そうだ、初鰹を食べよう

 ゴールデンウィークはだらだらしながら、昼間にビールを飲んでチーズを食べる生活を満喫していたものの、そろそろ終わるなあと、名残惜しく思っている中。


「美奈穂さん美奈穂さん、今日はビール飲んでないですか?」

「ええ? まあそろそろ休み明けだから、馴らそうと思って飲んでないけど」

「よかったぁ……あのう、ガソリン代支払いますから、車出してもらえないでしょうか? 買い出しに行きたいんですけど」


 基本的にうちは、そこそこ都会から離れている分、通販で食材を頼んでいたから、わざわざ買い出しに行こうとするのは意外に思えた。野菜だって春陽さんが仕事の関係で付き合いのある農家から買っていたしね。


「そりゃ車を出すのはかまわないけど。でもなにを買い出しに行きたいの? うちは結構なんでも通販で賄ってたと思うけど」

「ああ、それなんですけど。そろそろ鰹がおいしい季節だなと思いまして、買い出しに行こうかと」

「鰹」


 そっか、五月は鰹の季節だったか。

 鰹の旬は春と秋。春の初鰹はあっさりさっぱりとしていて、秋の戻り鰹はもっちりしっとりしているのが特徴だったと思う。

 どちらが好きかは好みに寄ると思うけれど、私は春の初鰹のほうが好きかなあ。初鰹のほうが臭みがなくってそのまんま食べられるところもポイント高いんだよね。戻り鰹は脂肪を蓄えててトロみたいでおいしいけれど、臭みの処理を考えるのがちょっと面倒。考えただけでジュルリとよだれが出てきたのに、春陽さんはにこにこと笑う。


「じゃあ車出してくれますか?」

「うん。出す出す。帰ったら酒飲んで食べよう」

「はあい」


 こうして、私たちは車を出して、初鰹を買いに行くことにした。


****


 出かけた先は、市場だった。

 海が近いだけあり、この辺りは漁も普通に行われている。有名どころの黒門市場には負けるけれど、ここも充分盛況だ。

 そこで鰹を買うことにした。


「すみませーん、鰹買いたいんですけど」

「はいよ。初鰹はコクが足りないから、たたきにしたほうがおいしいけど、どうする?」

「あ、私はそのまんま食べたいでーす」


 春陽さんはあっさりそう言った。赤身が透き通るほど綺麗な鰹の柵をいただいた。そして市場で野菜を買い足す。生姜に紫蘇、みょうが。あさぎ。薬味ばっかりだ。


「これどうやって食べるんです? 私、鰹は刺身で食べるくらいしか思いつかなかったんですけど」

「うーん、たしかにお店の人が言ってた通り、香りが足りないんですよねえ。だから、香草たっぷりで足そうかと。鰹は漬け丼がおいしいですから、それにしようかなと」

「漬け丼」


 たしかに刺身はそれで食べるのが一番おいしいとは思うけど。

 自分では適当に漬けるけれど、春陽さんはどうするんだろう。私はそわそわしながら家に帰った。

 家に帰ったら、早速春陽さんは、鰹の柵を薄く切りはじめた。綺麗な切り身は透き通っていて、本当にこれが新鮮なものだとよくわかる。


「藁とかあったら、それでたたきにして香りを付けてもおいしいんですけど、あれ結構面倒なんですよねえ」

「ええ、たたきって家でもできるもんなんですか?」

「やろうと思えばできますよー? なんだったら家で燻製だってできますし」


 それは知らなかった。世の中には、私が思っている以上に食を楽しんでいる人たちが大勢いるらしい。

 そうしている間に、「美奈穂さん美奈穂さん」と春陽さんが訴えてきた。


「ボウルに漬け汁つくってもらってもいいですか?」

「そりゃつくるけど。なにでつくるんです?」

「うーん、今回はあくまで鰹を楽しみたいんで。醤油とみりんを一対一、あと買ってきた生姜を皮ごとすりおろしちゃってください。

「わかりました……でも皮ごと?」

「皮の裏っかわが一番、生姜の香りが強いんですよねえ。ですから私は皮は剥いてないです」

「ああ、なるほど。了解しました」


 とりあえず鰹がまるまる入りそうなボウルを流し台から引っ張り出してくると、醤油とみりんをカップで量って入れ、そこにすりおろし器を持ってきて、生姜をすり下ろしはじめた。

 私がある程度生姜をすり下ろしたのを見計らって、春陽さんは鰹を投入してきた。

 もう香りだけで充分おいしそうな気がしてくる。

 炊飯器にご飯があるのを確認してから、春陽さんは買ってきたばかりの薬味をみじん切りにしはじめた。


「そういえば、美奈穂さんは海鮮丼のご飯は白飯派ですか? 酢飯派ですか?」

「うーんと、ご飯のことは考えたことなかったです。でも多分、そのまんま食べたい口だと思います」

「じゃあ白飯派ですね。了解しました」


 そう言ってから、春陽さんはどんぶりの付け合わせの澄まし汁をつくりはじめた。これは出汁醤油をお湯で割って、卵を溶いて回し入れ、薬味をちょっと乗せるだけのシンプルなものだ。

 ご飯をどんぶりに盛り付けると、漬け汁から鰹を取り出して、薬味をこれでもかというくらいにたっぷりと乗せる。赤い漬け汁を吸った身と薬味の緑のコントラストがたまらない。


 鰹丼と澄まし汁の組み合わせをテーブルまで持っていき、ふたりでいただく。

 ビールどうしようかなあと思ったけれど、明日の晩酌までお預けにすることにした。

 初鰹はさっぱりしているものの、漬け汁の生姜に大量の薬味で香りがプラスされておいしい。そして澄まし汁と一緒にいくらでも食べられる。


「おいしい……でも漬け汁に生姜を大量に入れるって発想はなかったなあ」

「はい、おいしいですよね。がっつりと食べたいときはニンニクをすり下ろしたりとかしますし」

「うーん……それ、家から一切出ない日じゃないと厳しそう」

「はい。そんなときは代替案で、しそチューブを使うんです。あれも結構香りの塊ですから、充分おいしいですよ」


 紫蘇はさっぱりした味の代表格だと思っていたから、意外といえば意外だ。でも、漬け汁に入れる薬味で簡単に味が変わるんだったら、試してみるのもありなのか。

 おいしいおいしいと食べていたら、ご飯もひと粒も残らず空っぽになり、澄まし汁のお椀も空になっていた。

 これだけ英気を養ったのなら、ゴールデンウィーク明けの仕事も大丈夫だろうと、初鰹に感謝をした。

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