第21話

 謎の人影を見失って。

 私はいよいよ打つ手がなくなった。いや、少なくとも自分の周り――三隅ちゃんとか、西本ちゃんとか薬井くんとか――の誤解を解くという手はあるにはあったが、私が求めるのは周囲に品行方正だと思われることであり、たかだか三人程度どうにかしたところで無意味で、焼け石に水で、無駄で、下らないことだった。いや、三人から始めて徐々に周囲の誤解を……とも考えられたが、二年生の生活は残り数ヶ月。これが終わればクラス替え。再出発とも取れるが、今のクラスの誤解は解けないまま終わる。学年の中に私に不信感を抱く人間がばら撒かれるのだ。注意が必要だった。この数ヶ月の行動が私の命運を握る。私の生徒会長としての人生が決まる。

 何をすべきか迷った。考えた。思案した。だが名案は浮かばなかった。一発逆転を狙える手立てはなかった。私はいよいよ絶望した。どうしよう。どうしよう。

 昼川さんから呼び出しがあったのは、そんな絶望の日々を送っていた時のことだった。木曜日。週も半ばを突破して、何となく気が緩み始めた頃。

「ちょっと」

 と、クラスメイトの市木さんに話しかけられた。彼女は女子バスケ部の部員で、クラスでも中心的なキラキラ系の女子だった。そんな子が、迷惑そうな顔をして、私のところに来た。ひょい、と顔で廊下の方を示した。

「三組の昼川さんが、放課後あんたに会いたいって」

「昼川さんが」

 私は真顔で――多分、真顔で――頷いた。

「そう。社会科準備室だって。あそこほとんど使われないでしょ」

 市木さんはそれから「伝えたからね」と念を押して去っていった。後にはただ、虚しい雰囲気だけが残っていた。

 昼川さんが、私に用。

 何事だろう、と思う反面、嫌な予感はしていた。きっと何か、不吉なこと、不快なこと、面倒なことを言われる。誰もいない部屋を指定してくるあたりにもその気配を感じた。何。何なの。またぬばたま様? ぬばたま様がどうこう言うんでしょ? うんざりだった。ぬばたま様も、この騒動も。

 さっさと終わってよ……。

 そう思いながら過ごす午後の授業は本当に長かった。内容はほとんど頭に入っちゃいなかった。これは復習が必要だな。ため息と同時にノートと教科書を置く。帰りの時間まで、あと少し。



 放課後になると、私は真っ直ぐ社会科準備室は向かった。学校の北。つまり学校がある御滝四丁目の北。おしゃがれさんの上あたり。佶谷寺の屋根が窓から見える。

 部屋に着くと既に昼川さんがいた。私は努めて明るい雰囲気で中に入った。私は入り口のところから手を振った。

「やっほー」

 馬鹿馬鹿しい挨拶だと自分でも思う。でもしないわけにはいかない。

「話って、何?」

 単刀直入に訊く。しかし昼川さんは一瞬ためらうような顔をした後、ちょい、と顎で部屋の奥を示した。もっとこっちに来い。そういう意味だと理解した。

 恐る恐る、部屋の中に入る。

 社会科準備室には棚がたくさんあった。地球儀やら世界地図やら、あるいは辞書みたいな厚さの本だとか、そんなものがたくさん。大きな棚の上に平積みになっているのは提出されたノートだろうか? かなりの数の冊子が積まれていて、今にも崩れ落ちそうだ。それからいくつかの段ボール箱。何が入っているのだろう。古ぼけていて、埃を被っている。側面には『歴史資料集」と書かれている。本当に社会の資料集が入っているのだとしたら、かなり厚い冊子が入っていることになる。

 私が部屋の真ん中あたりに来ると、昼川さんはキッとこちらを睨んだ。さすがにスクールカースト上位、一軍女子が睨むと凄みがあって面白かった。

「本当なのかよ」

 いきなり昼川さんが訊いてくる。私は首を傾げる。

「何が?」

「噂だよ」

 この「噂」という単語が私の心に針を刺したが……しかし努めて表情は変えず返す。

「何のこと?」

「とぼけるなよ」

「噂なんていっぱいあるよ」

 事実のような、虚偽のような発言だった。

「噂ってどのこと? 教えてくれないと分からないよ」

 私がとぼけているわけではないと思ったのだろう――実際はとぼけているようなものだったが――昼川さんはちらりと窓の外を見ると、ため息をついて続けた。

「お前があたしらに個人的な罰を与えてるって話」

 私は鼻で笑った。

「私が? あなたたちに?」

 しかし昼川さんも引き下がらない。

「合阪と赤須に嫌がらせしたろ!」

「何でそうなるのよ」

「二組の石澤が言ってたぞ」

 昼川さんはこちらを睨み続ける。

「あたしらの教室が体育の授業で空いている時、お前がうちの教室から出てきたって」

「見間違いでしょ。隣のクラスなんだし」

 それに……と、私は続ける。

「私、あなたのクラスの保健体育係も兼任してるの。保健のノート取りに行っただけかもよ」

「でもその後に合阪があんな目に遭った。お前は合阪のスマートフォンを弄ったんだ。そして掲示板にあんな書き込みをして……あたしらが森の近くに集まっていることを知っていて……」

「偶然でしょ」

 それよりも、と私は返す。

「ぬばたま様ってやつなんじゃないの? あなたたち熱心にその話してるじゃない」

「ぬばたま様はそんなことしない」

 昼川さんの断定形が気になった。

「ぬばたま様は罰を与えるだけだ。一番残酷な形で。あんな中途半端なことはしない」

「でも合阪さんの一件があった後、みんな『ぬばたま様だ、ぬばたま様だ』って……」

「それは、ぬばたま様が動き出したとみんな感じたからだ」

 感じるって……? 私は首を傾げた。

「ぬばたま様は罪を認めない限り責め続ける」

 昼川さんの声は静かだった。

「罪を認めていない人間にはずっとつきまとう。つきまとって、つきまとって、そして……」

「そして?」

 私が首を傾げると、昼川さんは唇を噛んでそっぽを向いた。

「そのうち分かる」

「どういうことよ」

 私はかっとなって一歩前に出た。それは私でも想定していなかった感情の急騰だった。

 多分、ぬばたま様についてずっと焦らされていたから。

 目の前でお預けを食らうと、たまらなく悔しくなるのだ――いや、なったのだろう。

 とにかく、気持ちが昂った私はつかつかと昼川さんに近づいた。

「ぬばたま様が何だって言うの。何でみんなぬばたま様ぬばたま様って言うの。何が……何が面白いの。そんな無意味な、オカルトな、非科学的なことを言って、笑って、からかって、一体何が……」

「からかってなんかいない」

「でもみんなこそこそ噂してるじゃない」

 と、昼川さんは黙った。その沈黙が、私にはたまらなく不快だった。

「何なの! ぬばたま様って何なのよ!」

「お前、何も気づかないのか?」

「気づかないって何に?」

「本当か。何か変なことなかったか?」

「そんなのいっぱいあり過ぎて分からない!」

 私は昼川さんに一歩近づいた。

「教えてよ。さっきから要領を得ない」

 すると昼川さんは少し黙った。また黙った。私はそれがたまらなくムカついて、いよいよ昼川さんの目前に迫った。

 すると昼川さんは明らかに怯えた表情を見せた。これじゃどっちが呼び出したんだが分かりゃしない。私は強い口調で迫った。

「ハッキリ教えて。ぬばたま様って、何なの」

「なぁ、お前……」

 昼川さんはすっと目線を下ろした。

「あたしらと違う靴下履いてるよな」

 私も目線を落とす。

「赤須が言ってたんだよ」

 その声が、静かに響く。

「先生にも、他の生徒にも教えてなかった……仕返しが怖かったから。でも私には教えてくれた。同じ被害を負いそうなもの同士警告してくれた。『私を階段から突き落とした奴。みんなと違う、紋章の入った靴下履いてた』って……」

「違う!」

 私は叫んだ。

「私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない!」

 昼川をキッと睨んだ。

「私がそんなこと、するはずない!」

「でも実際に……」

「黙れ!」

 私は叫んで昼川をどついた。

 そして、その時だった。

 よろけた昼川は、そのまま背後にあった棚にぶつかった。そうして、棚の上にあった、ノートたちが。そして同じく棚の上にあった段ボールたちが。大きな音を立てて、雪崩を起こして、容赦の欠片もなく、昼川の上に降ってきた。すごい音がした。昼川の「ひゃっ」という悲鳴が聞こえた。

「私じゃない!」

 叫んで、その場を離れる。それから社会科準備室を後にした。

 背後で物音がした。それから聞こえた。

 昼川の、くぐもった声……。

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