そうだ、鍋を食べよう

 春陽さんの風邪が治った頃、いよいよ本格的な冬になった。雨戸を開けて窓を見ると、曇ってないなと思う。風通しがいいと、曇らないんだなと感心した。

 寒くなったら台所に立つのが億劫になるけれど、それでも私たちはそれぞれ当番になったら台所になって料理をしている。


「さっむい!」


 そう言いながら昨日の残り物のポトフを温め直して食べていたら、春陽さんは苦笑した。


「まだ年末にもなってませんし、一番寒いのは二月じゃないですかあ。大袈裟ですよ」

「春陽さんは寒くないの? 私は全然無理なんだけれど」

「そうですねえ……まあ古民家だったら、どうしても風通しよくなりますし、それは仕方ないかなあと思いますね」

「まあ、ここを買ったのは私なんで、その辺りは私に責任があるけれど、でも寒い」

「そうですねえ……もういっそ今晩は鍋にしましょうか。鍋だったら食べ終わった出汁を残しておいて、明日の朝はリゾットとか雑炊とかで簡単に済ませられますし、なにより温かいです」

「んー……まあそうですよねえ。ちなみに春陽さんはどんな鍋が好きなんですか?」


 最近は楽したい一心で、ひとり鍋用の小さいものばかり買って食べていたから、ふたりで大きな鍋を間に挟んでつつくという発想を忘れていた。私も春陽さんも、そこまで好き嫌いが外れてないから、この辺りはかなり楽なんだけれど。

 春陽さんは私の問いに「そうですねえ」と腕を組んだ。


「基本的に鍋って、私の場合はほぼ仕事でつくってましたから、なにが好きっていうのがあんまりないですねえ……」

「えー……仕事でって」

「冬直前の雑誌でしょっちゅう飽きの来ない鍋特集っていうのをやるんですよね。ただどれもこれも一応は頑張って特集記事用のレシピを開発して出しますけれど、今時の家庭って忙しいし楽したいしで、鍋の素買ってきて、それで好きな野菜買ってきて食べればいいんで、わざわざ出汁からつくりたいって人いないじゃないですか。もしそれでも一からつくりたいっていうのは、初めてできた彼氏に張り切って対応しているとか、そんなんですよ」

「なるほど……?」


 たしかに海外風の鍋って雑誌の特集で載っていて、一度はおいしそうだからとつくってみるものの、大抵二度目はない。最近は本当に鍋の素のバリエーションが豊富だし、具材さえ替えちゃえば飽きが来ないから余計にだ。

「だったら」と私は切り出す。


「鍋の素はあとで買い出しで買ってくるとして、好きな具材はなに?」

「うーん……私、菊菜とレタスが好きなんですよね」

「菊菜はわかるけど、レタスねえ」

「レタス、ベーコンとか塩豚とかと相性がいいんですよ」

「しおぶた……?」

「ああ、知りませんか? 一瞬だけ流行ったんですけどね。豚の塊を塩漬けにしてひと晩置いておくと、旨味が凝縮されて、スープや煮物の味が格段にアップするんです。ベーコンも元々は塩豚を燻製にしたものですから旨味の塊ですし」


 たしかにそれはちょっとおいしそうだなと思う。塩豚の味はちょっと想像ができないんだけれど、ベーコンは困ったときに切って入れたら大概おいしくなるし、レタスともたしかに相性がよさそうだ。


「ああ、なるほどなるほど。いきなり塩豚つくるとなったら一日かかっちゃうし、ここはベーコンの塊を買って代用しようか。それで、レタスかあ……他に好きな具材は?」

「そういう美奈穂さんはどうなんですか?」

「うーん……私は逆にどういう具材かって言われると困るかなあ。どういう味がって言われても困るけど」

「言い出しっぺは美奈穂さんなのに、好きな味とかはないんですか?」


 春陽さんにそう指摘される。でもなあ。


「私、ひとり鍋用の具材セット出汁付きの、一番安い奴を食べて食いつないでいたから、この数年の鍋の思い出は皆ひとり鍋なんだよね。だから好きな味とか具材とか言われてもすごく困る。覚えてないというか」

「……さすがにこれはおいしかったとかは、言えないですか?」


 春陽さんにすごい心配された顔をされるのがいたたまれなくて、私は明後日の方向を向く。


「あんまり、ないかなあ……ははははは」

「うーん。じゃあコンソメスープ風の、洋風鍋ってコンセプトで、ミネストローネの材料を買う感じでいきましょうか」


 そんな訳で、私たちは鍋の材料を書き出すことにした。

 レタス、ベーコンの塊、エリンギ、トマト、鶏肉、えのき。

 ……これって本当にミネストローネとかの材料じゃないかな。まあいいのかな。メモを持って、とりあえず買い出しに行くことにしたのだった。


****


 てっきり固形ブイヨンをお湯で割ったのに、すぐになんでもかんでも具材を入れて煮ていくのかと思っていたけれど、春陽さんは私みたいにズボラではない。

 鍋用の鶏肉を買ってきたら、さっさとそれをオリーブオイルで焼いて皮をこんがりと焼き、白ワインで香り付けをしはじめたのだ。


「鍋ってそこまでするんだ?」

「というより、あとは具をさっさと入れて食べるだけにするんだったら、火の通りにくいものはさっさと通してしまわなかったら手間ですから。トマト鍋にするんだったら、鶏肉を焼いたあとにさっさとトマトジュースを入れて煮るんでけど、今回はスープ風ですからね。できる限りスープは透明感残しておきたいなあと」

「なるほど?」


 私では頭の悪いコメントしか出てこない。

 春陽さんは鶏肉のフランベを終えたら、コンソメスープを注いで、そこにエリンギを投入した。鶏肉の焦げ目の匂いがコンソメスープに流れ込んで、おいしそうな匂いが増す。


「それじゃあ、向こうでいただきましょうか」

「ああ、うん。ガス台は出しておいたから」

「ありがとうございます」


 ひとりだったらなかなか減らなかったガスボンベのガスも、料理上手の人と一緒に食べるとなったら、結構頻度が高くなりそうだなあと思う。

 具材は角切りにしたトマト、さっと切ったえのき、ベーコン。そしてレタス。

 エリンギに火が通ってきたところで、他の具材を入れはじめた。

 スープをすくってボウルに入れ、レタスとベーコンにさっと火が通ったところでいただきはじめた。


「……もっとミネストローネっぽい味になると思ったのに、結構鍋なんだねえ」


 頭の悪い感想しか出ないけれど、春陽さんはにこやかな。


「今時はなんでもとりあえず鍋で煮てしまったら鍋でいいんだと思いますよ。キムチ鍋の素で炊いたらなんでもキムチ鍋ですし。大根おろしで煮たらなんでもみぞれ鍋じゃないですか」

「そりゃそうか。それにしてもレタスってすごいね。いくら煮てもシャキシャキ感が残るし」


 鍋の定番と言ったら白菜だけれど。白菜は煮れば煮るほど柔らかくなるのに対して、レタスはどれだけくたっと煮ても食感のシャキシャキ具合が残ったままだ。それに春陽さんは笑顔で頷いた。


「そうなんですよね。だからレタスを具にするのが好きなんです。あと煮るとほろ苦さが出てくるのが好きなんですよね」

「ふうん……だから菊菜が好きなんだ」

「菊菜は逆にもっとハーブ風の使い方がしたいんですけれど、なかなかいい組み合わせができなくって難航しているところです。菊菜のおいしいサラダの作り方を開発したいんですけれど」

「菊菜って、生で食べれたの?」

「食べられるんですよ、本当は。ただ誰も生で食べようとしないだけで。最近はサラダ用の菊菜も売られるくらいなんですけれど、なかなか難航中です。おいしいんですけどね」


 ふたりでそんなことを言い合いながら、鍋をつついた。

 締めは明日のことを思って、パスタにした。春陽さんは既に茹でておいてあったパスタを持ってきた。


「これって、どうしてるの?」

「茹でたあとにサラダオイルかけて置いてたんですよ。それで固まりませんから。ゆで汁の味が鍋のスープに入っちゃうのが苦手なんで、ちょっと温めたら食べられるのがいいなあと」

「そこまで考えてるんだねえ」

「だっておいしく食べたいじゃないですか」


 そう春陽さんはにこにことしていた。

 締めのスープパスタまでおいしくいただくと、明日の朝も楽しみになってくる。これでつくったリゾットは絶対においしいと。

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