そうだ、唐揚げの部位を食べ比べよう

 田舎というほど田舎ではなくて、都会というほど都会ではないこの古民家では、買い物に行くときは専ら車頼みだ。でも残念ながら春陽さんは運転免許を持っていない。

 でも彼女はさっさと宅配サービスを利用して、家の食事や彼女の仕事の分の食材を調達していた。その日は真剣に肉を見ていた。


「春陽さん、なんか今日はずいぶんと肉と睨めっこしてますね?」


 その日の一番安い肉、特別な日だけ貯めたもろもろのポイントを大放出させて高い肉を買っていた私は、わざわざ肉の部位を見比べるということがなかった。

 それに春陽さんは「ああ、美奈穂さん」と顔を上げた。


「唐揚げはどこの部位が好きですかっ!?」

「……はい?」


 そう言われて、目をぱちくりとさせてしまう。

 正直、賃貸だと油汚れが怖くて、唐揚げを揚げた記憶がない。そもそも、唐揚げ用とパッケージされている肉を買っていたために、いちいち肉の部位を見ていなかった。


「……ごめんなさい。唐揚げの肉の部位について、考えたことがなかったから」

「なんですと? 唐揚げも部位によって全然味わいが違いますのに」

「そうなんですか……?」


 鶏肉おいしいなあ、これはちょっと脂がしつこいな、唐揚げの衣ってサクサクしているのとしっとりしているのと、どうしてこうも違うのかな。

 それくらいしか考えたことがなかったから、春陽さんの食らいつきに、私は思わず視線を逸らした。


「……ごめんなさい、ささみがなんかパサパサしてるってこと以外、わからないというか……」

「なるほど、つまりは部位について、ちょっとレクチャーしなくちゃですね」

「はい……?」

「美奈穂さん、明日は胃袋空けておいてください」


 何故かものすっごくキリッとした顔をして言う春陽さんに、私はおろおろとする。

 そもそも胃袋空けておいて欲しいなんてこと、生まれて初めて言われた。


「あ、あのう……?」

「唐揚げの部位のおいしさの違いについて、食べ比べてどれがお気に入りが決めましょう」

「は、はい……? あのう、そもそも春陽さん、お仕事で鶏肉買うんですよね? そもそもそんな食べ比べてたら、他のものを食べている暇が……」

「あー、これ別に仕事と趣味の兼用ですから、お気になさらず。今度料理サイトで、ビールに合うおかず特集で写真が欲しいと言われてましたので、唐揚げたくさんで写真は充分撮れますから」

「……なるほど?」


 こうして私は春陽さんに巻き込まれる形で、唐揚げの部位食べ比べを行うこととなったのである。


****


 私の知っている限り、唐揚げは肉を漬け汁に漬け込んでおいて、それに衣を纏わせてカリッと揚げるものだと思っていたけれど。

 春陽さんが台所で真剣に漬け汁を混ぜたり、衣を替えたりしているのを見ていたら、どうも部位によっておいしい味付けの仕方が変わってくるものらしい。

 肉をたくさん買い込んでいた彼女は、それぞれの部位を真剣に揚げている。


「唐揚げって、こんなに真剣な顔で揚げるものだったんだ……」

「まあ唐揚げは、二度揚げしないとカラッと揚がりませんし。あと粉も部位によっておいしいものが変わりますしねえ」

「そうだったんだ……?」


 考えたこともなかったな、そういうのは。

 そう言いながらバットに揚げたての唐揚げを載せて、私に差し出してきた。


「それじゃあ、最初に行ってみましょう」

「これは?」

「唐揚げの王道の、モモ肉ですね。脂と赤身のバランスが一番よくって、食べたときにジューシーです」

「なるほど……いただきます」


 まずはひと口食べてみる。サクッとした衣は油でしっかり揚げた割にはあんまりしつこくないのに、「あれ?」となる。


「おいしいけど……この衣なに?」

「ああ、モモは肉自体に脂が乗ってますから、これ以上しつこくないように、米粉を衣に使っています。米粉だとあんまり油を吸わなくってカリッとした衣が楽しめるんですよ」

「ああ……なるほど……おいしい」


 漬け汁は生姜をしっかり利かせた醤油ベースで、歯ごたえもさることながら、食べるときのジューシーさがたまらない。しつこくなくいくらでも食べられる唐揚げって、中華料理屋の唐揚げみたいだなと思いながら、そこのバットの分をいただいた。

 その間に、春陽さんは次の唐揚げを揚げている。匂いを嗅いでみると、なんかスパイシーな感じがする。そういえばさっき、春陽さんは粉になにかを混ぜていたような。


「こっちは? なんかスパイシーな匂いがする」

「ああ。こっちはムネ肉ですね。こっちは身が引き締まっていてモモよりさっぱりした味付けになります。ジューシーさではどうしてもモモに負けてしまいますが、その分衣に工夫して味付けするんですよ。ちなみにムネの衣は、小麦粉と片栗粉を半々にして、コショウと黒コショウを混ぜています」

「そこまで替えているんだ? でも小麦粉と片栗粉を混ぜるのは?」

「うーんと、小麦粉の場合は時間が経つと衣が水分を吸ってべちょっとしてしまうんです。片栗粉の場合は空洞が大きくなり過ぎて油に跳ねやすいので、半々にするとちょうど扱いやすくなるんですよ」

「はあ……そこまで考えて唐揚げの衣ってつくるんだ……」

「まあ混ぜるの面倒臭いって場合は、素直に米粉使ったほうが楽ですけどねえ。でもわたしは米粉も普通に料理に使いますけど、あんまり料理つくらない人には、まだ扱いやすい小麦粉や片栗粉を使ったほうが、使い切れますけどねえ。粉ものって、あんまり日を置いたらカビとか生えてお腹壊しますから」


 唐揚げに対して、そこまでパッションを求めたことのなかった私は、なるほどと思いながら、そちらのほうも食べた。

 たしかにムネ肉は醤油ベースのあっさりした漬け汁だけれど、衣がコショウでパンチが利いているから、あっさりした味付けって感じになっていない。むしろ肉の味を強調させている気がする。

 そう思ったら、春陽さんは最後に別の唐揚げと肉以外のものも揚げはじめた。


「それは?」

「ああ、これはラストのほうがおいしいんで。わたしも写真を撮り終えたら、ビール飲んじゃいますから」

「ひ、昼間から……?」

「あそっか。美奈穂さんは午後からもお仕事ですもんねえ。わたしは写真さえ撮ってしまえば、今日の仕事はおしまいですけど」


 フリーランスってこちらが知っているよりも楽しそうなんだな。

 妙な感心をしている間に、最後のものが揚がった。

 衣を纏っているけれど、こちらは気のせいか色が濃い。そしてコショウとは違うスパイスの匂い。甘いような……。あときつね色に揚がったものに塩を振りかけて、ようやく春陽さんは油の鍋の火を止めた。


「これは……」

「はい、鶏レバーの唐揚げです。鶏レバーは結構癖が強いんで、匂いを消すためにクミンやコリアンダーを強めに漬け汁に入れました。面倒臭かったらカレー粉買ってきてもいいですよ」

「私、鶏レバーの唐揚げは食べたことないなあ……あとそのきつね色のは?」

「形が結構崩れててわかりませんかね。これ、エノキとエリンギを細く裂いた奴です。これ、唐揚げを揚げたあとの油で揚げると、いい感じに鶏の旨味を吸っておいしいんですよね」

「はあ……」


 鶏レバーは、日頃からしぐれ煮風にこってり煮込んだものしか食べたことがないから、未知の味だ。私はそれをおそるおそる食べてみた。


「……おいしい?」

「そりゃおいしいですよ。スパイスで匂いをしっかり消して、片栗粉付けて揚げました」


 たしかにレバー独特のえぐみが、スパイスを混ぜた漬け汁のおかげで旨味に変わっているんだ。片栗粉の控えめな衣もレバーの旨味を吸っておいしい。

 そして最後にきのこの唐揚げを食べてみる。思っている以上にサクサクな上に、やけにおいしい……よくよく考えると、きのこ自体が旨味の塊なんだから、鶏の脂の溶け込んだ油で揚げて、美味くならない訳がないんだ。塩を振って旨味がより一層引き出されている。


「……これ、午後から仕事じゃなかったら、私もビール飲んでた」

「あはははは。わたしは今日の仕事が終わりだから、ビールいただきまーす」


 春陽さんはさっさと揚げ物をおいしそうに皿にこんもりと盛り付けて、きのこの唐揚げも飾りとして載せて写真を何枚も何枚も撮ったあと、それをネットでどこかに送っていた。

 終わった終わったとさっさとビールとコップを持ってくる春陽さんが憎らしい。

 でも。ふたりで食べても唐揚げは食べ終わりそうもないってことは、夜も食べられるってことだ。


「私、夜になったら絶対に唐揚げとビールで決めるから! 唐揚げ残しておいてね!」

「はーい、じゃあ唐揚げだけだったら難ですし、あとで野菜スープでもつくっておきますねー」

「お願い!」


 夜は唐揚げとビール。唐揚げとビール。それだけで午後からの仕事も頑張れそうだから、現金なものだ。

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