第44話 裏工作


「夏乃が義母上に目をつけられたとなると……早々に島へ戻った方が良いと思うのだが」


 翌朝、冬馬と珀を前に月人は愁いを帯びた顔でため息をついた。

 隣に並ぶ夏乃を、困ったような目でチラッと見やる。


「実は、そのことでお願いがあるんです。あたしが月人さまの毒殺に失敗して、処分された事にしてはどうかと思うんです。死んだことにして、珀にこっそり王宮から運び出してもらえたら嬉しいんですが」


 珀と冬馬は一瞬驚いた顔を見せたが、それぞれ熟考しているようだ。


「言っておくが、私は反対だぞ」


 月人は夏乃の提案を即座に却下すると、つんとそっぽを向く。昨夜この話をした時から、月人はご機嫌斜めだ。

 このままだと月人の意見を通されてしまいそうだったので、夏乃はさらに持論を展開した。


「でも、このままだと、あたしは王太后の部下に狙われちゃいます! めちゃくちゃ強そうな人でしたよ。島に戻ったってきっと追って来ます!」

「死んだことにしてどうする? 王宮の外へ出てからどうするのだ? 仮に、そなたが都の宿に泊まるとしよう。娘が一人で宿屋などに出入りしていれば、すぐに噂は広まるぞ。その男の耳にも入るだろう」

「うっ……」


 夏乃は言葉に詰まった。確かにそうかも知れない。あの黒装束の男ならば、夏乃の居場所など簡単に見つけてしまうだろう。


「あの……月人さま」

 遠慮がちに珀が口を開いた。

「島へ戻るにしても、夏乃が狙われないように偽装するのはいい事だと思います。……例えば、夏乃の言うように一旦王宮から出て、御座船で兵士見習いの格好に着替えさせれば、刺客の目も誤魔化せるかも知れません」


「なるほど……兵士見習いとしてここへ戻ってくるのだな?」

「はい。御座船に残すことも出来ますが、それでは月人さまもご心配でしょう?」

「そうだな……わかった。珀に任せる」

「はっ!」


 珀は嬉しそうに一礼する。


「そうだ月人さま! 兵士見習いに変装したあと、ついでに都見物してきても良いですか? 島を出るとき約束したのに、このままじゃ何も見ないうちに帰ることになっちゃいますよ」

「こんな時に都見物もないだろう…………が、まぁ良い。珀と一緒に行け」

「ありがとうございます!」


 この日を境に、王宮から夏乃の姿は消えることになる。



 〇     〇



 夜が深まった王宮の奥の宮。

 ひと気のない外廊下に、黒装束の男が現れた。

 闇に同化した男は、足音もなく戸口に近づくと身を沈めて跪いた。


紅麗こうれいさま、霧夜きりやです」


 戸口のすき間から微かな明かりが漏れている。主がまだ起きていることに、男は安堵の息をつく。


「入るがよい」

「はっ」


 低い女の声に頭を低く沈めると、男は影のように素早く部屋の中に入った。

 膝をついて主を見上げる。長椅子に寝そべって少女の指圧を受けていた王太后は、夜着の上から真紅の衣を纏って男を見下ろした。


「何ごとじゃ」

「月人の側近のひとりが闇に紛れて密かに王宮を抜け出し、小舟を使って大きな荷物を海に捨てました。西の崖下付近です。荷物の確認は出来ませんでしたが、恐らくは……」

「夏乃か。可哀そうに、失敗したのだな」


 王太后の赤い唇がつり上がり、笑みを刻む。


珠里しゅりからも聞いておる。今宵、月人の宮で騒ぎがあったようだな?」

「はっ。騒ぎが大きくならぬように緘口令を敷いたようですが、すでに誰かを処罰したという噂が広まっております。念のため、日が昇ってから崖下の海で荷物の確認をいたします」

「もうよい。そなたは例の男に連絡を取れ。次は必ず月人を亡き者にするのだ」

「はっ」


 霧夜は一礼して静かに部屋を出ると、来た時と同じように足音をさせずに立ち去って行った。


「あの娘、事を成したあかつきには、こちらで面倒を見てやろうと思うておったのに……残念じゃ」


 王太后のつぶやきを聞いて珠里は指圧の手を止めた。


「雪夜さまも紅羽も居なくなってしまいましたからね。……でも不思議。あの娘は、わたくしの呪が発動する前に殺されてしまったんです。紅羽に施したのと同じ呪をかけたのに。あの娘を殺したのは、相当な手練れですわね?」


 珠里は感心したようにふわりと微笑みを浮かべた。

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