第二十三幕 鷺山城潜入

 義龍軍の大規模な陽動によって鷺山城の警備は極端に手薄になっている。潜入するなら今しかないだろう。といっても流石に正門から堂々と入る事は出来ないので、鷺山の木々に身を隠しながら城の裏手まで回り込む。


 城だけあって喜平次の屋敷の塀より遥かに高い壁が聳え立つが、高さ以外には侵入の手順は同じだ。まず雫が鉤縄を使って塀をよじ登る。本職の忍者だけあって流石の身のこなしで、高い城郭を物ともせずにあっという間に登りきる。そして登った城壁の上に身を伏せた雫は周囲を素早く確認した後、外で待つ妙玖尼達にも鉤縄を投下する。


 投下された鉤縄は二本。喜平次の時のように順番ではなく、二人同時に上がってこいという事だ。既に鉤は雫が頑丈な所に掛け直してくれているようなので外れる心配は無さそうだ。しかし聳え立つ高い城壁を見て、ここを垂直に登らねばならないのかと嘆息する。


「ふぅ……また乱破の真似事をしなければなりませんか。仕方ありませんね」


「そうかい? アタシは結構楽しいよこれ。どっちが先に上がれるか競争しないかい?」


「……遊びではないのですよ?」


 眉を顰める妙玖尼だが、紅牙は笑って「それじゃ始め!」と勝手に宣言すると、縄に手を掛けて登り始めた。そうなると妙玖尼としても何となく後れを取るのは癪で、弥勒を背に括ると急いで登り始めた。


 いつしか紅牙と競うように登り続け、気付くと結構な高さがあったはずの城壁の天辺まで到達していた。


「はは! 憂鬱そうな顔してたけど、やりゃ出来るじゃないか」


「紅牙さん……あなた」


 そこで彼女は紅牙が子供じみた『競争』を持ち掛けてきたのは、登攀を憂鬱がっていた妙玖尼の気を紛らわせる為であったと気付いた。



「よし。周囲に他に人影はない。今度は降りだが登りに比べたら大分楽だぞ」


 いつまでも城壁の上にいると目立つ。雫に促され今度は鉤縄を反対側、つまり城壁の内側に降ろして、それを伝ってするすると降りていく。登りとは逆に雫が最後に降りてきて、鉤縄を回収する。


 これで無事に城の敷地内に潜入できた。潜入で頓挫していては先が続かないので、大規模陽動の甲斐があったというものだ。だが自分達にとってはある意味でここからが本番と言えた。


「さて、潜入できたのはいいけど、ここからどうするんだい? 孫四郎の居場所は解ってるのかい?」


 人気の殆どない敷地内に身を潜めながら、紅牙が雫に確認する。雫はかぶりを振った。


「兵を率いて出陣したのは竹中や石谷らの武将だけで、孫四郎がこの城に籠もったままなのは解っている。だが流石に現在城のどこにいるかまでは解らん。本丸は道三の居場所でそこはこの非常時でも警備が厚い可能性はあるが、孫四郎は恐らくそこにはいないという事だけだな」


 この戦国の世においては大名やその血縁者が様々な理由で、そして様々な方法で命を狙われる事は珍しくない。なので事故・・や巻き込まれを防ぐ為に、基本的に君主とその血族が一つ所に集っているという事は、公式行事などを除けば殆どない。


 居場所は勿論、食事から入浴などの行為に至るまで全て場所や時間をずらして別々にするのが基本だ。なので今回の場合でも孫四郎と道三が城の同じ場所にいるという事はまずあり得ない。ましてや暗殺の危険があるとなれば尚更だ。


「済まんが喜平次の時と同じ要領で索敵できるか? 喜平次が妖怪化していた事を考えると孫四郎も既に人ではなくなっている可能性が高いからな」


 雫は妙玖尼の方を向く。忍者でありながら索敵や情報収集という面で他者を頼らねばならない事が心苦しいようだ。だがこればかりは適材適所というものだ。そもそも義龍が自分を引き込んだのもこのためだろう。


「何も問題ありませんよ。出来る事出来ない事は人によって違うのですから」


 妙玖尼は頷いて索敵用の法術を発動する。鬼や妖怪の邪気を感知する事が出来る術だが、手放してしまった弥勒の位置を探知するのにも役立つ。


「…………」


 山城とはいえそれなりに広いので、探知には多少の時間は掛かる。その間紅牙も雫も、周囲を警戒しながら一言も喋らずに待つ。


「……お待たせしました。城内に邪気の発生源が二つ・・ありました。一つは城の内部のかなり中心に近い場所です」


「……! 中心……本丸か。となるとそちらは道三か。もう一つは?」


「もう一つは中央から外れた、城の西側の位置に感知できます」


 妙玖尼の報告に、雫は顎に手を当てて頷いた。


「この城は典型的な渦郭式の構造だ。曲輪くるわは本丸と二の丸の二層のみ。西側にあるのは二の丸だな。孫四郎は二の丸にいると見て間違いあるまい」


 自分達が忍び込んだこの外縁部も正確には二の丸の一部であるようだった。



「目的地が決まったんならさっさと行かないかい? 表の陽動だっていつまでも続けていられる訳じゃないんだろう?」


「言われるまでもない。付いてこい」


 雫は一瞬ムッとしたように顔を顰めたが、流石にここで口論するような愚は犯さず自ら先導するように進み出した。二の丸は城壁の外縁に沿って本丸を渦状に取り巻くように展開している。城に攻め寄せた敵は本丸に辿り着く為には、この二の丸を渦巻状に一周せねばならず、それゆえにこのような曲輪の形状を『渦郭式』と呼称している。


 つまり二の丸が本丸に達する為の通路兼防衛機構・・・・として備わっているのだ。今は殆どの兵が出払ってしまっているが、その代わり・・・となる存在が蠢いているのは間違いない。というより妙玖尼の感覚はすでにそれを感知していた。



「……お二人共、警戒を。『敵』です」


「……!!」


 彼女の警告とほぼ同時に、二の丸の通路に立ちふさがる影がいくつも出現する。不揃いな武装に身を包んだ兵士たちだ。数は五人ほどだが、どいつも真っ当な雰囲気ではない。恐らくは道三が私的に雇っている傭兵どもか。だが……


「ひへへ、城の警備なんざ退屈だと思ってたが、こりゃ随分な約得だぜ」

「ああ、堪んねぇな。どいつも上玉揃いだ」

「喰いてぇ……。柔らかそうな腹を掻っ捌いて、内蔵を引きずり出して貪りてぇ……!」


 妙玖尼達の姿を見て下卑た笑いを浮かべていた男達の様子が変わる。目が赤く発光し、牙や角が生え、そして身体が盛り上がった筋肉によって一回り以上肥大する。これは見間違いようがない。


「ち……やっぱりこいつらも外道鬼かい。まさか道三方の兵は全員外道鬼に変わっちまってるなんて事はないよね?」


 紅牙が外套を脱ぎ捨てて刀を抜きながら尋ねる。雫も素早く短刀を抜いてかぶりを振る。


「流石にそれはないだろう。あの『瘴気石』とやらも、まだそこまで量産は出来ていないはずだ。それが無ければ鬼共を兵士として運用・・する事は不可能だ」


 もし本当に外道鬼の軍隊など作れていたら、今頃道三は姑息な陰謀など駆使せずに正面から義龍の軍勢を滅ぼしていただろう。『鬼の軍隊』などという前代未聞の存在はそれほどに恐ろしい代物なのだ。



『ギヒャァァァッ!! 肉ヲ味ワワセロォォ!!』


 だが外道鬼どもが武器を手に突撃してきたので話している暇はなくなった。奴等には通常の武器では攻撃が通りにくい。妙玖尼は急いで弥勒を構えると法術を発動した。


『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』


 法術の光がまず紅牙の刀に飛んだ。彼女の刀の刀身が破魔の光に覆われる。


「はは、そうこなくちゃ! じゃあお先に行かせてもらうよ!」


 喜び勇んだ紅牙は迫りくる外道鬼どもに自分から突っ込んでいく。


『ギギ! 馬鹿ナ女メッ!』


 先頭にいた外道鬼が槍を突き出してくる。鬼の膂力が加味されており、凄まじい速度の突きとなっている。だが軌道そのものは単純で、来ると解っていれば紅牙なら捌くのは難しくない。


「ふっ!」


 呼気と共に刀で槍撃を捌く。外道鬼が体勢を崩す。そこにすかさず紅牙の刀が閃いた。通常であれば人間の武器で外道鬼が傷つく事は殆どない。だが今は別だ。


「おらっ!」


 気合一閃。破魔の斬撃が外道鬼の身体を切り裂き、不浄の血液を大量に噴き出して鬼が斃れた。



『貴様!? ソノ刀ハ何ダッ!?』


 外道鬼達が紅牙の刀を脅威と見做して集中的に狙ってくる。いかに彼女が腕利きの剣士といえども、流石に四体もの外道鬼を同士に相手には出来ない。反撃する余裕もなく追い込まれるが……


「むんっ!」


 外道鬼たちの後ろに影が走り、喉笛を切り裂かれた外道鬼が崩れ落ちる。雫だ。すでにその短刀には破魔の光が纏わっている。


「どうした? こんな雑魚ども相手にまさか手こずっているのではあるまいな?」


「はっ! 丁度これから反撃しようとしてたとこさ!」


 雫の揶揄に紅牙は威勢よく咆哮すると、言葉通り猛然と反撃を開始した。勿論雫もそのまま負けじと攻勢に出る。彼女達はそれぞれ一体ずつの敵を倒し、残った一体も妙玖尼の『破魔光矢』で仕留めた。他にもどんな敵が潜んでいるとも知れないので速攻で倒す必要があったが上手く行ったようだ。




「……五体もの外道鬼をこうもあっさりと殲滅出来るとは。法術とは本当に妖怪退治に特化しているのだな」


 短刀を収めながら雫が呟いた。一見簡単に倒したように見えるが、それは法術の援護があってこそだ。外道鬼は本来人間にとって決して『雑魚』ではない。


「それが私達の使命ですから。しかし退魔師の数に比してあやかし共の数は多く、そして滅しても滅しても際限なく新たなあやかしが増え続ける限り、私達の使命に終わりはありません」


 退魔師がどれだけ妖怪相手に優位に戦えてもそれはあくまで局地的な事で、この日の本全体からすれば増え続ける妖怪どもを抑えるので手一杯という有様なのだ。決して驕れようはずもなかった。


「ま、アタシ達は目の前の敵を倒すだけだから、あんたの力はとんでもなくありがたいけどね。さあ、他の敵が寄ってくる前に仕事を終わらせちまおうじゃないのさ」


「そうだな。今の戦いで孫四郎にも感づかれたかもしれん。急ぐぞ」


 紅牙の言葉に頷いた雫は、再び孫四郎がいると思しき二の丸の奥に向かって進み始めた。勿論二人も頷いてすぐにその後を追って進んでいく。

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