第24話

 とりあえずその後は特に問題が起きる事もなく、無事バイトを終えられた。

 本当に今日は厄日だったのではないかと思うくらい大変だった。しかし、先輩の良太りょうたから言わせれば『夏は平日土日変わらずずっとあんな感じだぞ』との事だった。

 良太は昨年の夏休みからここでバイトをしているので、その意見にもなるほどな、と思わされた。フロアもキッチンもあれほどてんわやんわだったのに、良太が冷静だったのは、こういった地獄を何度も見ているからなのだ。


 ──夏までにバイト変えようかな……。


 そんな事を考えながら、俺はタイムカードを切って、もう一度フロアへと戻る。

 女子大生バイトの木島きじまさんから、ペコリと頭を下げられた。

 木島さんからは、あの後散々謝り倒された。正直、腹が立っていないかと言えば嘘になるが、謝られたらそれ以上は何も言えない。せいぜい『誰にでもミスはありますから』と愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 ちなみに木島さんはこの後深夜まで通しで働くそうだ。大学生は夜十時以降も働けるから羨ましい。

 深夜のシフトはフロアが木島さん一人、キッチンが社員の人と一人ずつで回す。ロイヤルモスト六ヶ峰ろくがみね店は、十時以降はほとんど人が来ないので、この人数でも十分に回せるのだ。

 ちなみに六ヶ峰店は二十四時間営業ではなく、深夜二時までの営業。その後閉めの作業等を行って、最終的に三時で完全閉店である。

 店長はと言うと、一仕事終えたので寝直すと言って、既に帰ってしまった。ちなみに彼は明日朝から夜まで通しで出勤だそうだ。彼を見ていると、飲食業界はかなりブラックなんだろうなぁと思わされる。

 良太も「今日はもう疲れたから帰る、祈織いのりちゃんによろしく言っといて」と言って、さっさと帰ってしまった。

 かく言う俺も今日はかなりぐったりとしていて、疲労困憊だ。ここでバイトを始めてから、一番疲れたかもしれない。そんなくたびれた俺を出迎えてくれたのは──


「お疲れ様、麻貴あさきくん!」

「働き者の日だったわねー」


 四のC卓の天使母娘こと祈織と祈織ママだった。

 四のC卓は四人席で、先ほどまでは祈織とお母さんが迎え合わせに座っていたが、今二人は隣り合わせに座っていた。俺の為に空けてくれたのだろう。


「はは、ほんとに、色々お見苦しいものを……」


 俺はぐったりとして、彼女達の正面に腰掛ける。

 こっちとしては、一番見せたくなかったと言っても過言ではない姿だった。何が悲しくて彼女と彼女のお母さんにジャンピング土下座ばりの謝罪──しかも俺は悪くないのに──を見せなければならないのか。ちょっと恥ずかしくて二人の顔が見れなかった。

 情けないって思われてるだろうなぁ。


「彼氏のあんなとこ見たくなかったよな、ごめんな。お母さんにもお見苦しいものを見せてしまって、本当にすみません」


 俺は二人に改めて謝罪した。

 せっかく食事に来てくれたのに、申し訳ない限りだ。


「ううん、そんな事ない! そんな事ないよ。むしろ私、麻貴くんの事、素直に凄いなって思っちゃった……」


 祈織は心底感心した様子でそう言った。

 俺に気遣っているとか、そういうものではなく、本心から言っているみたいだ。そして、感心していると同時に、少しだけ表情にかげりがある。どこか凹んでいる様にも見て取れた。


「え、どうした? 何かあった?」

「あ、ううん! 何かあったわけじゃないよ」


 祈織が手をぶんぶん振って、慌てて否定してから続けた。


「何かあったわけじゃないんだけど……麻貴くんって凄いなぁって気持ちと、ちょっと悔しい気持ちもあって」

「悔しい? 何で?」


 意外な言葉が返ってきて驚いた。

 あのやり取りのどこに祈織が悔しがる要素があるのか、さっぱり理解できなかったのだ。


「だって……私だったら絶対にあんな事できないもん。きっと私も……あの店員さんみたいに、怖気づく事しかできなかっただろうなって」


 祈織はきゅっと眉根を寄せて、何かに耐える様な顔をしている。

 一方の俺は、もっと意味がわからない。どうしてあのやり取りで、祈織がこんな顔をするのだろうか。

 困惑してお母さんの方を見てみると、こちらは娘とは対照的に笑顔で、更にわけがわからない。


「ほら、ちゃんと言わないから麻貴さんが困ってるじゃない」


 お母さんがそう言うも、祈織は「うぅ」と顔を伏せて小さく唸るだけだった。


「祈織はね、あなたが一人で大人になってしまっている様な気がして、それで焦っちゃったのよ」


 娘の気持ちを代弁する様にお母さんが言って、「ね?」と祈織に同意を求めた。

 祈織はお母さんをちらりと見て、黙ったままこくりと少しだけ首を傾けた。こちらと目は合わせてくれない。


「大人、ですか。正直に言うと、そんな大それたもんじゃないんですよ」


 俺はちらりとフロアを見て、木島さんが近くにいない事を確認してから続けた。


「俺はただ、そうした方が早いって思っただけなんです。あの場だと、俺がすぐにああして謝れば丸く収まる。むしろ、あのまま木島さん……あのアルバイトの子に任せておけば、あのお客さんをもっと怒らせてたと思います。そう判断したからああしただけで、別に木島さんを助けようとか、そんな崇高な気持ちでやったわけじゃないんですよ」

「ふぅん? じゃああなたは、恋人や恋人の親がいるにも関わらず、しかも自分が悪い事をしたわけでもないのに、〝その方が丸く収まるから〟頭を下げた、ってわけなんだ?」

「はい……そうなりますね。プライドとかないんですかね、俺。すみません」


 俺は苦笑いを浮かべて、祈織のお母さんの言葉に素直に頷いた。

 こうして言われると、自分はとことんの合理主義で、そこには感情すらないのではないかと思わされてしまう。これだと祈織の彼氏としては任せるのは不安だ、と思われてしまうのではないだろうか。

 ふとそんな不安を覚えていたのだが、祈織のお母さんは穏やかに微笑んだまま、うんうんと何かに頷いていた。

 祈織は祈織でこちらと目を合わせてくれないし、お母さんのその笑顔の意味もわからないしで、俺はまた首を傾げるのだった。

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