32.指輪

「あれれー櫂斗くん、クリスマスに彼女以外の女の子と2人っきりで遊ぶってどういうことですかー?」


 強気に言う沙那。いつもの優しい彼女は、もうここにはいなかった。沙那は今まで我慢してきた桐龍への嫌悪感を全力でぶつける鬼と化していた。


「だ、だから言ってんじゃん! 奏とはたまたまその辺で会っただけで!」

「ありえませんね。まず私がクリスマスにデートを誘った時点で、『予定がちょっと』とか言いながら断ってたじゃないですか。じゃあ予定ってなんだったんですか? 

 私に会うでも、奏さんに会うでもない予定って?」

「そ、それは……」


 桐龍が目をパチパチとしながら後ずさる。動揺しているのは明白。


「私は恋人なんですよね?」

「そ、そりゃあもちろん! 文化祭で改めて謝ったし、俺の恋人はさぁちゃんだけだって!」

「……って言ってくれてましたよね、ほらこんな風に」


 さなはおもむろにスマホを取り出す。録音アプリを立ち上げて過去に収録した音声を流す。

 そこから聞こえてきたのは……?


 ――『俺はさぁちゃんのことしか見てない!』


 文化祭デートに駆り出す前、桐龍が確かに沙那に言った一言だった。あのデートは桐龍を浮つかせるためのものだと思っていたが、まさか沙那がこんなことまでしているとは……。ちょっと恐ろしい。


「私のことしか、見てないんですよねっ!」


 悪魔のような笑顔を見せる。つ、つえぇ……。

 桐龍も、沙那と恋人関係がいまだに継続中であるという証拠を突き付けられたもんだからとりあえずその路線に乗っかってくる。


「ほ、ほら言ってる! そうだよ! さぁちゃんが俺の彼女さんっ!」


 もう自分で言ってて訳わかんないんだろう。

 片方の女の子のご機嫌をとろうとすればするほど、もう片方の女の子を傷つけることになるなんて気づいちゃあいない。


 ――『もう奏のことしか見てないよ?』


 最初は静観していた奏さんがここで動く。撮りたての桐龍のウソボイスを真顔で再生した。


「ひいっ……!!!!」


 この状況に追い込まれた桐龍に、もうなす術なんてなかった。何を言っても、どう動いても矛盾が生じる詰み状態。


 そして2人の傷ついた美女たちは顔を見合わせて心を通わせ、


 ――『俺はさぁちゃんのことしか見てない!』

 ――『もう奏のことしか見てないよ?』


 桐龍の片耳ずつにスマホを押し当て、大音量でその録音を同時再生してやった。


 桐龍は呪いの言葉でも言われたようにブルブル震え、おののいている。

 そして力なく、ヘナヘナと膝から崩れ落ちた。


「こ、これはちがうんだって。その場の冗談というか言葉の綾みたいなもんで……」


「「それ、どっちに言ってる??」」


 2人の声が揃う。桐龍は一言でどちらにも言い訳をしようとしたのだ。芯がなく、二股をしていることを自ら証明したようなものだった。


「私、客観的に見ても美人ではあると思う。学園一なんて言われたりするし。でも高校3年間で彼氏は一人もできたことないの。なんでかわかる?」


 奏さんはかがみながら、桐龍の視界に無理やり入る。強く詰め寄るような口調で。


「櫂斗のことがずうううううううううっと、大好きだったからだよ?」

「さ、さっきも言ってたよな……」

「3年分の積もり積もった想いを、アンタは自分の都合のいいように使ったわけだ。最低だね?」

「悪かったよ……。こんな不誠実なことをしてさ……」


 奥歯を噛みしめる桐龍。そんな彼に追い打ちをかけるように奏さんは強い笑顔でこう言い放つ。


「ううん、いいの。ありがと」

「あり……がと……?」

「うん。こんなクズにこれから割かなきゃいけなかった時間と気持ちがムダにならずに済んだわ」

「く……」

「さっさと私の目の前から去れ、ゲロナルシスト勘違い野郎が」


 完膚なきまでに奏さんに叩きのめされ、桐龍は地面を叩く。奏さんは立ち上がると同時に、桐龍の目の前の砂をキックバック。「ごめんなさいねー」なんてわざとらしい声と同時に砂塵が舞って、高そうなコートを汚す。


「げほ! げほっげほっ!!」


「奏さん、かなり気が強いんだな……」


 そこは沙那との違いってとこか。沙那はそこまで荒々しくなれない性格が根底にあるからな。


 そして件の沙那も、弱々しく地面に座り込む桐龍に体をかがめて接近。


「櫂斗くんが初恋の人だったんですけどね~……」


 優しい口調だが、諦めが強く感じられる。初対面で距離感がある人には敬語を使うようなニュアンス。


「初恋って、人生で一度しかないものなんですよ。それをぐちゃぐちゃにするなんて……サイテーですね?」

「ち、ちがっ……」

「ちゃんと付き合ってた頃から私がイヤなことばっかりして、挙句の果てには二股ですか。モテ男さんはさすがですね、いくらでも替えの恋があって」


 だが窮地に追い込まれた桐龍は、沙那の一見して優しそうな様子に最後のチャンスを見出したようで。


「ごめん、さぁちゃん! この際、奏のことはどうだっていい! さぁちゃんだけは本気の本気で愛してるからっ!!!!」


 どうやら沙那のご機嫌だけを取る方向にシフトしたようだ。奏さんを切り捨てて、沙那の彼氏の座だけを守りに来た。自分の都合に合わせて、その場の言い分やスタンスが万華鏡のようにコロコロ変わる。そういうところが一番ダメだっての、気づきもしないのか?


「……」


 奏さんは何も言わない。立ち尽くしたまま怒りを通り越して、汚物を見るような目できりゅうを見下げている。


「そ、そうだ! さぁちゃんにプレゼントがあって……! これを渡せばきっと仲直りしたくなるはずだ……!」

「そうなんですか~?」


 桐龍はセカンドバッグから小さな箱を取り出す。

 そこに入っているものが沙那用でないことは明らかだ。今日はクリスマス。とすれば、一緒に過ごしていた奏さんに渡すために仕込んでいたものだと考えるのが自然。


「はい、これ! 指輪!」

「私用の指輪ってことですかぁ~?」


 沙那だって一つも信じちゃいない。こんなウソに騙されるやつがこの世のどこにいると思ってるんだ。


 だがすっかりパニックの桐龍はその箱を起死回生の一手だと妄信し、ひざまずきながら小箱を開けてみせる。


「大事な恋人であるさぁちゃんのために、わざわざつくってもらった指輪です」


「どうにかなれ……」と目を閉じながら力強く沙那へと指輪を見せつける。絶対に奏さんをオトすためにつくったそれを。


 沙那はどうしたらいいかわからなくなった感じで目を丸くして驚く。一瞬俺にアイコンタクトを取ろうとしたが、「ううん」とかぶりを振って唇を強く嚙んだ。


 その強い表情を見て、俺は悟る。


 ――もう、沙那は俺なんかに頼らず自力でこの気色の悪い男にケリをつけようとしているのだと。


(いけ……、いけっ! 沙那っ!)


 一人の幼なじみとして、ついつい心が震える。あれだけウブで引っ込み思案でビビりだったさなが、今はすっごく強く見える! 逞しく見える!


 小鳥の雛がタマゴの殻を破って誕生するような。

 つくしが土の壁を突破して地上に姿を見せるような。

 赤ちゃんが初めて両足立ちするような。


 そんな、『進化』の瞬間を俺は目の当たりにしている!

 可愛いだけじゃなく、カッコいい。俺はもう、目の前の沙那の虜になってしまっていた。


「私用につくってくれたってことは、私の指のサイズにぴったりになるってことですよね?」


 周囲の何も気にせず、沙那は魔王のような笑顔を見せながら桐龍にすごんだ。


 桐龍が今にも吐きそうな顔で「た、多分……」となんとか言っているのが虚を突かれている何よりの証明だった。


「じゃあ、今から嵌めてみますね! これで櫂斗くんの人間性がぜーーーーんぶ丸裸になっちゃいますね♪」


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