第5話
「はぁっ――はぁっ――!」
木々の影が薄くなり始めた夕暮れ。
肘から先を失った左腕の傷を抑えつつ、俺は森の中をひた走る。
「クソっ、やっぱりあの妹様ロクでもねえなっ!」
ファンからもアンチからも顔しか良いところがないと言われるだけあって、やはりというか当然というか彼女から送られた戦奴達には罠が仕掛けられていた。
村の住人から委細を聞いたリンに連れられて、俺達はアンデッドの目撃があったとされる森に向かった。
『アンデッド・キングダム』におけるヤマト国は日本がモチーフとなっているが、流石はステレオタイプというべきかその背景は結構無茶苦茶である。
関東にはエド、関西にはキョウがそれぞれ武家と公家の本拠地ともいえる都市が存在し、どういう訳か共存している。エドには幕府とだけ呼ばれる江戸幕府のようなものが存在しているから舞台は江戸時代なのかと思いきや、別に鎖国はしていないし参勤交代のような制度もないためそういう訳ではないらしい。忍者も侍も普通に存在する。あくまで日本がモデルとなった別の世界という訳だ。
んで、そんな世界の農村の住人はというと、農村なのだから当然農業を営んで生活している。税と年貢の存在もあって生活の苦しい彼らは、多くの場合農作物だけでなく里山へと入って採集活動をも行っていた。
里山は彼らにとっては大切な資源だ。狩ることのできる動物は貴重なタンパク源だし、果実や山菜、タケノコなんかも食べることが出来る。落ち葉は発酵させれば堆肥として農業に活用することも可能だ。
そんなわけで、農村で暮らす人々というのは日常的に村近隣の森や山に入ることとなる。
当然ながらそういった場所へと立ち入った農民たちは、クマなどの大型野生動物に襲われる、斜面から滑落してしまう等の理由によって、しばしば命を落とすこととなる。多いとは言えないが、それらは決して珍しくもない。
これ自体は前世の山や森でも運が悪ければ起こり得ることだろう。しかし、前世と違ってこの世界にはアンデッドが存在する。
アンデッドは無から誕生しない。生まれるにあたって、そこには必ず人の死が存在する。
多くのアンデッドは人間がアンデッドに殺されることによって生まれる。だが適切な処理を施さなければ、この世界の死体は簡単にアンデッド化してしまう。
そのため、農村等の近辺ではアンデッドが目撃されることも珍しくないという訳だ。
今回の依頼もまさしく、村近隣の森林内におけるアンデッドの調査だ。
アンデッド発生の真偽を確かめ、事実であればその種類と規模を調べる。ただそれだけの簡単な仕事という話であったのだ。
「こいつはやっぱ、その依頼内容も信用できねえよな……?」
その予想はおそらく外れていない。
あの良い性格をしている妹様だ、ただ襲撃者を潜ませておくだけなんて生ぬるいことはしないだろう。
依頼を果たすべくリンに率いられて森林の中へと足を踏み入れた俺達であったが、調査を始めて数十分した頃合いにそれは起きた。
山狩りのような調査であれば、人員を広範囲へ展開する人海戦術が有効であるようにも思えるが、ことアンデッド調査に関してはそうではない。
確かにその方法であれば広範囲を短時間で調査できるだろう。しかし、我々の人員はリンを除いて戦奴で構成されている。仮に森林内にアンデッドが、それもそれなりの個体数で存在したとするならば、この方法で調査を行ってしまうとアンデッドへ餌やりするのと何ら変わらない結果となるだろう。
そのため密集した陣形で調査を行っていたのだが、結果的にこれはマズかった。
「あの女人の心がないのかよ、いくら戦奴の命が軽いからって自爆させるか普通」
そう、自爆だ。
固まって行動していた俺達の中心付近、そこにいた戦奴達が数名ばかり突然爆発したのだ。
彼らは皆、ユイから譲り受けた戦奴達であった。
爆発の威力はそこまで高くなかった。しかしその直後、爆発しなかった戦奴が狂乱状態に。彼らもまた、当然のように新参の戦奴達だった。
爆発に驚きながらも彼らを制御しようとしたリンであったが、おそらくユイが彼らに何らかの呪いを刻んでいたのだろう。その暴走を抑えることは叶わなかった。すぐさま暴走した戦奴を斬り殺し始めたのは流石『味方殺しの剣姫』である。
だがしかし、それでも俺達は混乱状態に陥ってしまった。
その際、俺は左腕を彼らに斬りつけられてしまい、このザマだ。
我が身はアンデッドであるが故に腕を斬り飛ばされたこと自体はさほど問題ではない。痛みも少なければ出血量も常人よりも遥かにマシ。そもそも、出血による影響自体受けにくい体だ、動作も思考も問題はない。
しかし、暴れ狂う戦奴から逃げる際にその切断された腕を回収できなかったのだ。
戦奴達の狂気染みた叫びが聞こえないことに気付いた俺は、ようやく足を止めた。
「再生能力持ちが羨ましいな」
辺りを見回しつつそう独り言ちる。
無いものねだりをしても仕方ないのだが、ぼやかずにはいられない心境だった。
しまったな、土地勘のない場所で無闇に逃げたせいで完全に迷子になった。
――――
アンデッドという名ではあるが、彼らは決して死なない訳ではない。その種類によって千差万別であるが、滅ぼすための手段は用意されている。
肉体を持つ下級アンデッドであれば基本的に頭部、要するに脳を破壊してしまえば活動が停止する。
上位のアンデッドやゴーストのように実体を持たない奴らはその限りではないが、俺は下級アンデッドと同様の方法で死ぬ。少なくとも、ゲーム内のナナシは頭部を破壊されると死んでいた。
つまりは、アンデッドである我が身だがその実案外普通に死ぬのだ。
俺が内心リンに怯える原因もそこにある。何とか運よく生き残ってこれているが、もしも彼女が俺の頭部へとその暴力性を向けたのならば……俺は死ぬ。
今回の戦奴達の暴走も俺にとって命の危機であった。
相手が理性的であれば、致命傷となるはずの傷を首や胸に負い死んだふりをすればたいていの場合乗り切れる。しかし、そうでない相手は必要以上の攻撃性を振りかざしてくるものだ。
アンデッドであるという一点を除けば、俺は無力な1人の戦奴に過ぎない。体格も小柄で力も弱く、魔力だってほとんど持ち合わせていない。
死ににくい体であることを除けば弱者でしかない。
故に逃げた。必死になって逃げた。
その判断は間違っていなかったのだと思う。他の暴走していない戦奴の頭部が花を咲かせる光景を目の当たりにしたのだ。逃げなければ、自身が同じ目に合っていたかもしれない。
……逃げた結果が、今なのだけれど。
「不穏な呪印まで浮かび上がってくるもんな。マズいよな、こりゃ」
逃走防止に刻まれたものなのか、妖しい紋様が俺の全身に浮かび上がってきていた。それらは少しずつだが灼けるような熱を持ち始めている。
おそらく、主人から一定距離離れてしまうと発動する呪印だろう。アンデッド戦の先兵として放り込まれる際には浮かばなかったことから、自分でも気づかない内にかなり遠くまで来てしまっていたようである。
すぐに死んでしまうようなものではないのだろうが、呪いの効果が不明瞭である以上油断は出来ない。
「だからといってどうにか出来る代物でもないんだがな」
再三になるが、俺は大した力を持っている訳ではない。
魔力も低けりゃ魔術や呪いに関する知識もほとんど持たない。ゲームに登場した魔術であれば多少は分かるのだが、それも効果やコストを知っているという程度。
原作では使い方や対応策は描写されず、皆当たり前のようにそれらを使っていた。
俺のゲーム知識も当てにならないものだ。ゲームジャンルがアンデッド側寄りのシミュレーションである以上、人類側の事情であったり魔術等の詳しい内容が描かれていないのは仕方ないことである。
木々の1本に背を預けながら、大きく息をつく。本来アンデッドには存在し得ない疲労によって、そのまま崩れるように腰を下ろした。
もうじき日も暮れる。そうなれば、アンデッドの活動が活発になる時間帯に突入だ。
アンデッドの捕食対象は生者である。だからこそ、俺自身は彼らに狙われるリスクはほとんどないのだが……
「よりにもよって例外を引くあたり、ある意味持ってるよな……?」
血の臭いに惹かれたのか、夕闇がより一層深くなった頃合いにそいつは現れた。
赤黒い体表、大柄な体格、凶悪な面構えの口元からは大きく発達した犬歯が覗く。生臭い血の匂いを発っしながら、低い唸り声を上げてそいつは近づいてきた。
「フシュー……シュー……」
ゾンビ系アンデッドの中でも特に捕食に関する能力を発達させることで進化することが可能な種族。知性は低く、狂暴で貪欲で、その食欲は生者のみならず死者をも食らう。尤も、原作においては比較的下位のアンデッドだったために、彼らに捕食されるのは専らゾンビのような最低級アンデッドだけであったのだが。
「ゾンビはともかく、グールなんて滅多に自然発生するもんじゃねえぞおい」
グール。元ネタはアラブの伝承にて語られる怪物だ。
『アンデッド・キングダム』に登場する彼らは元ネタではなく、広く知れ渡っているゾンビに近い形質を持つアンデッドだ。生者を生きたまま捕食する他のアンデッドとは異なり、死体を好んで食らう。獲物を殺害してから腐らせ、その後に捕食する。
その性質から、人類だけでなくアンデッドを食うことによっても成長することが出来るという特異な性質を持っていたアンデッドだ。
俺の目の前に現れたそいつもまた、グールらしく死体食いを好むらしい。
緩く開かれた彼の口元からは、その飢えと渇望を表すかのように粘液質の唾液が滴り落ちる。
出血のためであろうか。ふらつく体に鞭を打ち立ち上がると、腰に携えた刀を引き抜き右腕だけで構えた。
古く、切れ味の悪そうな刀であった。
戦場では毎度の如くリンに斬られてきた俺だ。実戦で刀を振るったことなど一度もない。日常においても訓練などもしたことがない。使い捨てである戦奴に戦闘力など求められていないためだ。
俺自身も、自主的に鍛えたことはなかった。他の戦奴よりもマシとはいえ、ただでさえ飯が少ないのだ。無駄に動いていたら腹が減る。何なら餓死する恐れすらもあるかもしれない。
当然前世においてもこんな長物を振り回すような経験なんてしたことはない。だが、目の前の巨体を相手にするには、徒手よりかはいくらかマシ……であると思いたい。
我が身を捕食すべく、グールが近づいてくる。その歩みは遅々としたものだ。知性が低いとはいえこちらが手負いであることくらいは分かるらしい。勇み足で飛び掛かってくるでもなく、少しずつ、少しずつ距離を詰めてくる。
おそらく無駄であることを承知で俺は刀を振り上げた。
グールは捕食に特化したアンデッドだ。決して防御力の高くない彼らだが、しかし捕食による回復能力を備えている。そのため彼らはゲーム内でも、多くの人類、アンデッドがはびこる戦場において能力値以上のタフさを見せてくれていた。
幾許かの刀傷を彼につけようと、グールのその性質によってその傷はすぐさま癒えることとなるであろう。勿論、俺を食うことによって、だ。
「……死にたくは、ないな」
そう小さく呟く。
たとえ無駄な足掻きであったとしても、それでも死にたくない。
生存本能、自己保存欲求が限界にまで高まる。
恐怖心と奇妙な興奮で頭がどうにかなりそうだった。
そして――俺が握った刀が振り下ろされることはなく。
突然。そう、突然に。
まるで超重力でも発生したかの如く、地面に押し付けられるようにしてグールは地面へと倒れ伏した。
「え……、なっ……」
赤、黄、緑。倒れた衝撃で舞い上がった、様々な色合いの落ち葉が宙を踊る。ヒラヒラと、重力に引かれ落ちゆく木の葉の奥に、何者かの人影があった。
一瞬、頭のおかしいあの女がここまで来たのかと身を固めた。もしそうなら、結局命の危機に瀕していることに変わりはない。リンは戦場では完璧にイカれている。この場に現れる理由としては、助けに来た、なんかよりも殺しに来た、が適切だ。
しかし、人影は彼女ではなかった。
影は、小柄だった。リンではない。彼女は多くの男性をも凌ぐほど大柄だ。
「いけませんよ? 彼は同胞なのですから。食べちゃダメ、です」
蠱惑的な、脳髄を溶かすように甘い声であった。
前世で何度も聞いた、甘い甘い声色だった。
俺の愛した――しかし、ゲームシステム上聞く機会の乏しい――彼女の声だった。
今世において、人類を救うにあたって、俺が最も聞いてはいけない女の声であった。
「なんで……だって、まだゲームは、始まって……」
おかしい。どうしてだ。彼女がここに居る訳がない。
開始地点は無数に存在するんだぞ。いや、偶然ヤマト国が選ばれた、それ自体はまだ納得できる。でも、どうしてもうお前が存在するんだ。お前が生まれるまで、あと3年はあるはずだろ。
「ふふっ、初めましてっ! 特別なアンデッドさん?」
知らない。こんなイベントは知らないぞ。
そもそも、本来彼女と出会うのはランダムイベントのはずだ。行動開始時、そのユニットが存在する国にいた場合一定確率で発生するイベントのはず。
「…………っ」
「あら? おかしいですね……そのような敵対的な視線を受ける理由が分かりません。むしろ、もっと友好的な接触になると想像していたのですけれど……」
「……誰だ、おまえは」
絞り出すようにして、なんとかそれだけを言葉にした。
自分でも白々しい言葉だと思った。その声、その姿から、彼女が何者であるかなんて分かりきっているというのに。
それでも。それでもなお。自分の想像が間違っているのだと、一縷の望みを託さずにはいられなかった。
しかして、その声を受けて彼女は俺に向かって微笑んだ。
画面越しに何度も見た、天使のような笑みを浮かべた。
心臓を掴まれたと錯覚するほどの、魅力的な表情を俺だけに向けて。
「そうでしたっ! 初対面なのですから、まずは挨拶ですよねっ?」
慎ましやかな胸に手を当てて、彼女は名乗る。
「ワタシはメヴィア、アナタ達アンデッドの神様ですよっ」
そうであろうと確信していた、しかし聞きたくなかったその名を。
「……ははっ」
思わず乾いた笑いが出でしまった。
仕方がないじゃないか。
笑うしかないじゃないか。
だって、彼女が名乗ったその名前は。
『アンデッド・キングダム』のプレイヤーキャラの性別を女性に設定した時のデフォルトネームだったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます