第30話 moon phase 19

一人減り、また一人減り、地元飲み会への参加者がどんどん少なくなっていって、ここ最近では山尾と涼川姉妹の三人で和来屋わらいやに集合するのが常になって来た。


というのも、地元に残って働いていた何人かの同級生たちは、栄転やら結婚やら引っ越しやらでみんなこの町を出ていってしまったからだ。


それぞれの人生があってそれぞれの未来がある。


30を過ぎると世界の見え方もずいぶんと変わって来るものだ。


勿論、変わらないものも沢山あるけれど。


いつものように三人で飲もうと玲子からメッセージが届いて、土曜診療の後、開店直後の和来屋わらいやに足を運べば、なぜかやって来たのは玲子だけだった。


「あれ?先輩だけ?恵は?」


恵がいないので自分でおしぼりを取ってからカウンター席に座ると、先にビールを開けていた玲子がグラスを傾けながらお疲れ、と言った。


「珍しく買い物ー。担当さんへのプレゼント買うからってわざわざ百貨店まで行ってるわ」


老舗百貨店がある都心部まで出かけるとなると、電車で片道1時間近くかかる。


よほどの事が無い限りネットで買い物を済ませてしまう彼女がわざわざ足を運ぶのはかなり珍しい。


「へえ・・・・・・ほんとに珍しいな。お祝い事?」


自分の目で見て選びたいといえばそれくらいしか思い浮かばなくて尋ねれば、玲子がこくんと頷いた。


「うんそう。ほら、今の担当さんって入社したての新人さんだったでしょ?あの子がすっかり一人前になって、とうとう結婚するんだってー」


「へえー・・・・・・もう5年くらいですよね?」


「んーたぶんねー・・・前の担当さんがほら、デビュー作一緒にやったベテランさんで、次にいきなり新人さんで、めぐめちゃくちゃ戸惑ってたもん。あの子がお嫁に行くのか―ってしみじみしてたわー・・・・・・お前がちょっとは焦れって話だけど」


「いや、無理でしょ」


同級生たちはほとんどが結婚して行ったし、残っている人間を探すほうが難しいくらいだ。


同じく独身を貫いている自分が言えた口じゃなかったなと思いながら、ここ最近の恵の様子を思い出して、いつも通りだったなと納得する。


どれだけ周りが早足になろうが、駆け足になろうが、もうこれで生きて行くんだと開き直ってからの恵は、ほんの少しのしたたかさを覚えた。


リナリアから着想を得た、古びたカフェが舞台の短編ファンタジー小説はWeb雑誌に掲載されてそれなりに反響もあったらしい。


恵が最初に書いたデビュー作はペンネームも今とは違っていて、絶対に読ませないと言われているのでどんなものか分からないけれど、恋愛小説だったことだけは玲子から聞いていた。


恋愛小説でもエッセイでもない新しいジャンルで作品を描けたことで、一つ自信が持てた部分もあったのだろう。


医者なんて硬い職業をしている人間からしてみれば、空想を文字として綴れるなんて最高の武器だと思う。


自分にはない視点で世界を切り取っていく恵の目に、一度でいいからなってみたいものだ。


「無理かー・・・・・・」


「恵は、なんていうか、ちょっと違う次元で生きてる気がするんですよね」


こんな抽象的な言い方で言いたいことが伝わるだろうかと思ったが、玲子はポンと手を打ってそうなのよ!と意気込んだ。


「あの子ってさぁ・・・・・・なんていうかずーっと自分を世界の隅っこに追いやってる気がするのよね」


「俯瞰で世界を見る癖がついてるのかな?職業柄?」


「違うのよ、そうじゃないの。たぶんさー・・・・・・これは私の影響も大いにある気がするんだけど・・・・・・絶対に当事者になろうとしないよねぇ・・・」


「当事者?」


「そう。どこまで行っても第三者で自分は終わるって思ってる節があるのよ・・・・・・・・・これはオフレコね」


山尾に向かって人差し指を立てた玲子が、空のグラスをカウンターから取って山尾に手渡した。


店長の岡本は玲子が先に注文しているメニューを作るのに忙しいようだ。


彼女が慣れた手つきでビールを注ぎながら続ける。


「あの子が最初に書いたデビュー作って、高校が舞台なの・・・・・・あの頃の学校の生徒をモデルにしてたのよ」


「へえ・・・・・・そうなんですね・・・・・・モデル」


そう言えば、クラス委員を集めての定例会議の時にいつも恵は熱心に誰かを見ていた。


もしかしたら、片思いの相手をモデルにでもしたのだろうか。


「でもね、ヒロインは自分じゃないの。ヒロインにもちゃんとモデルが居たのよ。それはいいの。でもね、あの子ってばそこにちょっとも自分を投影しないのよ。全然ヒロインになろうとしないの!なんでだと思う!?」


「せ・・・・・・性格とか?」


姉の影に霞んで少女時代を過ごした恵を思えば、そうなるのも無理はない気がするのだが。


「いっつも自分なんかって思ってるからよ。壁際から、教室の真ん中で楽しそうにしてる子たちを見てるのが、自分の正しいポジションだって思い込んでるの」


「その感覚は・・・・・・何となくわかるような気がするけどな・・・」


山尾もどちらかというと大騒ぎするガンや大に巻き込まれて輪の中に参加するタイプだった。


すべての人間がすべからく玲子のように前に出られるわけではない。


「誰も見ないマル秘ノートの中でさえそうなのよ・・・・・・」


「マル秘ノート・・・・・・?え、もしかして先輩それ盗み見したんですか?」


「そりゃあね、見たわよ。当たり前でしょ。気になるもん。妹のことよ?てっきり好きな男の子との妄想話を書き綴ってるのかと思いきや、教室で見聞きしたことを大量にメモしてあるだけで、恵の気持ちは一切書かれてないのよ。日記みたいに、好きな子とデートしたい!とか書いてあるかと思ったのに・・・・・・まあ、小説家としてはそれが正しいのかもしれないけど・・・・・・なんか、私は勿体ないなって思ったのよね。折角今生きてるのに、なんで自分がドキドキしようとしないんだろうって・・・」


「向き不向きが・・・」


「あったとしてもよ!一度くらい主役になりたいって言えばいいのになって思っちゃって・・・・・・まあ、どうせ言ったところで嫌だって言われるに決まってるんだけど・・・」


「恵は玲子先輩の二倍は慎重だから、まだそういう時期じゃないんだと思えばどうです?他人がどうこう言ったところで、本人がまだ違うって思ってるならどうしようもないでしょ?そのうち恵が自分の番だって思う時を待ってやれば?」


「それを待ってるうちに私がおばあちゃんになっちゃったらあんたどうすんのよ!?」


責任取れるの!?と玲子が鋭い視線を向けて来た。


息をするように、答えは簡単に出て来た。


「その時はほら、俺がいるでしょ」


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