第42話 王太后の命(めい)


「まずは茶を飲むが良い。珠里しゅりの淹れた茶は美味い」


 ゆったりとした椅子に座り、彼女は優雅にお茶を飲む。

 あまり気は進まないが、飲まない訳にはいかない雰囲気が漂っていて、夏乃は勧められるままお茶を口にした。

 苦みのあるお茶の中にとろりとした甘さがある、不思議な味のお茶だった。


「そなたは確か、月人の侍女をしているのだな?」

 目を細め、王太后は夏乃を嘗め回すように見る。

「あやつが気に入った娘を連れて来るのは、初めてのことだ。そなた、月人が好きか?」


 嘲笑うような顔で問いかけられて、夏乃は一瞬ドキッとした。


「まあ、普通に、雇い主としては好きですけど……」

「ほう。雇い主として、か。面白いな。そなた、月人に個人的な好悪は感じておらぬか? では、わたくしに雇われる気はないか? そなたにしか出来ぬ仕事があるのだ。もちろん報酬も月人より多くやろう。どうだ?」


 王太后が何も言わなくても、仕事の内容がわかる気がした。


「あー、でも、慣れている仕事の方が楽なので、せっかくですが……」

 勇気をふり絞って、夏乃も笑顔を浮かべる。

「断るなら、そなたの命はないのだがなぁ」


 王太后が笑顔を浮かべたままそう言うと、部屋の外からひとりの男が入って来た。

 その男は王宮の兵ではなかった。上から下まで真っ黒い衣を着た目つきの悪い男だ。まだ若そうに見えるその男が、いつでも剣を抜き放つぞと言いたげに、腰に手をかけている。


「そんなぁ……」

 夏乃の笑顔が引きつった。


「その男がそなたを見張っている。自分の命には代えられないだろう?」


 王太后の笑顔の圧力に耐えながら、夏乃はゴクリとつばを飲み込んだ。


「……あたしに、何をしろと?」

「月人に毒を盛って欲しい。あやつに信用されているそなたなら、簡単な仕事であろう?」


 王太后の合図で、少女がお盆をテーブルの上に乗せる。

 お盆の上に乗っていたのは、小さな布袋だった。この中に、きっと毒物が入っているのだろう。


「月人に茶を淹れるとき、袋の中の茶葉を混ぜるだけで良い。それだけで事は済む」

「はぁ……でも、上手くいかないかも知れませんよ。あたしはそれほど信用されてません。何しろあの冬馬さまに嫌われてますから。あの方は、たぶんあたしの行動を逐一監視してると思います」


 嫌な汗が背中を伝ってゆくのを我慢しながら、夏乃は平気なふりをした。

 剣呑な話をしていると言うのに、笑顔を崩そうとしない王太后が気味悪くて仕方がない。


「構わぬ。仕損じれば、どちらにしてもそなたの命はない」

「ああ、なるほど……それは嫌ですね。あたしも命は惜しいです」


 冷たい汗で体が凍えそうだ。


「ふふっ、肝のすわった娘よの」

「そんなことないですよ。怖くて死にそうです。ああでも、こんなに怖い思いをしたんだから、ひとつだけ質問してもいいですか? どうして月人さまを殺したいのですか?」


 半ばヤケクソになりながら、夏乃は尋ねた。

 とんでもない仕事を依頼されたのだから、理由くらい聞いてもいいだろう。


「本当に、肝の据わった娘だな。よかろう。ずいぶん昔……わたくしには大嫌いな女がいた。月人の母親だ。毒を盛っても、刺客を送っても死なずに、わたくしを嘲笑っていた女だ。憎んでも憎み足りないほど大嫌いだったその女が、産褥であっけなく死んでしまった。余りのあっけなさに、あやつが死んでいなくなっても、わたくしの憎しみは無くならなかった。

 あの女が残したものをすべて消し去るまで、この憎しみは無くならぬのだろう。だから、わたくしは月人を消したいのだ」


「月人さまがいなくなれば、その憎しみは消えるんですか?」

「たぶんな」


 夏乃はそっと背後へ振り返り、黒装束の男に目をやった。

 男は部屋の入口に立ったまま動く気配もないが、見なくても怖ろしいほどの気配がする。殺気というやつだろうか。


「では夏乃。そなたは生きるために、必ず月人を仕留めよ」

「……努力は、してみます」

 

 この場を切り抜けるためとは言え、月人の暗殺を承知したような言葉を返している自分は────今、どんな顔をしているのだろうか。

 夏乃は、くしゃりと顔を歪めて笑った。


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