魍魎弾丸列車 下
「
「壬生狼……」
男の肌が真紅に染まり、刀身に血が迸った。
「酷え様だ。内側から食い破られてんな。自我なんか残っちゃいねえ」
「残るは一両。お前らが行け」
「お前だけ残す訳には……」
「不貞浪士を斬るのは私の仕事。薩摩男は化け物狩りがお似合いだ」
彼女の口元には笑みが浮かんでいた。
「新徴組に花を持たせるとするか」
鬼面の男が肩を怒らせ、刀身が真紅の棘を撒き散らした。
中沢の抜き放った刀が棘を弾く。横薙ぎの居合に左右の壁が傾ぎ、血の散弾を防いだ。
「行け!」
「頼んだ!」
号刀と㬢は同時に駆けた。
一瞬注意を逸らした人斬りの懐に潜り、中沢が刺突を放つ。
「私は新徴組の中沢琴。お前の敵だ!」
鬼面が牙を剥いた。
紅蓮の刀が脈動し、膨れ上がった刃が鋸の如く旋回する。波状の斬撃が車両上半分を斬り上げ、怒涛の風が中沢を襲った。
思わず手放した刀が宙に浮く。
弾き飛ばされた中沢の制服を、血の棘が後方の扉に縫い止める。
「天誅……」
鬼面の男が彼女の上に屈み込んだ。
「こちらの台詞だ!」
慣性の法則で押し戻された刀を空中で掴み、中沢は迷わず鬼の背に突き立てる。
「吸血鬼を殺すのは心臓に杭を、だな?」
列車が揺れた。傾いた座席が鬼の背に倒れ、金槌で釘を打つように刀の柄を押込む。
魔物の心臓を貫いた刃は、彼女の脇腹にも突き刺さっていた。
「人斬り以蔵、うちの軟弱者どもの方が百倍骨があるぞ!」
鬼の身体が綻び、夜風が赤い塵を運び去った。
「腑は外した。安いものだ……」
中沢は腹を抑えて、崩れた座席に身を預ける。
「結局琴ちゃんのが頑張っちゃったね」
瓦礫の上から気怠げな声が聞こえ、中沢は目を細めた。
最後の車両が切り離された。
号刀は風に煽られながら銃を確かめる。㬢が肩を竦めた。
「考えてることはわかるぜ。手前のせいで仲間が苦戦してるんじゃねえか、だろ? 傲慢だよなあ」
「ああ、どこまで俺が呼んだ不幸かわからない。考えても無意味だがな。せめてこの先で上手くやるしかない」
「手前の疫病神は福の神だぜ。何だって俺を呼んだんだからなあ。不幸も悔恨も全部平らげてやるよ」
「どっちが傲慢だか」
号刀はリボルバーに装填された一発の銃弾を見つめ、懐に収めた。
濛々と流れる黒煙が闇を濃くする。号刀は最後の扉を切り開いた。
「何だ……!?」
広がる光景に号刀は目を見開いた。
車両は巨大生物の体内のように脈動する肉で満ちていた。筋の浮いた肉壁がぼこりと蠢き、張り巡らされた血管が赤く輝く。
「車両を切り離したのは正解だったぜ。吸血鬼が取り憑いてんのはこの汽車自体だ」
㬢は苦々しく呟く。
「どうやって……」
号刀は気が遠くなるのを堪えて思考を巡らせる。
運転席の先からたなびく黒煙と蒸気は仄かに鉄錆の匂いがした。
「タービン! 燃料の代わりに血を使って汽車中に送ってる。奴の心臓部は炭水車だ!」
「本丸がわかったってことか」
「一体どれだけ血を吸ったんだ……」
運転席から赤い眼光が煌めく。
号刀は㬢に目配せし、制服の下の御守りに手をやった。
「疫病神、"不幸"を起こせ!」
後方の車輪のひとつが火花を散らして飛んだ。
急に傾いた車両は大きく尻を振り、唸りを上げて大きく旋回する。
運転席の双眸も一瞬傾ぎ、号刀たちを視界から外した。
横倒しに揺らぐ車両を㬢が疾走する。
汚れた草履の足跡が歯に変わり、肉の壁を食い破った。
運転席が一層赤く煌めく。妖魔はいない。血走った巨大な眼球ふたつが壁に張りついていた。
「気色悪いな!」
㬢の乱杭歯が双眸に食らいつき、弾けた水晶体が白と赤の液体を散らす。
号刀は直進した。粘液を片手の刀で払い、もう片手で銃を握る。引鉄に指をかけたとき、赤い触手が視界の端で蠢いた。
㬢が咄嗟に号刀を蹴飛した。
列車が弧を描いて曲がる。号刀は危うく振り落とされかけて、扉の残骸にしがみついた。
「何する––––」
向かい風に苛まれながら車両に戻った号刀は口を噤む。㬢の全身を赤い棘が貫いていた。
「㬢!」
「来るんじゃねえ。この棘は吸血鬼の牙だ。一発噛まれたら終わりだぞ」
白髪を暗褐色で濡らし、喪服も破れた㬢は低く唸る。
「手前は肉の壁を削ぎ落とせ。その間、棘は全部俺が浴びてやる。刀で破れるぐれえまで削いだら、止めは手前が決めろよ」
号刀は唇を噛み、頷いた。
「悪い。任せる」
㬢が犬歯を剥き出した。
再び運転席から出現した眼球がぐるりと回る。肉の壁が隆起し、真紅の輝きが車両を満たした。
「食らえ!」
号刀は刀を振り下ろした。削げた肉壁が一瞬で穴を埋めて修復する。
号刀は左右に刃を乱れ打つ。線路の凹凸で車両が跳ね、後方に飛び退る光景を血の刷毛が赤く塗る。
無限に湧き続ける肉の壁をひたすら削ぐ号刀に、血の棘が飛んだ。
割って入った巨大な歯が棘を食らい、漏れた散弾が㬢を穿つ。
焦燥が背筋を這い、号刀は汗で落としかけた刀を強く握った。
歯と牙の乱舞の中、全身に穴を開けた㬢が吼える。
「手前がどんだけ血吸ったか知らねえが、俺はこの世に人間ができたときからいるんだぜ。何千年も溜め込んだ飢えと渇きと未練、手前如きに削り切れるかよお!」
眼球が瞬き、㬢の腹を棘が貫く。黒い血を口の端から垂らしながら、㬢は哄笑を上げた。
「穴ぐれえなんだ。俺の腹はずっと空っぽだったんだ。獣も、ひとも、同胞も、全部食っても何にも満たされねえ。だがなあ!」
白髪が夜風に踊り、巨大な歯が左右から迫った。
「冷飯と泥みてえな汁だけで、最近ちったあ腹が膨れたんだよお!」
歯が打ち鳴らされると同時に、号刀は全力で刃を振り下ろす。
肉の壁が一筋抉れ、修復されることなく綻びた。
「行けよ」
血塗れのヒダル神が笑う。
「㬢、助かった!」
号刀は剥き出しの壁を疾駆し、運転席の窓から身を乗り出す。煙と蒸気と闇がない混ぜに視界を阻んだ。
号刀は先端の炭水車に狙いを定め、リボルバー銃を装填し、引鉄を引いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます