってしまったためその機会になかなか恵まれなかったが、その時はやってきた。


 中庭に現れたレオーネを始末しようと刺客達は息巻いていた。

 今度は絶対に仕留めろ、仕留めたら褒美は奮発するが、失敗したら家族の命はないと思えと脅された刺客達は必ず始末する覚悟でいた。


 死角から弓矢で首を射抜こうとした作戦は標的が動いたことで失敗に終わった。

 刺客の存在が明らかになった途端、昼下がりのお茶会は血生臭い暗殺事件へと変貌してしまった。


 レオーネを守る護衛騎士との格闘の途中でレオーネの思わぬ反撃が入り、最終的に駆けつけてきたステファン王子にそのうちの一人が斬られた。城中の騎士達がぞくぞくと集まった結果、刺客達は不利な状況に追い込まれ、生き残りは捕まって牢屋に入れられてしまった。


 ベラトリクスは捕まった刺客達がまずいことを言う前に始末させた。温室から手に入れさせた植物毒を使って口封じしたのだ。

 簡単だ。配膳前の食事に垂らしておいたのだ。自分の手は汚さず、彼女の忠実なる侍女にやらせたのである。

 ──そもそもベラトリクスは、襲撃がうまくいこうが失敗しようが口止めのために始末する気まんまんだった。暗殺者達も体のいい捨て駒だった。



「何故こうも手こずらせるのあの娘は! 忌々しい!」


 どんな手を使ってもレオーネは死なない。

 そしてますますステファンと親密になっていく。


「あの女はしぶとすぎるから生半可な毒ではダメ。確実に絶命させるものじゃなきゃ」


 ベラトリクスは完全に始末できる方法を握っていた。

 任務を失敗した刺客に口止めで飲ませた毒の効き目は抜群だ。城の敷地内の温室から掠め取ったそれ。枝葉を折ったそこから出てきた乳液状の樹液は微量でも効果を発揮する。


 人差し指と親指で摘めるくらいの茶色い小瓶に入ったそれをずいっと前に出すと、ベラトリクスは残酷な笑顔を浮かべた。


「この毒は南西の国のミフクラギという植物から取れる猛毒よ。これを微量でも口に含めば、3時間以内であの女は命を落とす」


 それを目の前にいるふたりの男女へ見せ付けると、男の方へ手渡した。


「体から検出されにくい特別な毒なのよ。心臓麻痺で死んだってことで片がつくわ」


 ベラトリクスの周りにいる人間がどうしてここまで従順なのかは理由があった。

 弱みを握った人間を囲っているのだ。ここにいるのは屋敷内の窃盗で捕まったメイドと少女暴行で捕まった料理番。

 後々利用するために無罪を証明してあげたのはベラトリクスの父であるヘーゼルダイン伯爵だ。そのお陰で今このふたりは職に就けている。それも王城という誰もが憧れる職場に。


 毒薬を手に持った料理番の男は顔面蒼白になっていた。持っている手がカタカタ震えているのは気のせいじゃない。


「断ったら牢屋行きよ? 当然でしょ」


 しかしベラトリクスに慈悲はない。

 断れば切り捨てると言って除けたのだ。


「仮に出所しても行き先がなくて野垂れ死ぬわね。まともな職にも就けないわ。……家族にも見捨てられるかも」


 ふふふ、と笑うベラトリクスの目には優しさのかけらもない。冷酷さしか見えない。


「誰のおかげで今幸せに生きているのかしらね」


 彼らは自分が犯した罪によって、負い目があった。

 どっちに転んでも待ち受けているのは絶望だと言うのに。追い詰められていた彼らには選択の余地はなかった。

 今の生活を失いたくない。それならばやるしかないのだと。


「それとこれはステファン殿下に仕込んでね」


 メイドの方に差し出したのは青い小瓶だ。


「こ、これは……?」

「媚薬よ。いくらあの王子だって媚薬には勝てないでしょ。あの女が無様に死んでいる間に衝動的にわたくしを抱いて、正気に戻ったとき絶望したらいいのよ!」


 その姿を想像するだけでおかしいのだろう。ベラトリクスは堪えきれないと高笑いをした。そうなれば王子はベラトリクスとの結婚は避けられなくなる。それを含んだ計画なのだろう。


 料理番とメイドはそんな彼女を恐ろしそうに見つめるのみ。彼女に逆らうことは終わりを表す。従うしかなかったのだ。




 ベラトリクスが退出した後にメイドと料理番は顔を見合わせてそれぞれが手に持つ薬を握りしめた。


「あの娘には私が仕込むわ。寝る前に飲み物を飲むからそれに忍ばせる」


 青い小瓶を持ったメイドは小瓶と同じく顔を青ざめさせていた。カチカチと歯を鳴らしているのは寒いのではなく、恐怖によるものだろう。


「じゃあ俺は殿下に。殿下は執務の休憩中にホットチョコレートを飲まれるから、その時に……」


 茶色の小瓶を持っている料理番はなにもかも諦めた表情でうなだれていたが、覚悟を決めた様子だった。


 彼らはギュッと小瓶をにぎりしめて、深呼吸するとその場で別れた。

 何かを見落としていることに気づくこともなく、暗殺実行に移ったのである。

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