だから私は候補なだけですって!
彼の後ろ姿を凝視していると、紳士がくるっと首を後ろに回して私を見下ろした。
そしてなぜか私の顔を見て驚いた顔をしていた。
「あれ、君……あぁ、そうか」
私の顔をまじまじ見下ろしていた男性は動揺を一瞬で抑えると、一人でなにか納得した風に頷いていた。
王子の花嫁候補ってことで一方的に顔を知られているのかな。
「話には聞いていたけど、本当にお祖母様のお若い頃にそっくりなんだね」
「……?」
お祖母様?
彼の口から飛び出した言葉に私が首を傾げて見せると、彼は私を安心させるように柔らかく笑った。その微笑みには私に対する親しみのようなものが含まれているような気がする。
物腰が柔らかそうで、顔立ちもなかなか整っている彼はくるりと前に向き直ると、私を庇う姿勢で令嬢達と対峙した。
「彼女はレオーネ・クアドラ嬢。高名な魔女様が選んだ花嫁候補だ。──君達はステファン王子殿下の花嫁に危害を加えた。これがどういうことかわかっているかな?」
彼がどんな顔をしているかはここからはわからない。が、令嬢達の顔色が青から紫色に変わり、人によっては涙目になっていた。
紳士が令嬢を脅しているぞ。いいのか、それで。
「し、失礼します!」
あっという間に令嬢らはしっぽ巻いて逃げて行った。さっきまでの偉そうな態度はどこに行ったんだ。
「大丈夫かい?」
すっと目の前に差し出された手。私は彼の手と顔を見比べた。
手を借りてもいいのだろうか。触ったらまたぶん殴られたりしない?
私が貴族不信に陥り渋い顔をして一向に手を取らないことに焦れたのか、紳士は私の両手を掴んで立ち上がらせた。
「酷いことするね。おいで、頬を冷やしたほうがいい」
扇子で殴られた頬はひどい状態らしい。確かに口の中を切って血の味がするので、見るからに腫れているのかも。
中庭にあるベンチで座って待っているようにと言われておとなしく待っていると、濡れたハンカチを持ってきた紳士がそっと私の頬にハンカチを寄せてきた。
「あぃて」
そっとくっつけられたけど、じんわりした痛みが頬に広がり、私は呻いた。
「痛いかい? ごめんね」
あぁやっぱり。
なんだかこの人の目はよその男の人と違う。そうだな、お父さんとか、伯父様、それに従兄様のような、私を見守る優しい瞳をしている。街で見てくる男性のような下心を含んだ目ではない。
……なんでそんな目で私を見るのだろう。私たちは一度も会ったことないと思うんだけど。
「ステファン王子殿下は淑女達の憧れだからね。占いで選ばれた花嫁候補の君を妬んでいるんだよ。彼女たちに言われたことは気にしなくていい」
「はぁ……」
彼が私を慰めようとしてくれているのだけはわかった。根本的解決にはならないけど。
「あの、失礼ですが、私とどこかでお会いしましたか?」
やけに親切なのでそれが不気味に感じた。思いきって尋ねてみると、彼はおかしそうに小さく笑った。
「僕たちは初対面だよ。ただ、僕は君の存在を知っていたってだけ」
……やっぱり私は知らない場所で花嫁候補として有名になってしまっているのだろうか。平民出身だから悪目立ちしてるのかな。
「君は僕の──」
彼が何かを言いかけたその直後、横から伸びてきた何者かの手に腕を掴まれた。力任せに引き寄せられると、ぎゅむっと誰かの腕の中に閉じ込められてしまった。
「ぐっ!?」
その拍子に頬を相手の胸にぶつけてしまい、私は痛みに悶絶した。
痛いよぉぉ、そこ叩かれた場所ぉぉ!
誰なの傷口に塩を塗り込むような真似をするのは!
痛みで涙が滲んだ目で私を乱暴に扱う人物を睨むと、鋭い翡翠色に射抜かれた。
湧いて出てきた反抗心が萎んだ瞬間である。
「フェルベーク、これは一体どういうことだ」
王子は親の仇を睨むかのように、ギロリと紳士……フェルベークさんを睨みつけた。
「なぜレオーネの頬が赤く腫れている!」
「殿下が求めていらっしゃる答えは、そこの芝生の上に転がっておりますよ」
語気荒めに追及する王子に対して、フェルベークさんは落ち着きそのもの。咎められたことに嫌な顔することなく、芝生に転がった指輪を示した。
あ、あれはさっきの令嬢の家紋入り(推定)指輪。
フェルベークさんは屈んで指輪を拾い上げると、それを王子に差し出す。
「令嬢達に絡まれたレオーネ嬢が叩かれて詰られているところに僕が止めに入っただけです。頬を腫らして怯えるレディを放置するのは紳士のすることではないでしょう?」
「っ…! 行くぞ!」
「あっ!」
丁寧な説明を受けても王子の機嫌は直ることはなかった。不機嫌に顔をしかめた彼は私の肩を抱き寄せて、この場から離れようと促してきた。
「あの、フェルベーク様、ハンカチ」
このハンカチどうしようとオロオロしていると、フェルベークさんは手をひらひら振ってお見送りしていた。
「今度でいいよ、レオーネ」
私がもたもたしているからか、王子は焦れて私の腕を握って力づくで引っ張りはじめた。私はつんのめりながら王子について行く。
なによ、なんなの。急に不機嫌になるのやめてほしい。虫の居所が悪かったにしても八つ当たりなんて止してよ!
私の腕を引っ張る王子は振り返らなかった。
すれ違う騎士や使用人がさっと道を空けていく。彼らは余計なことは言うまいと黙って見送っている。
「痛い! もうなんなんですか!」
いつもなら怒った殿下に反論するなんてことはありえないが、さすがの私も段々腹が立ってきた。
掴まれた腕を振り払おうとブンと振り上げるも、しっかり握られており振りほどけなかった。そのまま王子の執務室に連れ込まれ、私はそのまま備えつきの長椅子に押し倒されてしまった。ギシンと椅子が軋む音が響く。
私に逃げ場を与えぬよう、ドレスのスカート部分に膝を載せて動きを封じ、両手首をひとまとめに押さえ込んだ殿下はぎらぎらと瞳を輝かせて私を睨んでいた。明らかに怒っている。
弱虫な自分はそれに怯みそうだったが、負けじと睨み返す。
「殿下! 私がなにをしましたか! 一人で勝手に怒っていないで理由をおっしゃってください!」
私がなにをしたというのだ! 私は被害者なんだぞ!
私の怒りを真っ正面から受け取った殿下の手がぴくっと震え、手首から拘束を解いた。同時に踏んでいたスカートから膝を下ろして、さっと長椅子から下りる。
「いや、これは私の責任だな。済まない。余裕を無くしてレディに対して無礼なことをしてしまった」
理由になってないよ。なんで怒っているのか聞いてるんだけど。
不満を視線にのせて睨むと、王子はそそくさと奥の部屋に引っ込んでしまった。私の怒りに怯んで逃げたのかと思ったが、それから3分もしないうちに彼は戻ってきた。
どこからか用意したらしいひんやりと濡れた絹のハンカチを私の腫れた頬にそぉっとくっつけてきたのだ。一瞬どこかへ消えたのはこれを準備するためだったみたいだ。
「濡れたハンカチならありますけど」
「そんなもの処分しろ」
「いや、ダメでしょう」
勝手に処分されそうだったので、私はフェルベークさんにお借りしたハンカチをしっかり握っておいた。
いつまたどこで会えるかわからないけど、大切に保管しておこう。このハンカチ一枚でも結構高そうだし。
私のために王宮医師を呼び付けて手厚過ぎる手当を命じた王子は医師達に私を任せた後、フェルベークさんから手渡された例の指輪を睨みつけ、使用人達に何かを命じていた。
厳しい顔でいろいろ話し込んでいるようだった。
「あの、その指輪、どうなさるおつもりですか?」
何となく不穏な空気を感じ取ったので、そっと尋ねると王子は「処罰を申し付けた」と言った。
いやいやいや、貴族令嬢が市井の娘を殴ったら処罰って。
逆ならまだしも、そんなことしたら貴族達から反発を喰らうんじゃ……
「君は私の花嫁になる女性なんだ。花嫁を馬鹿にすることは私も馬鹿にしていることと同等のことだろう」
私の顔から考えていることを読み取ったらしい王子はむっすりと言った。
「いや、候補です」
まだ花嫁になると決まったわけじゃない、と否定したら、王子はぎらりと私を睨みつけた。
「同じことだ」
同じじゃないと思う。
だから怖いんだって。あなたの目は未来の花嫁を見つめる目じゃないんだよ。
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