やめてください、淑女のスカートは捲るものじゃありません。


「ご覧になってください、レオーネ様! 殿下がレオーネ様のために誂えた完全新作ドレスですよ! 素敵ですね!」

「はは……」


 これで何日分の食費になるんだろうと遠い目をしながら、広げられたドレスを眺める。

 なにも考えずにはしゃげたら良かったんですけどね。


 このドレスはとっておきだ。今度お城で王子の花嫁候補お披露目パーティが行われる。それに私は参加しないといけないのだ。

 その緊張でここ最近胃が痛い。暗殺未遂の件だって片付いていないのに、王侯貴族の前に出て行かなきゃいけないという。圧力で潰れてしまいそうである。


「サイズが合っているか試着してみましょう」


 ヨランダさんにさぁさぁと促され、メイドさんの手を借りて新品のパーティ用ドレスに着替えさせられる私。もう人にお世話されるのに慣れてしまって、日常に戻ったとき自分が何も出来なくなっていそうで恐ろしい。


 黄色ベース布地に金糸の装飾が施されたドレスは、獅子の名を持つ私に合わせたのだろうか。それとも王子の髪の色から? ……いや、まさかね。

 貴族間で流行の華美な装飾を取り払ったそのドレスはシンプルに見えて、実は布地やレース飾りに力が込められている。動きやすいし、慎ましいデザインがなんだか落ち着く気がする。

 私がいくら着飾っても、庶民なのは変わりない。このドレスは私を表現しているみたいでとても気に入った。


 くるりと回って鏡で後ろ姿を確認していた私は、足に違和感を覚えて眉をひそめた。スカートの中で何かが、ふくらはぎを這っているような感覚がするのだ。


「レオーネ様?」

「なんか……刺さっている気が」


 最初は気のせいかと思っていたが、徐々にぴりぴりちくちくと熱を持ちはじめた足。まち針か何かが残っていてそれが刺さったのだろうかと思った。


「おみ足失礼いたしますね」


 確認しようとメイドさんが断りを入れてそっと私が着ているドレスのスカートをめくった。

 そして彼女は「ヒィッ」と引き攣った声を漏らす。

 

「む、虫! 蜘蛛ですわ!!」

「なんですって!」


 私は固まる。

 虫って。じゃあこの痛みは蜘蛛に咬まれたってこと?

 私が固まって棒立ちしている間にヨランダさんが布切れで蜘蛛を包み込んで確保していた。他のメイドさんも慌てて飛び出して、部屋の外で護衛していた騎士に訴えた。


「レオーネ様が蜘蛛に咬まれました! 王宮医師と虫毒に詳しい薬師をここへ! 毒を持つ蜘蛛かもしれません!」


 ぴりぴりちくちくする痛みが徐々に強まっていく。私はどうしたらいいんだ。この蜘蛛は毒蜘蛛なの?

 ひとりでオロオロしていると、廊下の奥から誰かが駆けていく音が近づいてきた。

 お医者さんが来てくれたんだ。私はそう安心した。


「レオーネ!」


 しかし真っ先に駆けつけたのはお医者さんではなく、ステファン王子だった。

 えっ、私が蜘蛛に咬まれたことをもう聞き付けたの? 執務室でお仕事している時間のはずなのに反応が早いね。


 彼はずかずかと部屋に踏み込むと私の手を引っ張り、長椅子に座らせた。安静にしろってことだろうか。

 だけどその直後、彼が取った行動に頭が真っ白になってしまった。


 ──身に纏っていた私のドレスの裾をなんのためらいもなく捲ったのだ。


「!?」


 ギョッとした私にお構いなく、眉間にしわを寄せて難しい顔をした彼は晒け出された私の足をまじまじ観察して、そしてとある一点に当たりを付けると、そこに吸い付いてきたのだ。


「あああああのっ!? 殿下! やめてください!」


 私は慌てて王子の顔を引きはがそうとしたが、彼は力強く皮膚を吸った。痛いくらいに吸われて私はギュッと目をつぶる。

 私の右足ふくらはぎから口を離した王子は取り出したハンカチに何かを吐き出していた。白い布地に血の赤が滲んだ。再度ふくらはぎに吸い付かれた私はもう限界だった。

 万が一毒蜘蛛だった場合のことを考えて、毒を吸いだそうとしてくれているのはわかるのだが……こんな、こんなことって。


 殿方に足を見られた私はそれどころじゃなかった。

 女性の足はみだりに見せ付けるものじゃない。見せるのは娼婦くらい。彼女たちでも足首を見せる程度だというのに、私は一国の王子様におもいっきり膝上まで見られてしまった。


「やめて、やめてください……!」


 王子はふくらはぎに吸い付いて毒を吸い出す作業をやめない。強く吸われすぎてふくらはぎの一部が真っ赤に色づいていた。


 恥ずかしすぎて死にたくなった。

 周りに人いるし、見られているし、もうお嫁に行けない……!

 下瞼に浮かんだ雫が重さに耐え切れずにぼろりと流れ落ちる。止めてって言っているのにひどい。


「何故泣くんだ。痛むのか?」

「離してよぉ……もうやめてぇ」


 いやいやと首を横に振りながら拒絶を示すが、私の足から手を離さない王子。彼は涙を流す私に驚いて困った顔をしている。

 もうやだ、この人なんなの。乙女の足をなんだと思ってるの。

 そもそも王子が自ら毒抜きとかする必要性がないし、猛毒だったら王子もただ事じゃないんだけど!


「──ステファン殿下」


 ひぐひぐと泣きじゃくりはじめた私の心を代弁してくれたのか、ヨランダさんが感情を感じさせない声で王子を呼ぶ。


「なんだヨランダ」

「……私は未婚の女性のスカートを捲って足を出させるような子にお育て申した覚えはございません!」


 いつも優しいヨランダさんの雷が落とされた瞬間である。

 叱られた王子はビクッとしていたが、自分がしていることがどれだけのことなのかを自覚した後、キリッとしていた。


「責任は取るから問題ない。彼女は私の花嫁だ」

「そういう問題ではありません! とにかくレオーネ様のおみ足からお手をお離し下さい!」


 ヨランダさんが力づくで王子を私のふくらはぎから引き離すと、遅れて駆けつけた王宮医師が診察をしてくれた。


 患部を確認後、綺麗な水で洗浄して手当をしてもらった。

 最初は弱かった痛みは一分二分と時間が経過するにつれて痛みを変えてきた。そう、咬んだのは毒蜘蛛だったのだ。

 噛まれたのは一箇所だ。毒抜きもされた。それでも1時間後には腫れと強い痛みが出現した。私の右足全体が動かなくなり、全身倦怠感に襲われた。ベッドから起き上がれず、私はしばらく寝たきりになった。


 話を聞き付けて妃様方がお見舞いに来てくれたらしいが、私はそれにお構いする余裕もなくただうなされていた。

 咬まれたのは肉なのに骨まで痛い。あまりの痛みと高熱に変な夢まで見る始末だ。


 私がこの国に来なければ、花嫁占いの場に行かなければこんな目に遭わずに済んだのに。花嫁の条件が該当しなければ、ここに留め置かれなければ、私はとっくの昔に実家に帰れていたのに。


「いたい、よぅ……おかぁさん」


 やだよ、もう帰りたいよ。お母さん、お母さん助けて。

 痛くて寂しくて心細くて、私が求めたのは国にいるお母さんである。だらだらと涙が溢れて耳に雫が溜まる。苦しいながらも声を搾り出してお母さんに助けを求めた。


「おかぁ、さぁん、」


 きゅっ…と優しく握られた手に私はお母さんが握ってくれたんだと思った。

 腫れて鋭い痛みがおさまらない右足にひんやりしたものが当てられる。あぁ、気持ちいい。ちょっとだけ痛みが引いたかも。

 苦しくて熱くて痛くて眠れなかったけど、冷やしてもらえていると少しは眠れそう……



◆◇◆



 重い瞼を持ち上げると、天蓋が見えた。ここは王宮で用意された部屋だ。

 倦怠感の残る体をそのままに頭を動かすと、なぜかベッド脇の備付けの椅子に王子が座ったまま腕を組んで眠っていた。


「レオーネ様、お目覚めになりましたか?」


 静かな声で呼びかけてきたヨランダさんに私が小さく頷くと、彼女は水差しからお水を注いでくれた。


「殿下はレオーネ様の看病を三日三晩なさっていたのですよ。私どもが交代でお側に付いておりますと言っても聞いていただけなくて……」


 彼女は居眠りする王子を起こさないように声を抑えているのだろう。よく見ると王子の目元には疲れている証が残されている。寝不足で疲れていてもその美貌は健在だけども。


 それより私はいくつか信じられない言葉を聞いた気がする。

 寝込んでいた私は日にち感覚が狂っていたが、実際には丸3日ほど寝ていたらしい。

 しかも、その間の看病を王子である彼が率先してやっていたと。


 そんなの、王子の仕事じゃないってのに。

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