そうだ、シュトーレンを焼こう

 春陽さんの提案で、クリスマスに備えて料理の材料を買いに行くことにした。

 年末に向けて、どこのスーパーも混雑しているけれど、春陽さんは元気そうだ。


「ちなみに美奈穂さんはクリスマスってなにして過ごしてましたか? わたしは……その頃は年末進行の仕事が多過ぎて、今年みたいにのんびりした年は初めてで、なんだかずっとはしゃいじゃってますけど」

「それは私も同じかなあ……忘年会忘年会新年会新年会……もう行きたくもない飲み会ばっかりで、気分が悪かったから、リモートワーク推奨するようになって、用事ない限り会社に集まらなくっていいから、その手の話もたち消えてくれた今は、はっきり言って楽」

「あらら、そうでしたか。お疲れ様です。わたしは文字通り年末進行だったんで、ずっと忙しかったですね。どこの会社も年末年始は休む癖に、フリーランスには仕事しろって年明けの締切押しつけてきますから、修羅場でした」

「うわあ……本当にお疲れ様」

「いえいえ。今年はのんびり年末年始を過ごせるんで、それで充分満足ですよ。でもそういうことだったら、クリスマスを家で過ごすっていうのもなかったんですかね?」


 そう言いながら、車を停めて、カートを取り出すと、そこに籠を二個乗せて押しはじめる春陽さん。私は大きく頷いた。


「恥ずかしい話、ぜんっぜん。クリスマスツリーを飾るのも億劫で、せめてもの抵抗でクリスマスリースを飾ってたくらいかな」

「……春陽さん。今年はちゃんとクリスマスしましょう。別にどんちゃん騒ぎしなくっても、クリスマスってもっとこう、楽しいものだと思いますんで」

「そうねえ……」


 そういえば、いつからクリスマスを楽しいって感じなくなったんだっけ。思い返してみると、大学の時点で既にバイトをする稼ぎ時で、楽しい日って印象がなかったような気がする。

 我ながら悲しいことを考えながら、スーパーの中に入っていった。


「それで、なにを買うの? シュトーレンって言われても、日頃から春陽さんはいろいろ材料を用意しているから、特別なものを買うって感じがしないんだけれど」

「そんなこともないですかねえ。わたしもパン焼かないんで、たまにしか使わないで、ドライイーストとかないんですよ。じゃあまずは小麦粉から買いましょうか。強力粉とドライイーストを」

「うん……普段ケーキとかつくるのに、わざわざ買うんだ」

「普段使ってるのは薄力粉なんで、ちょっと違いますね。本場のシュトーレンって、お菓子と言うよりも保存食って感じで、要は日持ちするパンなんですよね」

「そうだったんだ……」


 ひとまず乾物コーナーで強力粉とドライイーストを調達すると、その中で春陽さんはドライフルーツのコーナーをじっと見ていた。

 何故かレーズンだけで何種類もあるのを、彼女は凝視している。


「レーズンって、こんなに種類があったんだ……」

「ああ、ブドウの大きさごとにレーズンって違うんですよ。じゃあ今回は三種類買いますね」


 正直、レーズンも三種類買えばずっしりと重い。


「こんなに使うの……?」

「だから言ったじゃないですか。元々クリスマス期間中にちまちま切って食べるものなんで、大きくつくって少しずつ切って食べるんですよ」

「いや、それにしたって多くない?」


 私の人生、多分こんなにレーズンを買った覚えはないと思う。

 ひとりで唖然としている中、カートにまたもなにか放り込んだ。今度はレモンピールだ。


「本当だったらオレンジピールも合わせるんですけど、今回はゆず茶を使いますんで、柑橘ピールは一種類だけで」

「結構本場のつくり方意識しているけど、ゆず茶使って大丈夫?」

「いや、つくるにしても食べるのは日本人ふたりですから。日本人好みの味にしておいたほうが落ち着くかと」


 そんなもんなのかな。

 お酒コーナーではラム酒を買い、更に牛脂を買う。……私の人生で、すき焼きを焼くときくらいでしか見たことがない牛脂の塊を、これだけ買ったのははじめて見た。


「あの、これ本当に……?」

「最初はバターでつくってたんですけど、途中で脂が回ってしまう感じが残念だったんで、牛脂にしたら味がずっとまとまったんですよね。だからそれ以降は牛脂でつくってます」

「私、人生の中でこれだけ牛脂見たの初めてなんだけれど……」

「うーん、割と本場のレシピを確認したら、牛脂使うの多いんですよね。イギリスのクリスマスプディングとか」

「私、あれ食べたことない。おいしいの?」

「どうでしょうねえ。あれも結構好みがありますし。それじゃあ、あとはクリスマスに食べる肉って、リクエストありますか?」


 いきなりシュトーレンからクリスマス当日のごちそうの話に飛び、思わずつんのめる。どうかなあ。私は少し考えてから、「さくさくのチキンフライが食べたい」と言ったら、春陽さんは頷いてくれた。

 七面鳥は、私には荷が重い。

 車を走らせながら「すぐつくるの?」と尋ねると、「いえ」とあっさりと否定した。

 てっきり材料を買ってきたらすぐつくるのかと思っていたのに、春陽さんは「今日はレーズンをラム酒に漬ける日なんで」と言うのだ。

 春陽さんはレーズン三種類をボウルに入れると、そこにポットのお湯を入れてから、ざるでお湯を切った。それを再び綺麗なボウルに入れると、そこにラム酒を注ぎ入れる。


「これをひと晩たったら、つくります。結構びっくりするかと思いますが、手伝ってくれますか?」

「まあ、私でよかったら」


 こうして、まずはラムレーズンの完成を待つこととなったのだ。


****


 私が材料を量りで量って分け、強力粉を漉している間に、春陽さんは牛乳を電子レンジに入れてチンしている。


「それは?」

「ドライイーストの発酵のためですね。それじゃあ今回の分のドライイーストをボウルに入れてください」

「うん」


 私がおそるおそおるドライイーストを入れたところで、春陽さんは牛乳を加えてドライイーストを溶きはじめた。


「それじゃあ溶いたので、漉した強力粉を加えてください」

「ええと、うん」


 春陽さんがゴムべらを用意した中に強力粉を少しずつ加えると、だんだん小麦粉が粘りを帯びてくる。


「これをもうちょっと発酵させてから、待ちますので。その間に室温に戻した牛脂を混ぜてください」

「う、うん。わかった」


 正直、牛脂をボウルにクリーム状にしていると、なんだか冒涜的な気分になってくる。なんでだろうね。私が怖々混ぜている中、蒸しタオルを生地にかぶせた春陽さんは、私のボウルに次々と砂糖とスパイスを加えてくる。

 砂糖、シナモン、ナツメグ、カルダモン。あとアーモンドプードル。牛脂はだんだんスパイシーだけれど甘い匂いに変わっていった。その中に卵を落としてくる。


「そのままよく混ぜてくださいね、しっかりと!」

「わ、かりました……なんかものすごくおいしそうな匂い」

「そりゃそうですよ。それじゃあラムレーズンとレモンピール、ゆず茶も加えていきますね」

「はあい」


 ラムレーズンの芳香に、レモンピースの爽やかさ、ゆず茶のまったりとした匂いで、牛脂クリームだけで、なんだかもうおいしそうなものになりつつある。

 その中で、春陽さんは発酵させていない強力粉をバットに敷いてくぼみをつくった。


「美奈穂さん、ここに牛脂クリーム入れてください」

「はあい。あの、発酵させた生地は?」

「クリーム入れてから混ぜます」


 私がクリームを入れ、春陽さんが発酵生地を加えると、今度はゴムべらからカードに持ち替えた春陽さんが、これらを着るようにして混ぜはじめた。

 スパイシーな匂いが次々と飛び交い、なんとも言えない匂いが漂ってくる。

 切って混ぜた生地をボウルに入れると、それを休ませている間に、オーブンを温めはじめた。

 休ませた生地をキッチンペーパーを敷いた鉄板に載せると、その表面に牛脂を塗り、更に休ませる。最初に比べたら、生地がどんどん大きくなったような気がする。


「私、パンを焼いたことはないけれど、パン生地もこれだけ膨らむの? 最初の倍以上になってる気がするんだけれど」

「そうですねえ。もし余力があったら私もイーストからつくりたいですけど、さすがにそれは時間かかりますし」

「もしかして、イーストからつくる人っているの?」

「いますよ。世の中いろんな人がいますから」


 それは全然知らなかったな。

 しゃべっている間にオーブンの予熱も終わり、生地も膨らみ切ったような気がする。それを焼き、冷めたところで再び牛脂を塗った上で、粉砂糖をまぶしかけた。

 既にこの時点でいい匂いだし、食べたい。


「これで味が落ち着くのは一週間後なんですけど」

「えー……」

「クリスマス直前が一番おいしいとは思いますけど、ひと切れくらいならいただきましょうか」

「うん」


 私たちは、できたばかりのシュトーレンを食べてみる。

 今まで、シュトーレンというとしっとり目のちょっと硬いケーキという印象だったんだけれど。出来たてのシュトーレンは気のせいかふわふわしていて、これはこれでおいしい。

 どれだけ牛脂を塗ったり使ったりするんだと思っていたけれど、意外とバターよりもスパイスやピールの味を邪魔しない。そしてラムレーズンの甘さやゆず茶、レモンピールの苦さがこれまたいいアクセントになっているんだ。


「おいしい……」

「これ、どんどん味が変わっていくので、毎日ひと切れずつ食べて、味を確認していくと楽しいかもですねえ」

「これ、クリスマスまでに本当に残るのかな?」

「さあー?」


 これだけおいしかったら、ひと切れじゃ全然済まない気がするのは、私だけではないと思う。

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