じゅうよんっ


「まったく、人騒がせにもほどかありますよ!」

「「「本当にすいませんでした」」」


 警察署、その署長室にて。


 不本意だが、低姿勢でお詫びするしかなかった。俺、キャプテン。そしてタブレット端末越し。異国の地で医療に従事している秋田黄葉あきたこうよう――俺の父さんも、申し訳なさそうに頭を下げた。


「本当にウチの人がご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」


 神妙にキャプテンの隣で頭を下げるのは、マネージャー。その立ち振る舞いが、すでに奥様だ。でも、この夫婦コンビ、そこらへん全く無自覚である。


「あ、いやお嬢さん。こちらにも落ち度があって。緊急性、情報の正確さを加味して、判断するわけなのですが。まさか、警察庁長官を始めとした要職や識者から、捜査要請が殺到するとは思わなかったもので。県警も指示命令系統が一時、パンク状態になりまして」


 はい?


 思わず父さんを見れば、そっぽを向いて、口笛を吹いている。【音量0ミュート】にしているから、全く意味がないからな。


「まぁ、小児心臓外科の権威ですからね。秋田先生に命を救われた、小児は数知れず。警察庁長官もその一人ということですよ」


 署長が小さく、笑む。


「まさか、特殊強襲部隊SATや第1空挺団が派遣されるとは、私たちも思いもしなかったんですけどね」


 はひ?


 聞いたことがある単語に、耳を疑う。SATは警察所属で。第一空挺団は陸上自衛隊所属の、いわゆる有事――それこそテロに対応する特殊部隊である。キャプテンとバスケに興じていた時に聞こえた、ヘリコプターの音。その正体は、陸上自衛隊・第一空挺団だったワケだ。


「……な、何やってるのさ?!」

「い、いや。だって、心配だったから。とりあえず、頼める人に頼もうって思ったの」

「良かったね、キャプテン。一つ間違ったら、射殺だもんね」


 にっこり笑って、指で銃のポーズ。BANと撃つ素振りをみせて。いや、日本で即発砲はあり得ないでしょう。それにマネージャーの笑顔が怖い。


「……あぁ、そう言えば、捜査本部の会見中でしたね」


 とテレビをつける。きっと、マネージャーの圧力に署長が耐えられなかったに違いない。


『――以上、捜査本部からでした。それではスタジオに戻ります。記者会見では、狂言誘拐ではなく、単なる勘違いであったことが説明されました。さて、ここからはコメンテーターの皆さんからご意見をいただきたいと思います。

まずは犯罪心理学に興味がある、元アイドル。現芸能プロダクション社長、上川小春さんです。上川さん、この事件どう見られましたか?』


『そうですね。まずは何事もなくて本当に良かったと思います。今回、不幸な誤解で大騒動に発展しましたが、やっぱり男の子ですよね。そこは片目をつぶってあげたいかな。これはママ友の話なんですが、可動式本棚の奥に、図鑑カバーに収まるカタチで、秘蔵のお宝があったらしいですよ?』


 そのコメントを聞いた途端、キャプテンはゲホンゲホンむせ返り、マネージャーは「図鑑のカバー、図鑑のカバー」と呪文のように呟いている。


 余計に気まずい――。


 そう思ったのは、署長も一緒だったようで。静かにリモコンを手に取り、テレビの電源を切った。


 一瞬の沈黙。


 コンコンコン。ドアをノックする音に、キャプテンは安堵した顔に。そして、俺はこみあげる苦い感情を、唾ごと飲み込んだ。


「お兄――」

「お兄ちゃん――」

「お兄さん――」

「「朱理――」」


 へ? 狭くは決してない署長室が、いっきに熱気と人口密度が増える。


 朱梨、黄島、海崎が来ることは納得だが、観月ちゃん。そして彼女のお母さん。栞ちゃん、さらに不特定多数の顔も知らない大人たちが顔を揃える。

 何が起きたのかと、目を丸くする。

 でも、そんな人達よりも早く、影が奔る。


「……花園?」


 花園が手をのばしかけて――その手も足も止まる。


「しゅー君――」


 まだ、その言い方で呼ぶのかと、苦笑が漏れ――そうになるものの、喉からこみあげた言葉は、空気となって消えてしまう。


「しゅ、しゅー君。しゅー君、ご、ごめんなさい……」


 双眸から雫がこぼれ落ちそうで。

 手をのばそうとするのに、その手が止まって。


 まるで迷子になった子どもが両親と再会をした瞬間。会いたい、でも怒られないか。そんな心配をしている。迷いを、その表情に浮かべる。


 感情が攪拌されて、混乱して。きっと花園自身、どうして良いから分からないんだと思う。母さんが、目を覚まさないと知った日。あの日の朱梨と、その顔が重なってしまう。


「いや、別に花園は悪くないだろ? 俺が勘違いをさせたというか。でも、大丈夫。本当に大丈夫だから――」


 まだ空港は閉鎖されている状態だから、父さんの帰国はもう少し待たないといけない。でも、もう花園に迷惑をかけないから。そう言葉を紡ごうとした刹那だった。



「「せーの! で! どーんっ!」」


 は、い?

 聞こえたのは、観月ちゃんと栞ちゃんの声。

 背中に感じる衝撃。


 何が起きたのかと、目を白黒させてると、俺の胸に顔を埋めるように、花園の顔があった。


「あ、花園、こ、これはその俺がしたかったワケじゃなくて――」

「お兄ちゃん、据え膳食わぬは男の恥、だよ!」


 ビシッと、観月ちゃんが俺の弁解を台無しにしてくれる。今言うことじゃない。なおさら気まずい。

 と、栞ちゃんまで、ビシッと指をさす。お調子者の観月ちゃん、しっかり者の栞ちゃんというイメージが強い。ここは、藁にもすがる思いで、栞ちゃんのお姉さんっぷりに期待したい。


「違うよ、観月ちゃん」


 と栞ちゃんが言う。


「こういう時は、こう言うの。『据え膳と河豚汁を食わぬは男のうちではない』だよ」


 君もか!

 意味、同じ。まったく意味が一緒だから! なんで、保育園児がそんな言葉を知っているのさ!

 見れば、二人の母達は頭を抱えていた。


「へぇ」


 と興味津々と言いた気に、朱梨が目を丸くする。


「懐かしいなぁ」

「何が?!」


 むしろ懐かしんでないで、今この瞬間フォローを入れて、妹よ!


「泣きたい時、そうやって抱きついたっけ。お兄って暖かいから、安心するんだよね」

「それ、お前が小学校の時の話だろ――」


 そう言いかけた瞬間、体温に包まれた。

 花園が俺を抱きしめたのだ。


 思わず、目を丸くする。


 花園の方が少しだけ、背が高い。むしろ、俺が抱きしめられているような感覚に陥る。


「あの、花園――」

 声をかけるが、感情が決壊した花園は、言葉にならない。

 泣きじゃくる、ってこういうことを言うのかもしれない。


 涙が、首筋に。肩に。俺の頬に、手の甲に落ちて、止まらないのだ。


 あぁ、そうだった。今さらながらに思う。本当に幼い時の朱梨と、花園が重なってしまうのだ。もっと花園と距離を置かなくちゃ、って思うのに。一生懸命に頑張る花園花圃という子を、これ以上傷つけたくないって、そう思うのに。

 気付いたら、朱梨をあやすような感覚で、その髪に触れていた。


「しゅー君! しゅー君! しゅー君!」


 花園の連呼が止まらない。声にならない。言葉にならない。その言葉を全部、受け止めることしか、今の俺にはできなかった。





■■■




「あのさ、朱理。ちゃんと、花園さんと話せよ?」


 黄島の声が、鼓膜を震わす。思わず、顔を上げて、黄島を見てしまった。


「本当に拒絶したいくらい嫌だったら、こんなに心配をしないからね?」

 視界の隅に映る、みんなの表情カオは笑顔だった。

 




■■■





 しぃんと静まり返ったプレイルーム。


(結局、戻ってきちゃったのか――)


 乾いた苦笑いが漏れる。

 意を決して、保育園を出たのに。あの時の決意はいったい、何だったんだろう。


 初日、子ども達の歓声が台所まで、聞こえてきたのに。今は当たり前だけれど、こんなにも静かで。ただ、隣の花園の小さな息遣いが、やけに耳につく。その声に嗚咽が混じっていないのが、せめてもの救いだった。ただ、俺の袖口を掴んで、逃さないと言わんばかりの意志を感じる。ただ、どちらかというと、迷子の子どもに見えてしまい、やっぱり頬が緩んでしまう。


 俺たちはプレイルームのステージに腰をかけていた。子どもがまたげる程度の段差。腰をかけるにには、丁度良かった。

 

 ――あとは、若い二人でしっかりお話してくださいね。

 

 べつに大人たちが気を利かせたワケじゃなかった。


(むしろ、そんな気遣い、不要だからね)

 小さく息をつく。


 朱梨、海崎、観月ちゃん、栞ちゃん、そしてマネージャーが、仲良くニシシと笑う。うら若き乙女全員がオバさんに見えた瞬間だった。


 沈黙が続く。時々、袖口を掴んだ手が、その位置を変えて、また引っ張られる。最初にどんな言葉を紡ぐべきか、言葉を探しては、悩んで。逡巡して。結局、言葉にならない。


「花園……」


 結局、思考がまとまらないまま、見切り発車で呼ぶことしかできなくて。その後に、続く言葉はまるで真っ白なのに――。


「しゅー君は、もう私を名前で呼んでくれないんですか?」

「へ?」


 俺は目を丸くさせた。いや、それ以前に花園はいつまで「しゅー君」予備を続けるつもりなんだろう。


「いや、だって。花園、お前は――」

「名前で呼んでくれないんですか?」


 まっすぐに。ただ、まっすぐに花園目は俺を見る。その眼差しに吸い込まれそうになる。


「だって、花園。お前、男は苦手だって。絶対、名前を呼ばれるのは、好きじゃないだろ?」

「はい」


 こっちが拍子抜けになるほど、花園はコクンと頷く。


「好きじゃないというよりは、拒絶反応が出ます。あの人を思い出すので」

「あの人?」


 思わず、ゴクリと唾を飲み込む。


「父親です」


 無機質に、そう言葉を返す。教室で見せる、鉄の聖母様。まさに、そんな顔だった。


「でも、友達にまで、そういう反応をするのは違うって思うんです……いえ、違いますね。私が、もっとしゅー君と仲良くなりたいって、そんな欲が出ちゃったんです」


「いや、だから。その【しゅー君】って呼び方――」


「しゅー君は、人と距離を置くのが、クセになっているって、湊ちゃんが言っていました。湊ちゃんと、黄島君にも距離を置いているんですから、私なんかいつまでたっても、その距離を縮められると思いません。だったら、私から距離を縮めるしかないじゃないですか」


「花園、そこまでしなくても――」

「そこまで、しますよ。だって、しゅー君と話すのが本当に楽しいって思ってしまったんです。だったら、名前を呼ばれるぐらい。それぐらい、乗り越えなきゃって思ったんです」


 なんでこのタイミングで、と思うけれど。海崎の声が頭に響いた。


 ――え? え? これ、朱理と花花ちゃんよね? え? だって、花花ちゃん、男の人が苦手で……え? この短時間で、キミ達、いったい何があったの?


 そうかと妙に納得してしまって。


 花園と仲良くなりたいと思うの同じくらい、花園も俺と友達でいたいと思ってくれたのか。妙にこそばゆくて――でも、拒絶されたらと思うと、やっぱり怖い。


 視線と視線がからんで。

 深呼吸をする。


 嫌煙されることも。拒絶されることも、今に始まったことじゃない。もう慣れた。そう言い聞かせる。それなのに、喉がカラカラ渇いて、思うように言葉が出てこない。


「花――」


 緊張しすぎて、言葉につまった。

 花園が、目を見開く。

 そんな彼女の反応を見て。


(言わなきゃ、よかった――)


 後悔の感情ばかりが、押し寄せてきた。

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