第四章 解呪

第23話 雪夜の脱走


 早朝、夏乃なつのは荷物をまとめていた。

 今日からまた、侍女としてお屋敷へ上がらねばならない。


(昨日の夜……月人つきひとさまにキスされた……よね?)


 正直なところあまり覚えていない。頭が真っ白になって、そのまま意識が遠のいて、気づいた時にはハクがいた。月人はちゃんと服を着ていて、夏乃は濡れた衣の上から乾いた布でグルグル巻きにされていた。


 月人が人間に戻っていたのだから、夏乃の血を舐めたことは間違いない。


(でも……さすがにそんなこと聞けないよなぁ)


 昨夜のことが夢でないなら、夏乃にとってはファーストキスだ。出来ることなら確かめたいと思うが、考えるだけで顔が熱くなってしまう。

 手でパタパタと顔を仰いでいると、紅羽くれはが近寄って来た。


「またお屋敷の仕事だって?」

「うん。今度は都に行く付き添いなんだ。だから、もしかしたら、都でこの仕事辞めるかも」

「そうなんだ。じゃあ、これでお別れかも知れないんだね?」

「うん。でもまだわからないから、みんなには言わないでね」


 夏乃がそう言うと、紅羽は少し寂しそうにうなずいてくれた。


 一晩で腹は決まった。

 月人の呪いを解くために力を貸す。

 それに、せっかく王都へ行けるのだから、元の世界に帰る手がかりも探す。

 もしもその両方が叶ったら、ここへは戻らない。


「準備はいいか?」

 宿舎まで迎えに来た珀が、ひょっこりと顔を出す。

「うん。いいよ」


 少ない荷物を抱えて夏乃が立ち上がると、珀は満足げな笑顔を浮かべた。


「夏乃。着替えたらすぐに月人さまの部屋へ来てくれ」

 お屋敷の門をくぐった所で、珀がそう言った。

「あたし、朝ごはんまだなんだけど?」

「食ってからでいい。じゃあ、後でな」


 珀が手を上げて去ってゆく。

 お言葉に甘えて、久しぶりに食堂へ行ってみることにした。


 夏乃が使用人の食堂へ顔を出すと、睡蓮が駆け寄って来た。


「夏乃! 戻って来てくれてよかったわ。一緒に食べましょう!」

 睡蓮に手を引かれて、久しぶりに侍女四人でテーブルを囲む。

「夏乃が貝割り作業に戻ってから、私たちずっと淋しかったのよ」

「そうそう。三人でしんみりしちゃってね」


 朝餉を食べながら、侍女たちが笑う。


「大げさだなぁ」

「だって、私たちずっとお屋敷の中に居たのよ。どうしたって考えてしまうのよ……」


 睡蓮は眉尻を下げて、泣きそうな顔で笑う。汐里を失ったことがまだ乗り越えられないのだ。

 月人暗殺未遂事件のあと、逃げるように貝割り作業に戻った夏乃と違って、付き合いの長い睡蓮たちは、一時たりとも汐里のことを忘れることが出来なかったのだろう。


「そっか、そうだよね」


 粥を食べながら、夏乃は改めて三人の侍女たちを見回した。

 こんな風に四人で話をしていると、よけいに汐里のことを思い出してしまう。


「ねっ、あのこと言わないと」

「でも」


 三人の侍女たちが、困ったような顔をして目配せし合っている。

 睡蓮が仕方なさそうに口を開いた。


「あのね、怖がらないでね。夏乃が貝割り作業に戻ってる間に、雪夜が地下牢から脱走したの」

「えっ……」


 思いがけない報告に、夏乃は言葉が出て来ない。


「すぐに追手を差し向けたらしいけど、まだ見つかってないみたい」

「そうなんだ……雪夜って、もう動けるほど回復してたの?」


 珀に斬られた背中は、かなりの深手だったと聞いている。


「でしょうね。でも、ひとりじゃ地下牢の扉を開けられるはずないって。誰かが手を貸したんじゃないかって、あたしたちも話を聞かれたのよ」


 睡蓮の言葉に、夏乃は目を見張った。


「その、手を貸した人って、汐里を殺した人なんじゃ……」


 夏乃が視線をさ迷わせると、睡蓮が力強くうなずいた。

 汐里は間者だから自害した。そう思われているが、夏乃たちはそう思ってはいない。誰かが地下牢にいる汐里を殺したのだ。たぶん、何らかの口封じのために。


「怖いね」

と、鈴音がつぶやく。

 いつも大人しい波美は、泣きそうな顔でうつむいてしまった。

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