第28話 Hunter’s Moon-2
「あの超真面目な男が気の迷いや出来心でプロポーズするわけないでしょ」
考えてもみなさいよと腕組みして真顔で詰め寄られる。
これには思い切り言いたいことがあった。
「で、でもそんな真面目な先輩だから、プロポーズするならちゃんと時と場所を考えると思う。
ここで初めて玲子が気圧されたように後ずさった。
いつも後退させられるのは恵のほうだったので、たじろぐ姉を見るのは随分久しぶりな気がする。
「・・・・・・だから、それは、たぶん、ちょっと予定外だったんでしょうが」
「予定外でうっかり言っちゃったんだよきっと。急にほら、人恋しくなったとかさ。んで、適当なところに適当な後輩が居たから」
「そのうっかり引き摺って、いまもせっせと自宅に招いて夕飯食べさせてるって?」
「・・・うん。春まで待つって言ってたから、そのうち先輩の熱も収まると思う。もっと素敵な人を見つけるかもしれないし」
彼は自分の医院の従業員をそういう目では見れないときっぱり突っぱねていたけれど、あれだけ恵に愛果を推されたのだから、多少は意識して目を向けるかもしれない。
愛果の気持ちは見ていれば伝わって来るだろうから、後は診療時間の空き時間にちょっとしたアクシデントなんかがあって、うっかり転びそうになった愛果を山尾が抱きとめるようなことでもあれば。
『きゃっ!』
『大丈夫?けがはない?』
『す、すみません・・・足元ちゃんと見てなくって・・・・・・・・・あの・・・若先生・・・・・・』
『・・・・・・長谷さん』
同性から見ても羨ましいくらいよく育ったたわわな胸とまろやかな腰のラインに触れてしまったらきっと。
「うん、まあ、そうなるわよね」
高校時代から良くも悪くもほとんど変化のない体型の恵にしてみれば、あれほどスレンダーだった肉体をどうやってあそこまで魅惑的に育て上げたのかぜひともその秘訣を教えて貰いたいくらいだ。
「なに一人で納得してんのよ!」
「あいたっ!」
今度は容赦ない手のひらに額をぺしりと叩かれた。
「山尾はあんたがいいって言ってんのに、何手放そうとしてんのよ」
「手放すもなにも、私、山尾先輩に返事してないし・・・」
というか、あのプロポーズはそのうち無かったことになると思っているので、返事は必要ないとすら思っていた。
大人になればいろいろある。
人生の過ちの一部というやつだ。
納得いかないという様子で玲子がジト目を向けて来た。
山尾は玲子にとって可愛くて良く出来た後輩だろうし、高校を卒業してからもずっと交流を続けているところを見てもかなりのお気に入りであることは伺える。
だからといって、恵と山尾のことはまた別問題だけれど。
「なんで?あいつのこと嫌いなの?」
「いや、嫌いじゃないし、むしろ好きだし、人としてちゃんと尊敬してる」
彼は恵が思い描く通りの理想の先輩で、一度もその理想を裏切ったことがない。
「じゃあいいじゃない。あのね、よーく目ぇこらして見て見なさいよ。このちっさい町でひたすら家に籠ってるあんたの周りに、あれ以上にいい男っていると思う!?誰もが一度は憧れる医者で、そのうえ開業医!両親は隠居済みでいびられる心配もなし、遺産で揉めそうな面倒な姉弟もなし、本人の性格はあの通り温厚で人当たりもよくて、患者さんたちからの信頼も人望も厚い、そのうえ多分変な性癖もないし、あんたのことを好いてくれてる」
「・・・・・・・・・う、うん」
最後の一部分には?と疑問符が浮かばないでもないがまあ聞き流す事にする。
曖昧に頷いた恵の肩を掴んで、玲子が硬い声で告げた。
「山尾を逃したら、あんたにはもう後がないのよ!」
「いや、それはちょっと言い過ぎじゃないの・・・」
「テレワークで編集さんとテレビ会議する以外の交友関係を広げようともしない、同窓会にも行かないあんたに、この次の出会いなんてあると思う!?」
「いや、べつに無くてもいいでしょ。未婚女性増えてんだし・・・・・・」
「これが最後のチャンスだと思ってなんで飛び込まないのかって私は聞いてんのよ!」
憤然と言い放った玲子は、驚くべきことに涙目になっていた。
「あんたってさぁ、昔っから怖がりで臆病で、始める前からいっつも失敗したらどうしようってそればっかり。お姉ちゃんやってっていっつも私の背中に隠れてさ」
「・・・・・・だって・・・それは、お姉ちゃんがいっつも前に前に行っちゃうから」
「私がどんだけ手ぇ差し出しても、あんた隣に並んだことって一度もないでしょ?」
「世の中の女の子がみんなお姉ちゃんみたいに勇気も度胸も持ってるわけじゃないよ!怖いから慎重になってなにが悪いの!?自信ないんだもん。傷ついてこれ以上ぺしゃんこになったら、ほんとにみんな側からいなくなっちゃうよ!これでも必死に自分守って生きてんの!これで32年やってきたんだから、そんな簡単に変えられないよ!お姉ちゃんみたいにいつだって前向きに走っていける人には、教室の端っこで自分の世界に閉じこもって静かな青春を送った私の気持ちなんて分かんないわよ!」
「だから!だから、私が背中押すって言ってんでしょうが!私の妹が幸せになれないわけないんだから!」
パシン!と乾いた音と共に頬に熱が走った。
一拍置いて痛みを感じて、ああ、引っ叩かれたのだと気づいた。
「・・・・・・っ!」
数年ぶりの玲子からの張り手は、以前より各段にパワーアップしていた。
これで打たれたら、やや脂肪多めの優しいクマのような義兄も涙目になるだろう。
「自分で自分を卑下すんな!私が背中に庇ってやったって、歩くのはあんた自身なのよ!まずは自分で自分の味方になんなさい!そんで、ちゃんといまの自分を確かめなさい!山尾はね、あんたが凄いから惹かれたわけじゃないのよ、あんたと一緒に過ごす時間が心地いいから、その先も考えて欲しいって言ってんの!清水の舞台から飛び降りろって言ってるわけじゃないでしょ!?」
言葉と、愛と、手のひらで、横っ面を引っ叩かれた。
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