第3話

 旦那様は、どうやら誠実な方らしい。

 私の願いはすぐに叶えられた。


 といっても、さすがに結婚式翌日から離れに花嫁を追いやったとしては外聞が悪いとのことで、最初の一週間は客室暮らしをさせてもらったわけだけど……。


(なんだか、申し訳ないわ)


 離れは、とても充実していた。

 茶器も食糧も十分に用意されていたし、内装は綺麗に整えられ、寝具も新品で綺麗な物ばかり。

 衣服は王城内で与えられていた華美なものとは異なり、素朴でどこか実用的なもので、ドレスなのに一人でも着られそうだと少しだけ安心した。

 トイレもお風呂もあるし、私が暮らすために急いであれこれ整えてくれたのかと思うと申し訳なく思うのと同時に、とても嬉しかった。


 それから、最初に申し出たとおりに朝夜と仕度を手伝いに侍女が来てくれた。

 食器の上げ下げの他に、私の着替えや髪結いなどの仕度をしてもらうが……特に誰かに会うわけでもないので、基本的にはいつも似たような感じになってしまった。

 きっと私は、尽くし甲斐のない女主人に違いない。


 そもそも、旦那様に昔から仕える人々にとって私は厄介者でしかないかもしれないけれど。

 

(一人で着られるような衣服を用意してもらったら、彼女の手間も省けるかしら)


 それも我が儘になってしまうだろうか。

 ちらりと視線を侍女に向けてみるが、彼女は私の方を見ておらず、淡々と掃除をしていた。


 私の元に来る侍女は、寡黙だけれど仕事をテキパキこなす女性だ。

 名前はアンナというらしい。

 国元で私の世話を担当してくれた侍女もアンナという名前だったので、懐かしく思った。


(ああ、私……人並みに、寂しかったのね)


 アンナ・・・を思い浮かべて、彼女の声を、顔を、忘れてしまわないようにもう一度大切に、大切に思う。

 いつかは忘れてしまうかもしれないけれど、私に親切にしてくれた数少ない人だから。

 せめて、遠くにいるけれど幸せを祈るためにも、忘れないように。


(結局私は、また一人)


 悪辣姫と呼ばれる私を知っていても、私個人を知る人が誰も居ないこの土地で生きることは少しだけ寂しい。

 だから、子供がほしいと思ったのだ。

 両親や姉弟が悪いとは思わない。


 だけど、もし子を授かったなら。

 寂しい思いはさせずに、大事に大事にしようと思ったから旦那様にあんなことを言ったのだ。

 

 白い結婚を貫こうと言えば、きっとあの方は了承してくれただろう。

 その方が、あの方の恋しい方も、苦しい思いをしないでしょうに。


(本当に、私は我が儘ね。王妃様・・・の仰る通りだわ)


 普通に考えたら、姫が嫁ぐにあたって侍女が一人も着いてこないなんて異常だ。

 私はあまり事情に明るくないけれど、きっとこれは世に言う人身御供みたいなものなんだろう。

 違うな、人質というやつか。

 

 私にその価値があるかどうかは別だけど。


(……ここは、王城にいた頃よりも庭が近い)


 私は、ただ何もせずぼんやりと外を眺め続ける。

 これが日課だ。


 城にいた時と、何も変わらない。

 私はただ息を潜めて、ただそこにいるだけの人形であればいい。

 特別生きたいと願っているわけではないけれど、死にたいとも思わない。


(そもそも、私の命は私だけのものではなく、王家の所有物で……今は旦那様のものということでいいのかしら?)


 わからないが、とにかく私のものではないのだ。


 何かを求めるから、辛くなる。

 何かを失うから、泣きたくなる。

 いっそ、最初から何もなければいいのだ。


 それが十八年生きてきて、私が導き出した答えなのだから。


「奥様」


「……どうしたの、アンナ」


「旦那様が、今晩お渡りになると」


「そう」


 共寝をしたのは、初夜のあの一日だけ。

 その後は旦那様が忙しいということで、顔も合わせていなかった。


(きっと恋人さんへのフォローをしていたのね。本当に、申し訳ないわ)


 愛し合う二人の中を裂くだなんて、本当に私は『悪辣』な姫なのだと思うとおかしな話だ。

 私は望んでそうしたわけではないのに、結果としてそうなのだから!


 それでも、律儀に私とベッドを共にしてくれるであろう旦那様にきちんと応えるべきだろう。


「アンナ、旦那様がお渡りになる前に湯浴みをしたいわ」


「かしこまりました」


 久しぶりに会うのだ。

 とりあえずは身綺麗にして、離れについてお礼を言うべきなのだろう。


 私はまた、庭に視線を向けた。

 今日は、いつもよりも時間が過ぎるのが早く感じた。

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