生憎、使える色目は持ち合わせておりませんが。


 昼食後に散歩がてらお城探索をしていると、廊下の向こう側から人がやってきた。その人は侍女を引き連れて堂々と真ん中を歩いてくる。

 栗色の髪を持った相手も私が反対側から歩いて来ることに気づいたらしく、赤茶の瞳を不快そうに眇めた。


 彼女はレディらしくしずしずと歩いているが、ぶつかったらふっ飛ばされてしまいそうな威圧感があって怖い。

 先日の夕飯時に王子から紹介されたうちの一人、ヘーゼルダイン伯爵の娘・ベラトリクス・レオノーラ・ヘーゼルダイン。


 その人となりは知らないけど、彼女はあの3人の貴族令嬢の中で一番多く条件が当てはまっている。一部以外は。

 そして、王子がドレスを贈ったことがあるという令嬢。


 解雇されたメイドさんは彼女が最有力候補だと言った。

 ……でも、この間の食事中、彼らの間に親密な空気はなかったように感じる。王子は話しかけて来る令嬢全員に平等に返事をしていた。誰かを特別えこひいきしているようには見えなかった。

 ──あれ以来、私は食堂に行くのを遠慮してお部屋で食事しているし、今彼らの関係性がどうなっているかはわからない。


 それはともかく波風を立てないよう、ここはやり過ごすしかない。

 私は平民で身分が一番低い。廊下の端に寄り、頭を下げて貴族令嬢である彼女が通り過ぎるのを待った。


「殿下に色目を使っていやらしい女ね」


 擦れ違いざまに冷え冷えとした、どこか軽蔑が含んだ声で吐き捨てられた言葉に私の頭は真っ白になる。

 色目? いやらしい女? 私が!?


 私が上目遣いでちらりと様子を伺えば、ベラトリクス嬢は扇子で顔半分を隠してこちらを睨みつけていた。

 下賤を見るその瞳に優しさは欠片もない。


 こ、怖ぁぁ……!


 王子と同等、いやそれ以上に怖いかも。王子とは違う圧力を感じる……


 私は視線をさっと下へ戻して、震えながら耐えた。

 ベラトリクス嬢からの視線は未だに突き刺さったまま。私は一体どうなってしまうのか。どきどきどきと心臓が早鐘を打つ。

 弁解したくても口を開いた途端、「身分が低い平民が偉そうに」と罰せられる可能性もある。


 だけどね、これだけは言わせて。

 私は一度も王子に対して色目を使っていないし、いやらしいことなんかしてないって!


「──レオーネ様になにか? ヘーゼルダイン様」

「……殿下の乳母のメルガル夫人……?」


 いつの間にそこにいたのだろう。

 ベラトリクス嬢へ深々と頭を下げていたのは現在私のお世話をしてくれているヨランダさんであった。

 王子の信頼厚い彼女はなるほど、王子の乳母だったのか。そりゃあ信頼置ける相手な訳である。


 でも待てよ? そんな重要な存在を私ごときのためのお世話係に任命しちゃっても良いの? 人員配置間違ってない? こういうのはちゃんと適切な配置をしないと後々問題になると家庭教師の先生も教えてくれたよ。


「恐れ入りますが、レオーネ様はこれより用事がございますので、御前失礼いたしますことをお許し願います」


 ヨランダさんの登場に怯むベラトリクス嬢はくっと悔しそうに顔をしかめていた。ヨランダさんがいなかったら私はどうなっていたんだろう。考えるだけで恐ろしいぞ。


「さぁ、レオーネ様、先日殿下がオーダーなさったドレスが届く予定ですからお部屋へ戻りましょう」


 ヨランダさんに優しく微笑まれながら言われた私はぎょっとした。

 こ、ここで言っちゃうの?

 み、みてよ、ベラトリクス嬢が持ってる扇子がギチギチ音を立ててるよ。こっちを睨んでる。まさしく視線で人を殺せそうな恐ろしい瞳だ。


「殿下が宝石商から購入してくださったアクセサリーと合わせてみましょうね」


 そこで私は彼女の言動に少し違和感を覚えた。

 ヨランダさん……なんかわざと強調してない? まるで、わざと聞かせているような……


「これからは外出の機会も出てくると思われますので、お帽子や日傘も新調したほうがよろしいかもしれませんね」

「もうこれ以上は要りません! ヨランダさん、殿下の浪費癖を止めてください!」


 余計なことを王子の前で言わないでね!

 あの人の金銭感覚やっぱりちょっとおかしいと思うから! いくらお金持ちでもいつか破産するぞ、このままじゃ。


「あらあら、レオーネ様は本当に慎み深い方ですね」


 口元を軽く手で抑えて笑うヨランダさんは私を微笑ましそうに見てきた。

 いや、これは慎み深いとかそういうのではない。さてはヨランダさんもどこぞの貴族出身だから金銭感覚が狂っているんだな?


 普通の一般庶民はこんな頻繁に大量の買い物なんかしないもんなんだよ。王子は物を持っていない私を哀れんで、純粋な厚意で買ってくれているのかもしれないが、私はそれに報いることはできない。心苦しいのでこれ以上私のために散財しないで欲しいのだ。


「殿下は喜んでレオーネ様のためにお金を使われてますから、遠慮しなくてもよろしいのですよ」


 私の心の中を読み取ったのか、ヨランダさんは私を安心させようとしてくれた。

 でも、そんなこと言われても全然安心できないですけど。


「殿下が幼き頃からお世話係として従事して参りましたが、あんなに浮かれて楽しそうな殿下を見るのは久しぶりです」

「浮かれ……楽しそう!?」


 ヨランダさん、あなたの眼は一体どうなっているんだ。

 あれのどこが楽しそうに浮かれているというのか。

 私には身の程知らずの平民風情がという視線にしか感じないのだが……?


 ──ギチッ……

 どこからか何かが軋む音が聞こえた。

 何の音だろうかと思って首を動かして周りを確認すると……未だに扇子で顔半分を隠してこちらを睨みつけるベラトリクス嬢がいた。

 彼女は眉間に深いシワを作ってこちらを呪う勢いで睨んでいた。握力によって今にも扇子がひしゃげてしまいそうになっている。扇子の向こう側からギリギリと歯を食いしばる音まで聞こえる始末。


 こ、殺されてしまう。

 石のように固まる私の背を押して部屋に連れていってくれたヨランダさんには彼女の睨みが見えなかったのだろうか。私は体だけでなく心臓まで止まりそうな思いだったよ。


 ベラトリクス嬢から離れて距離を置いた後に、ヨランダさんは私にだけ聞こえるように小声で言った。


「あの御方に何を言われたかは存じ上げませんが、まともに受け取る必要はありませんからね。レオーネ様こそ、ステファン殿下の運命の花嫁なのですから」


 ヨランダさんまでそれ言う? 運命を盲信し過ぎだって……

 思ったんだけどもしかしてヨランダさん、ベラトリクス嬢が王子の妃になるのが嫌だからあんなこと言ったとか?

 いやいや、仮にそうだとしても妨害のために私を利用するのは少し弱いと思うな。もっと地位の高い令嬢を対抗馬にした方がいいよ。


 栗色の髪と赤茶の瞳、齢17で、獅子の名をミドルネームに持つ貴族の血を受け継ぐ令嬢、ベラトリクス嬢。


 唯一誕生日だけが当て嵌まらない彼女は私と同じ色味を持つけど、彼女は生まれも育ちも貴族。立ち振る舞い方や雰囲気からして大違いだ。

 彼女のきりりとした顔立ちは気の強さが内面から滲んでいるようにも見える。原色が好きみたいで、いつもはっきりした色合いのドレスを身に着けていて、とても目立つ人。

 食堂で一緒に食事したときも、自分こそが王子の妃になるのだという自信に満ちていた。


 本来であれば私よりも王子様の妃に相応しい女性だけど……王子の乳母であるヨランダさんは歓迎していないみたい。


 ベラトリクス嬢はヘーゼルダイン伯爵家の娘。ヨランダさんが意味深なことを言っていた家の出身だ。

 もしかしたら、縁組するには不都合な理由があるのかもしれない。

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