浮瀬くんは死なない

優衣羽

一、お久しぶりです、浮瀬くん 


 待ち人を待つ。

 今も昔も来世でも、

 変わらずその場所で、貴方を待つ。 



 金木犀の香りが嫌いだ。


 鼻の奥まで届くその匂いはどこか爽やかで、石鹸と言っても遜色ないような、言葉では言い表せない秋の香りだ。生垣は街を彩り橙の小さな花がこれでもかというくらい密集して香りを充満させている。酔いそうなほどの香りに、日本人は桜と同じで季節を感じる。といっても、桜は色彩で楽しむものだが。


 ともかく、金木犀の香りが嫌いだ。九月末、季節を感じさせる匂いがわずかでも鼻に掠めた瞬間、私の眉間に皺が寄るのが分かる。嗅がずに訪れる秋があるとすれば、海の向こうまで逃げるしか他ない。それも、一年の季節が代わり映えしない土地まで。


 小さな橙の花だって嫌いだし、人間の背を簡単に越してしまうほどの大きさになるのも嫌い。あれだけ充満させておきながら、秋雨で、一瞬にして消えてしまうのも。花はいつだって忘れたい記憶を色づけさせる。


 詰まる所、私はこの花の咲く季節が嫌いなのだ。


 温暖化が加速し年々暑くなる夏が過ぎ、ようやく過ごしやすくなった季節を人々は喜んだ。二学期が始まってもうすぐで一ヶ月が経とうとしている。時折寒くなる夜には制服のシャツ一枚とベストだけでは心もとない瞬間がある。


 ブレザーを羽織ればいいんだろうけど、それは十一月頃まで取っておきたい。早くから着ると冬には寒さに耐えられなくなるからだ。だから薄手のベージュ色のカーディガンを着て腕まくりをしている。これは小さな意地ともいえる。


 悪態をつきそうになる口を閉じるため駅のコンビニエンスストアで買った新作のガムを噛んだ。梅味のガムはガムにしては随分と再現度が高く酸っぱくて適わなかった。梅味も好きではないのに。私はこの季節になるとおかしくなる。時間が経ち歩き出して随分と長い時間が経ったくせに、季節が私をあの頃に留めさせようとするのだ。


 校舎が目に入った時、校門の前に生徒が立っているのに気づいた。まだ少しだけ酸味を残したガムを上顎にくっつけ、何も食べていませんと言った顔で通り過ぎる。すぐ後ろの生徒が制服を着崩しているため捕まっていた。適当に誤魔化せばいいのに。というか校門前で直せばいいのにと思いながらも、私は校舎の中に入っていく。


 曲がり角を曲がり、階段を上る手前でこっそりスカートを二回ほど折った。ベージュ色のチェックスカートは少しだけ短い方が可愛いから。


 上顎につけていたガムを教室に入った瞬間捨ててやるんだと謎に意気込みながら二階分階段を上がり、長い廊下の前から三番目に入った。後ろのドアから入った瞬間、私の顔を見て表情を明るくさせた二人に軽く手を挙げる。


「おはよー」


「おはよ千歳ちとせ


「ねぇー聞いて!さっき校門で風紀委員に捕まったんだけどー!」


 眼鏡をかけ長い黒髪をかき上げている美人と、ピンクのカーディガンに短いスカート、巻かれた明るい髪が印象的な――ギャルが私の席の周りに集まっていた。


「ピンクカーディガンは校則違反じゃないじゃん!」


「カーディガンの前に言われる所があるでしょ莉愛りあ


「スカートよスカート。あんたその長さで登校したらそりゃあ怒られるわ」


「千歳だって短めだよ!」


「甘い、私は校舎に入ってから直した」


「ずる!果南かなん、どう思う!?」


「千歳が正解」


「えー!!」


 ピンク色のカーディガンに隠れてしまうのではないかと思うくらい短いスカートを、これが可愛いのにとつまみながら文句を言うのは阿坂あさか莉愛。見た目は派手だが明るく友達思いな子だ。


 黒いカーディガンに第一ボタンを開けネクタイを締めている眼鏡の美人、みなみ果南は呆れたように前の席に座って足を組んだ。同い年だと言うのに仕草一つが色っぽい彼女に、一体どうやったら高校二年生でそんな色気が出るんだと莉愛が真剣に悩んでいたのが記憶に新しい。


 自分の席に着き鞄を開けノートを机の中に入れていく。教科書はロッカーに入れっぱなしだから荷物が少なくて助かっている。ポケットの中に入れたガムの包装紙を取り出し梅味のガムを口から出した。酸っぱさに顔を歪めこれ以上見るものかと念を込めごみ箱に捨ててやった。


「あげる」


 残りのガムを莉愛の手に乗せると彼女は嬉しそうにお礼を言った。その笑顔はとても可愛らしくて、顔は可愛いのになあと思いながら果南と目を合わせた。


「てか珍しくない?千歳がガム食べるなんて」


「しかも梅味だよー?莉愛は好きだけど千歳嫌いじゃんかー」


「ね、何で買ったんだろう」


 買った理由なんて気づいているくせに知らない振りをした。今の私には必要ない事だから。


「それでさー莉愛放課後呼び出し食らったんだよ」


「馬鹿だ」


「学習しないな」


「二人とも酷い!」


 抜き打ち検査に見事引っ掛かった莉愛は放課後職員室に行かなければならないらしい。だからその瞬間だけでも真面目な振りをしておけばいいのに。


「うちの学校基本自由なのにー」


「莉愛ピアス外していかないとだめだよ」


「果南と千歳もピアスしてるのにー!」


「髪の毛で隠すって手があってね?」


 長い髪を払った果南の耳には二つの輝きが見える。偽物だが宝石のように光り輝く青は彼女が誕生日の日に私たちでプレゼントしたものだった。私の両耳にも一つずつ穴が空いている。


 ある程度の学力がある高校では校則が緩い事が多い。この学校でもそれが反映されていて、ピアスを開けていようが髪を染めていようが、ちゃんとした場で服装をただせば特に怒られる事もない。もっとも、金髪とかピンクの髪色だとか、分かりやすく派手な色に染める人もいないからだ。体育祭の時は別だけど。


 莉愛の耳には小さなハートのピアスが着けられていて、右耳に二つ、左耳に三つほど穴が空いている。お洒落でしょと彼女は笑うが実際似合ってはいるけれど今日くらい隠せばいいのにと思ったのは私だけではないだろう。


 ピアスを開けたのはちょうど一年ほど前の高校一年生の時だった。特別開けたい気持ちも無かったのだけれど、二人が開けようと私の誕生日に誘ってきたのが始まりだった。秋の誕生日はいつも決していい気分にはなれなかったから、開ける事で何かが変わると思ったのだ。


 よく、ピアスを開けると運命が変わると言われていたから、それにあやかり私も一緒に開けた。一年経ち運命が変わったかと言えば否だ。今年も変わらず秋は嫌いだし、たかが一年の時間がそれまで積み重ねてきた時間を越せるわけがなかった。


「ねぇー今週末どうするー?」


 私の机に両腕を伸ばしだらけている莉愛の腕の上に、同じように両腕を伸ばしてのっ

 かる。


「千歳の誕生日におでかけ出来なかったから」


「テストもあったからしょうがないよ」


 一週間前は誕生日だった。しかしテスト期間と重なった。去年はちょうどテストが終わる日だったのだけれど、今年は残念な事に真っ只中だったのだ。しかしプレゼントも祝いの言葉も貰ったから私は充分だったのだが、二人はそうじゃないらしい。




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