10月29日 2

 蒐は押し倒された姿勢から上半身だけ起こして胡坐をかいた。少女は変わらず仁王立ちで見下ろしている。胸の位置で腕を組んで、決して油断しないという姿勢を見せている。お互いにその場から動いていないため二人の距離は近い。白いブラウスの上からレースアップで締め付けたワインレッドのベスト。ベストと同じ色味の厚い布地のロングスカートという服装は、真っ白な彼女の肌といいコントラストになっていた。どこかの民族衣装だろうか。

「一つ目や。お前がここに来た目的について。どんな内容を答えても乱暴なことはせぇへん。でも正直に言うことやで」

 

 出刃でば包丁が果物ナイフになった程度ではあるが、先ほどより多少柔らかい口調で少女は話す。幼い顔をしているが、近づいてよく見てみればスタイルがいい。身長だけなら巣南すなんよりも高いだろう。丸腰の見立てもいい加減だ。

「ここに来た目的はさっきも言っただろ、君が心配だったんだよ。ここは禁忌きんきの山って呼ばれていて、入った人が不幸になるからね。近づいていったから、連れ戻そうと追いかけたんだよ」

「なんやただのお節介かいな、でも怪異かいいが視えるくせに、ようここに近づく気になったな」

「え、怪異が視えるって何で知って……」

「お前が質問すんなや」

 蒐には決して無視できないフレーズが少女の口から出てきたが、目的以外の会話をしてくれる気はないらしい。少女の佇まいや口調には不思議と威厳いげんがある。逆らえないオーラが出ているのだ。

「まあ、最初の質問の答えはそれでもええわ、驚かせて悪かったな。あんたがどっち側かわからんかったんや。ずっと観察はしていたんやけどな」

 また、よくわからないが、聞き逃してはいけないワードが少女の口から出てくる。これもまだ聞くことはできないのだろう。

「気を取り直して二つ目いくで。お前、自分の能力や、それに類する世界の状況について知っとんのか」

 

 今度の質問は完全に意味が分からなかった。一体何を話しているのだろう。日本人離れした少女の言葉だから理解できないのだろうか、しかし言葉は確実に日本語である。そもそも彼女は日本人なのだろうかという疑問がわいてきた。

「なんや他のこと考えてへんかおまえ、まず質問に答えんかい」

「答えるも何も、質問の意味が理解できないんだよ。俺が怪異が視えるのと関係してるのか?」

「質問を質問で返すなや、まあでもしゃーないか、その程度の知識ってことが今のでわかった、観察して導き出した結果とおおよそ同じやな。お前自体は人畜無害や。この質問はこれでおしまいやな」

 

 上手くこちらの聞きたい内容に誘導しようと思ったが失敗に終わった。乱雑さの反面、冷静で慎重な性格でもあるようだ。

「まあいい、三つ目の質問や。これは二つ目の質問の続きみたいなもんやけどな。あんた何も気づいてないみたいやから、期待してる答えは返って来ぉへんとは思うが一応聞いとこか。あんた、昨日視た怪異をどこにやった?」

 昨日視た、怪異。

「儀式が終わった後、あんた視たやろ、鬼を」

「そ、それは……」

 心当たりはある。蒐は確かに視た。長い前髪の隙間から、切れ長の目を覗かせるとても美しく青白い鬼を。

「なるほど視たんやな。それなのに今も平然としている状況が、さっきの答え合わせみたいなもんや。裏付けっちゅーやつやな。お前は自分の変化に何も気づいていないんや。ある意味で幸せやな。お前の目の前に現れたのがどういう存在か、どこに消えたんか、なぜ現れたんか、その怪異の名前すら知らん。そもそも世界の根幹部分に潜む者たちの存在すら知らへんのやからな」

 

 少女は蒐にその幼くも整った顔を近づける。目を見開いて蒐の視線を逃さないと覗き込む。温かい吐息が顔にかかる。柔らかな甘い匂いが充満する。彼女は蒐の覚悟を見定めるように目を見続ける。今から決闘にでも望むかのように

「た、確かに視たよ。覚えてる。でもあのあと鬼はどっかに行っちゃって、それきりだよ。急にあれこれ言われても、意味が分からない」

「せやろな、でもこれはもう運命や、何でこんなことになってしもうたかなぁ」

 そのまま少女は座り込んで俯いてしまう。溜息までも聞こえてきた。蒐が何もできずにいると、少女は突然立ち上がり、蒐の胸をえぐるように鋭く手を伸ばした。

「ぐっ、な、何を……?」

 少女の手は蒐の身体を突き抜けているが、痛みはない。

「特別サービスで荒治療したるわ。お前には恩を売ってこちら側に居てもらったほうがええからのぉ!」

 

 言い終わると同時に、少女は蒐の中に伸ばした手で何かを掴むと、掴んだそれを引きずりだした。蒐に痛みはない。体の中から何かが抜けていく感覚もない。少女が蒐の体の中で掴んで引きずりだしたそれは、青白い着物を着て長い黒髪、頭から角を生やした美しい女性の形をしていた。

「えっ、昨日の鬼?」

「いいいい痛いです、や、やめてくださいませ!」

 少女に引きずりだされた異形いぎょうの鬼は、抵抗するように地面に仰向けになりじたばたとしている。未だ少女に頭を掴まれたままで、抜け出す力がないらしい。

「にしし。あんた、青行灯あおあんどんやな。戦う力なんぞろくにないって聞いてたんやが、ホンマなんやな」

「そ、そういうあなたは西欧せいおう吸血鬼きゅうけつきですね。大変珍しい種類をしていますが間違いないです。それより、この手を放してください。痛いんですぅ」

 奇妙な笑いを浮かべた後、特に反撃してくる様子がないことを確認して少女は鬼から手を離した。解放された鬼は少女の視線から逃げるように蒐の後ろに隠れる。蒐は目まぐるしい展開に状況の理解が出来ていない。青行灯は非難するように少女を睨んでいる。

「あー、なんや、色々と状況を複雑にしてもうたかなぁ」

 少女は頭を掻きながら呟く。後先考えずに行動したようだった。その場に座った後考え込むように黙ってしまった。一番状況を理解してるやつに黙り込まれても困る。

「あのさ、俺からいろいろと質問していいか」

「あん、われに言うてるんか? まあかまへんで、そのほうがスッキリしそうやな」

 ここぞとばかりに提案をしてみたが、蒐はあっさりと質問することを許された。

 先ほどまでの少女の警戒心はどこへ消えたのだろうか。

「君の名前は」

「ナーシェとだけ伝えておく。呼び捨てでええで」

「君は吸血鬼なの」

「せやで、詳しくは教えへんけどな」

「俺の中にいたこの女性、鬼? は青行灯と言うの?」

「それは後ろでだんまり決め込んでるそいつに聞いたほうがええがの、その通りや」

 青行灯とは百物語にて、百話まで怪談を語り終えた後に現れるという妖怪だ。

「青行灯は俺の身体の中に居た?」

「その通りや、昨日の百物語の影響で召喚された青行灯はお前の体の中に住み着いた。取り憑いたんでなく住み着いたってところが大事やな」

 

 この青行灯はやはり、百物語に伝わる妖怪で間違いないようだ。文化祭で百物語を開催するにあたって、文献ぶんけんや資料を調べているときに目にした名前だ。昨日視た時は急に現れて急に消えたように感じたが、身体の中に住み着いたらしい。

「君には怪異が視えている?」

「怪異が視えるし話もできる。というか、われもそこにいる青行灯も怪異やで」

「俺を観察していたってどういうこと」

「それを話始めると長くなるんや、とりあえずお前に危害を加える気はあらへんから安心せい」

「世界の状況とかいうのはどういうこ」

「それについては後日、わたくしからお話しします」

 蒐の言葉がさえぎられる。青行灯が蒐と少女―――ナーシェ―――の問答に割って入ったのだ。

「さっきから聞いてたら何ですかあなたは。我が主、ご主人様に向かって何たる不遜ふそんな態度、許される行為ではありません」

 青行灯は、ぷんすかという擬音が聞こえてきそうな怒り方をしている。その矛先はナーシェに向かっているようだ。

「我が主? 何やお前ら契約でもしてんのか」

「契約だって? そんなのは身に覚えがないぞ」

 後ろに隠れている青行灯に視線を向ける。もしかして昨日何かされていたのか?

 蒐の視線に気づいた彼女は恥ずかしそうに眼を逸らした。

「怪異が何いっちょ前に照れてんねん。わかったで、そういうことか、お前この男に惚れたんやな」

「ちょっ、わかったからって言わないでください。ご主人様の目の前ですわ」

 未だ頬を上気させている青行灯は気まずそうに蒐に視線を向ける。何もわかっていない無垢な少年と目が合った。それを確認した後、青行灯は蒐と距離を取って向き合い、平伏する。

「混乱させてしまい申し訳ありません。全ては私のわがまま、不徳の致すところであります。わたくし、名を青行灯といいます。怪異譚の収集を生業なりわいとしている怪異でございます。これより貴方様に隷従れいじゅうし、また、貴方の中に住まわせていただきたく存じます。ちなみに、契約は昨日すでに済ませてあります。簡単には解除できませんので、よろしくお願いします。捨てないでくださいませ、ね?」

 青白く美しい鬼は、悪戯いたずらな笑みを浮かべて宣言した。


 文化祭の百物語が終わった後、蒐と青行灯は対峙たいじした。青行灯は、簡易的とはいえ開催された百物語という概念がいねんに呼び寄せられ、その降霊儀式で百話まで話し終えたことによって、人間の住む世界に召喚される条件が整い現れた。現界した勢いはそのままに、一目散に蒐のもとに向かい一方的に契約を結んだそうだ。「だって、魂がイケメンだったのですもの。一目ぼれですわ」というのは彼女の談。一目ぼれしたからと言って、惚れ込んだ魂にそのまま住み着くという感覚が蒐には理解が出来なかった。青行灯曰く、人に理解できないからこそ怪異なのだそうだ。

 

 そして今、目の前で青行灯は頭を下げている。蒐は状況の理解はできているが、何か、根本的な知識が足りていない。

 足りていないゆえに、ここにいたるまでの状況を何一つ、理解も整理もできない。

「世界の仕組みや、私やあなたのこと。魔術師まじゅつし呪術師じゅじゅつし、怪異、それらを狙う組織についても、一通りの知識は持ち合わせています。しかしこのことについては、今は話さなくてもよろしいかと。後でわたくしの口からご主人にお伝えしましょう。あなたの不愛想な話し方では混乱してしまうばかりです」

 

 青行灯はナーシェを睨みつける。あまり彼女のことが好きではないようだ。飼い主を守ろうとするペットのような感覚なのだろうか。

「そうかい、そりゃよかったわ。説明すんのもめんどくさいからな。良かったなお前、いい相棒が出来たやないか、これから仲良くするんやで」

「ちょ、ちょっと待って、相棒って……それに俺の中に住んでるってことは、俺のことをずっと視てるってことか?」

「そういうことになります。ご主人様の中に住んでおります。ご主人様の見る景色、感じた思い、触れたものそのすべてを共有しております。私の意志はご主人様に通じることはありませんが。それと、ご主人様が用を足すときと湯あみの際は眼を閉じ耳を塞いでおります故、お気になさる必要はありません。代わりにお着換えは覗きますがお許しを。本当はお手伝いして差し上げたいのですが、そういうのはお好きではないかと思いまして。この青行灯、一世一代の決意にございました」

 青行灯はとんでもないことを口にしている。

「いやちょっと、いきなり言われても心の準備が」

「お気持ちはわかります。ですがお気になさらず、私はいないものとして扱ってくださって結構です。一蓮托生の関係ではございますが、主従ははっきりとしています。日常生活には何一つ干渉いたしません」

「いや、それは、え、嘘だろ……?」

 

 蒐の顔は困惑の色で埋め尽くされている。要するに一生、恐らく蒐が死ぬまで青行灯と運命を共にするということだった。

「押しかけ女房も究極まで行くと恐ろしいもんやな、まるで予測不能な交通事故や、少し同情するで。ただな、怪異との出会いなんてそれこそ全部事故のようなもんや。折り合いをつけて付き合い方を考えてくしかないで。そもそもお前、怪異が視えるとかいう特異体質なんや、怪異に取り憑かれた場合の想像くらいしたことあるやろ」

「取り憑くといわないでください。住み着いたのです。いや、嫁いだといったほうがよろしいでしょうか」

霊婚れいこん冥婚めいこんはめんどくさいからやめとけ、死後の運命まで一方的に決めたんなや。それでなくとも魂に住み着くなんて例外中の例外なんや、やっぱ寄名蒐を観察するっちゅーあいつの選択は間違いじゃなかったんやな」

 ナーシェと青行灯が会話を続ける。繰り返される会話の中には時折耳慣れない単語や、不穏な言葉が紛れている。

 だがやはり、知識の足りていない蒐は置いてけぼりだった。

「まあええ。とりあえず三つ目の質問の答えは今のお前らの関係ってことやな。寄名蒐、お前の現状は理解した。うちんたの敵ではないことが分かっただけでも今日は収穫や。あとは今後の身の振り方も考えておくんやで。相応の覚悟もな。怪異と契約をしたということは、今までの日常にはもう戻れへんってことや。今後も何かと災難に巻き込まれるはずや、怪異は怪異を引き寄せるからな」

 

 三つ目の質問についてはこれで終わりでいいらしい。蒐はまだ質問したいことがあるはずなのだが、それを上手く言語化することが出来ない。

「ご主人様」

 脳の許容量を超えてパンクしている蒐に、青行灯がやさしく話しかける。

「今はゆっくりと深呼吸をして落ち着きましょう。私が言えた義理ではないですが、現状を柔軟に受け入れて、落ち着くことが最優先かと。普段わたくしは貴方の体の中に居るのですから、聞きたいことがあれば呼んでいただければお答えします。しかし感覚を共有している以上、あなたの不安や焦りは私にも伝わるのです。ご主人様を不安にさせるのは本意ではありません。ご主人様にはいつも笑っていてほしいのです」

 

 青行灯は蒐をやさしく包み込む。初めて触れたその美しい鬼は、体温こそなかったが慈愛に満ちた感触がした。今までも予想だにしない出来事には数多く直面していた。この学園に入学したときに感じた怪異の気配。あれを感じて以降、やがて怪異と深くかかわる時が来ることを少なからず覚悟していた。それが心の準備もできていない今日、唐突に起きただけのこと。しかるべき理屈や理由は後からついてくるのであろう。蒐はとりあえず現状を受け止めることにした。

「ありがとうございます、ご主人様」

 青行灯も安堵あんどの表情を浮かべた。まだぎこちない関係ではあるが、ここに一つの運命共同体が生まれたのだ。

「もうええか? 最後の質問に行きたいんやが」

 気を取り直してナーシェが言葉を続ける。質問はまだ一つ残っている。

「質問というか、実際に見せたほうが早いな。お前らわいに続け、移動するで」

 ナーシェは塀伝いに森の中を歩きだした。禁忌の山の入り口に向かうらしい。

「なに、山に入れなんてことは言わんわ。お前らでもこの山の中はまだ無理や。今までのやつらと同じ末路をたどるで。ただ、入り口前で待っとってほしいんや、そこが寝床から一番近いからな」

 

 口ぶりからして、ナーシェは禁忌の山の中に住んでるようだった。詳しいことは教えてくれないらしい。青行灯も禁忌の山が気になるようで、意識を向けているようだったが、口を挟むことはなかった。やがて禁忌の山の入り口についた。頑丈に施錠された大きな門が鎮座している。

「ここから学園のほうに向かえば旧校舎への道に出る。この山は学園が管理してるらしいから、道は整備されてるそうやで、わかりづらいけどな」

 ここで待っとけと言ったあと、ナーシェは一息に跳躍して、門の向こう側へと消えていった。本当に禁忌の山に住んでいるようだった。

 蒐は大人しくその場に立ち尽くす。頭の中は相変わらず混乱しているが、今は気を落ち着かせて成り行きに任せている。

 青行灯は蒐と外を歩けて楽しいのか、きょろきょろと周りの風景を見渡していた。気になるものを見つけては近づいて観察をしている。

 しばらくすると、門の向こうから物音が聞こえた。どうやらナーシェが帰ってきたようだ。同時にナーシェが先ほどと同じように門を飛び越えて降りてきた。人間離れした跳躍力である。たしか、吸血鬼とか言ってたな、あとで青行灯に詳しく聞いてみよう。

「んで、四つ目の質問なんやけどな。ホントならこんな質問する予定じゃなかったねん」

 ナーシェは相変わらずの口調である。蒐は考えるのをやめてナーシェに視線を移す。どうやら門の向こうから何かを持ってきたようだった。目の前の少女と同じくらいの大きさの塊。それを目の前に投げ捨てる。蒐はその人の形をした、見覚えのあるものに目を向けた。

「四つ目の質問な。こいつ、この門の前に転がってたんやけど、あんた知り合いやろ。どうしたらええんや?」

 ナーシェは持ってきたものを指さした。蒐は驚愕の表情でそれを見る。先ほどまで話していた女生徒。百物語開催のきっかけ。オカルト研究会の紅一点にして、尾咲学園きっての学年のアイドル。


 巣南瑞穂すなんみずほが、気を失った状態で、そこにいた。

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