2日目

 国際港のホテルを後にした僕たちは、ノヴァリスと落ち合ってバスに乗りこんだ。僕は窓側へ座り、教授はノヴァリスに言われて前の席に座った。また、そんな彼はハープギターのケースを前の座席に置き、僕の隣に座る。彼からは、ほんのりと優しい島国の花のような匂いがした。

 ふと先日の出来事を思い出し、僕は胸ポケットにしまっていた四行詩を取り出す。

 「これ、そういえば何て書いたんですか?」

 「『謎は嘘より産まれ 真実は錯覚にて創られ やがて歴史は、霧深き神話となる』」

 彼はそれを指でなぞりながら、すらすらと読む。だが、彼は指を三行目で止めて、こちらを見てにこりと微笑んだ。

 「古代文字で書く方が風情があると思って。ごめんね」

 「ああいえ……」

 古代文字で書かれた、四行詩——と思っていた、三行詩をまじまじと見つめ、僕は考える。

 「……最後の単語は何て書いてあるんですか」

 「『ノヴァリス』」

 「——愚問でした」

 僕は紙切れを見つめながら、ノヴァリスにそう返した。


 謎は嘘より産まれ

 真実は錯覚にて創られ

 やがて歴史は、霧深き神話となる


 詩の内容が分かったところで、当時の僕としてはどうということは無かったが、それ以上に僕はこの文字に興味を抱いた。現代の公用文字によく似ている文字であったが、当然当時の僕には想像も理解も及ばない代物だった。

 持ち合わせている書籍の文字と見比べると、なんとなく読めるような、そんな気がした。

 「謎、来る、から、嘘……」

 読めた通りに単語をなぞる。現代の単語を古代文字で書き記したような、そんな風に読むことができた。

 「これ、古代文字を現代の文字に当てはめました?」

 「いいや?」

 ノヴァリスは軽々と僕の説を否定した。

 「むしろこちらの文字が現代の文字に変化した、っていうのが正しいかな。単語もそのままだろう?文明の消失から一千年としか経ってないものだから、意外とあまり変わってないのさ」

 「……『文明の消失から一千年』?」

 「——あっ、ええと」

 僕が聞くと、彼はうっかり、と言わんばかりに口を抑えた。

 「……そう。たった一千年。フロニカが独立する、更に前の話だ。当時はノーヴァ——いや、ドラグナシアの開拓使がフロニカの開拓を進めていた頃だったかな」

 「へえ。そんなことまで知ってるんですか?」

 「その手の詩人だからね」

 ノヴァリスによると、約千年前にドラグナシア北西のアヴァリア島から、西の最果てへ船を出し、終末——当時世界を襲った、彼曰く人災のようなもの——から民を逃がす『愛の箱舟計画』という計画が立ち上がり、その航海で生き残った民が現在のフロニカ人の先祖なのだという。彼らが用いた古代文字は、終末を引き起こした者たちにはわからないように、形を変えて現代の形になった、のだとか。


 バスは沿岸の通りを走る。視界には水平線に浮かぶ諸島の島々を映しながら、悠久の昔に彼らが渡った海を眺めながら、8時間という長い時間をかけて南東の船着き場へ向かう。

 途中の休憩所では、簡単に昼食の弁当を購入して、バスの中で食べた。島国らしく、海岸沿いの小リゾートのような、景観の良い休憩所であったが、バス旅であったためそう長くは居られなかった。


 * * *


 ザリヴ南西——ジャントンと呼ばれる街の船着き場、ジャントン港。本島と各諸島を繋ぐ要のような港であり、諸島観光に訪れる人だけでなく、現地の住民も利用するのだという。

 僕たちは夕刻に港へたどり着き、ノヴァリスの勧めから港の観光を少しだけしてマミド島への高速船に乗ることにした。

 「ザリヴの中で最も人が住まい、最も人が通る街がジャントンだ。とはいえ本島の空港街と比べたら、行く人が違うだけでそこまで数は変わらないと思うけれど」

 「ウム。活気があって良いことだ。地元の者達の交通と商売の要所、といったところだな」

 立ち並ぶ露店と、賑わう人々の喧騒と、目へ、耳へと断続的に入ってくる情報量に頭が追いつかない。フロニカの片田舎からやってきた人間にとっては、学校の学食以外ではなかなか見ない光景だった。

 露店で売られているアクセサリーに目を止めると、赤色の石や貝で作られたネックレスやピアスなんかが置いてあった。島国らしい造形だったので個人的にはとても好みであったが、自分が着けても仕方ないな、という結論に勝手に着地した。

 「お兄さん、これ、気になる?」

 眺め終えて立ち去ろうとする直前に、売り子の少女に声をかけられた。

 「――あ、ええと」

 「この赤珊瑚には、魔除けの力があるの。お兄さん、旅行しに来たでしょ?船旅をするならこれを身に着けておけば、良いことあるかもよ」

 なんだか胡散臭い話だと思いながら聞いていたら、横からノヴァリスが茶々を入れてきた。

 「おや、サーシャさん。またそうやって客を口説いているのかい」

 「ま!詩人さんが一緒に居るって珍しい。口説いてなんかいないよ、学費のために頑張って売り子してるだけ」

 「この前それで一度酷い目に遭っていたじゃないか。伝統だからって、まだ親御さんを説得できないのか?」

 「そんなのいいでしょ。ほら、ね?お兄さんも聞いたでしょ。学校に行くお金が欲しいの。よかったら買ってってよ!」

 桃色の髪を揺らして、青空のような色の瞳で、少女――サーシャはこちらを見つめる。値札を見ると、学生である自分にとってはぎりぎり手の届く価格だった。

 「あ、ああ、うん。わかった。買うよ」

 「やった!」

 持ち合わせているフロニカ紙幣をノヴァリスに即席で両替してもらい、なんとか赤珊瑚のネックレスを購入した。

 「ありがとう!これで今週は怒られなくて済むよ~!」

 ネックレスを手渡す際に両手で手を握られる。

 「ね、お兄さん名前聞かせて!詩人さんと一緒にいるってことはすごい人?」

 「ああ、え、ええと、そこまですごい人じゃないんだけど――」

 僕は自分の名前を名乗りながら、フロニカの学校から研究のためにやってきた、ただの学生であることをサーシャに伝えた。が、サーシャにとってはとてもすごい人間だったらしく、更に彼女の好奇心を掻き立ててしまった。

 「すご……!ハイベリーさんてすっごいね!じゃあこれからサルバトーレ先生に会いに行くんだ!私も行きたい!勉強したい!」

 「お店はどうするんだよ……」

 僕が淡々とツッコみを入れると、サーシャは苦笑しながら「そうだね」と返した。

 「えへへ。無茶言ってごめんなさい。お店でしっかり稼いで、学校に入学できるよう私も頑張る!よかったら帰りにも寄ってね!」

 アクセサリーを身に着けずにバッグへしまった僕は、サーシャにペコリとお辞儀をして乗り場へ向かった。そんな僕たちの背へ向けて、サーシャは大きく手を振った。


 * * *


 ザリヴ観光の高速船で、南東のマミド島へ向かう。

 島内観光に用いられる高速船は運行がとても速く――とはいえ5時間ほどかかってしまったが――、無事にマミド島のホテルまでたどり着いた。

 事前に取っていたホテルであるため今宵もノヴァリスの部屋は無かったが、スタッフの計らいもあり、特別に入室する許可を得られた。


 教授はホテルにつくなりさっさと寝てしまったので、僕はノヴァリスに三行詩や昨日の詩についていろいろ質問することにした。

 書いてもらった紙切れを出し、頬杖をついて唸る。

 「……ノヴァリスさんて、僕らがメフシィ先生の知り合いって知ってあの詩を歌ったり、この詩文を僕に書いたんですよね。あれってなんか意味あるんですか?」

 「意味、意味かあ……」

 ノヴァリスは僕の前の席に座ると、ついに被っていた黒い帽子を取った。

 金色の髪に、赤い瞳の、中性的な若い顔が僕の視界に映る。見ていると吸い込まれるような赤い瞳は、詩文の紙切れをじっと見て、続いてこちらを見た。

 「意味も何も、歴史をそのまま歌った詩文だよ、これは。昨日の詩もそう。あれはまだ途中だったけれど、君がこれから目にする、この大陸が歩んできた物語を唄った詩だ」

 彼はそう言って、懐にしまっていた書籍を取り出す。

 「――まあ、大陸へ渡っていった彼の本はこれだけだし……僕の詩は未だ夢物語でしかないようだからね。まだ信用しなくても構わない」

 「でもあなた、千年前のドラグナシアについて知っていたじゃないですか」

 「かもしれないだろ?」

 きっぱりと彼がそう言ったことに、僕は驚いた。

 「君もサルバトーレも、人の話を鵜吞みにするところは悪い癖だな。まぁ、彼はそのおかげで夢を諦めないで、遺跡を発掘したわけなのだけれど」

 彼はそう言うと、出した書籍をトントンと叩きながら続ける。

 「

 「また詩ですか」

 「はは、さてどうだか」

 冊子を重しにして、卓上に置かれた紙切れを見る。

 詩文から歴史を推測する、という行為は当時、フロニカにおいては非常に稀なケースでのみ必要とされていた。僕や教授が専攻していたフロニカ開拓史は碑文・書籍として具体的に残されており、詩歌となって残っているものはせいぜい英雄譚くらいであったからだ。

 僕が所属していた研究室でもフロニカ開拓史の研究が進められていたが、詩歌に当てられた英雄譚ではなく、碑文・書籍から開拓史を紐解いていき、そこから応用の研究を行う、という簡単なものだった。それでもわからなかったことはわからなかったため、立派な研究ではあったが。

 「謎は嘘より……うーん……」

 彼が言った言葉を思い返しながら、詩文を反復する。だが、いかんせん深夜なもので、頭が回らない。

 「船旅が二日三日かかるからって、夜更かししない方が良いんじゃないか」

 「僕はバスで寝ていたので」

 「そうか、奇遇だね。僕もバスで寝てた」

 へらへらとノヴァリスは返す。

 「——眠れないのなら、一曲唄おうか」

 「ここでですか?教授が文句言いますよ」

 「なら外に出ればいい。潮風に当たりながらうたを紡ぐのも、風情があって良いじゃないか」

 ハープギターを背負い、ノヴァリスは僕を外へ誘った。

 海から穏やかに潮風が吹き抜け、朗らかな海の香りと、夜の香りが混じる。潮騒と虫の声が聞こえる月明かりのステージに立ち、黒衣の彼はギターを構える。

 

 霧を背負った者達は

 こたえを探す旅に出る

 眠りし悪魔と契りを交わし

 二人の戦士が生まれ落つ


 ついに両雄、刃をぶつけ

 世界の封は綻びる

 天と魔とが地へとくだ

 世界は白紙と成り果てた


 そして白と人が残った

 ほどけて読めない本が残った

 両雄は契った悪魔と共に

 時と空とを再び紡ぐ


 しかし運命さだめは変わることなく

 やがて審判が訪れる

 霧は再び歴史を包み

 ほむらは船を西へと運んだ


 聞き覚えのある旋律が、眠りに就く前の僕の頭を支配する。彼の唄う詩は、彼の瞳のように、どこか引き込まれるものがあった。

 潮騒が静寂を彩り、ノヴァリスはぺこりと一礼する。たまらず僕は拍手をした。

 「——ありがとう」


 「今の詩、後ででいいので文字に起こしてもらえませんか」

 夜道を戻る道中に頼んだら、ノヴァリスは快諾してくれた。

 「いい感じに眠いから、後日で構わないかな」

 「ああもう全然。帰るまでであればいつでも」

 お互いに襲い来る睡魔に耐えていたもので、その日の記憶はこの会話を最後に終えた。

 後日、3日かけてマミドの港からドラグナシア大陸へ渡るのだが、ノヴァリスから詩文を貰うのは、その船旅の道中のこととなった。

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