第14話 moon phase 9

「ちょっとー岡本ぉ!ビールもうないんだけど!」


空になったビールジョッキを振っていい具合に酔っぱらった玲子が同級生の名前を大声で呼んだ。


高校卒業後からアルバイトで働き始めた居酒屋、和来屋わらいやを将来的に任される予定の岡本は、店長と二人で小さな店を切り盛りしている。


カウンター席に座る顔馴染みの漁師たちの話し相手を務めながら、常連客のサラリーマンに冷酒とおでんを追加して、テーブル席の客が立つと同時にレジ前まで走っていく。


この店に何人の岡本が働いているのかと目を疑いたくなるくらい、彼の動きは俊敏で無駄がない。


これぞと見込まれて次期店長候補になっただけのことはある。


店主は調理メインでほとんど接客を行わないので、フロア仕事を一切合切引き受けている岡本は、同級生の玲子には遠慮がない。


彼がアルバイトを初めてすぐに店に飲みに来てからの付き合いなので、気心が知れているせいもある。


「あー悪ぃ!手ぇ足りねんだわ、勝手に取ってって?」


空いたばかりのテーブル席を片付けながら、追加注文の声に返事をする岡本に一つ頷いて、玲子が唯一の座敷席を貸し切っているお馴染みの生徒会メンバーを見回した。


恵の卒業祝いも和来屋わらいやで、大学入学祝いも和来屋わらいやだった。


もっといえば、小説コンテスト入賞のお祝いも和来屋わらいやだった。


この町唯一の居酒屋ということもあるが、どれだけ酔っても徒歩で帰れる距離というのはやっぱり楽でいい。


うっかり寝過ごす心配も、姉を置き去りにする心配もない。


大抵玲子の呼びかけで集まる生徒会メンバーは決まっていて、みんな徒歩圏内に住んでいる者ばかりだ。


来年県外に就職が決まっている先輩も何人かいるので、そのうち座敷で飲むことはなくなるだろう。


「だってー。ほら、誰か行きなさい!お酒取りに!」


玲子の声に弾かれるように、恵の一つ上の元会計と、山尾と同い年の元副会長が腰を上げた。


「あ、じゃあ僕が」


「私が」


それを慌てて制するのはいつも恵の役目だ。


「大丈夫ですっ!ちょっとお姉ちゃん!自分が飲むんだから自分で行きなよ」


毎回こうして飲み会ならぬ玲子を囲む会になってしまうのだから困ったものだ。


未だに熱烈な玲子信者である後輩たちが居てくれるからこそ成り立っているけれど。


目を据わらせて妹を指さした玲子がなんでよーと文句を返した。


「狭い座敷で上座の人間が動いたら、逆にみんなに迷惑でしょー?」


毎回玲子先輩は奥へ!と上座に座らされるのをいいことに、この姉が自ら率先して飲み会の場で食器を片付けたりオーダーを通したことはない。


「もおお・・・・・・」


さすがに先輩たちに頼めないで、毎回こうして恵が立ち上がるのだが。


「いいよいいよ、恵、取ってくるから。座ってな」


「そう言ってさっきも山尾先輩行ってくれましたよね?」


最終的にそんな恵を制して、カウンター奥のアルコール用の冷蔵庫にお酒を取りに行くのも、大型冷蔵庫に貼り付けてある注文票にオーダーを追記するのも山尾だ。


毎回こういう役割は山尾が引き受けることがなぜか多い。


「いいじゃないのー小回り利く男、私好きよぉお!」


「お姉ちゃんの好みは聞いてないから」


「あ、めぐー、枝豆ももうなーい!」


「ちょっと待ってってば!」


「枝豆も頼んで来るよ」


「・・・・・・・・・すみません」


頭を下げた恵に気にしなくていいよと笑って山尾が座敷を出ていく。


玲子がイカゲソを摘まみながら唇を尖らせた。


「あーあーでも、みんなどんどん地元からいなくなっちゃうわねー」


「しょうがないですよ。ここで仕事って言ったら、組合か俺みたいな地味で手堅い公務員ですもん」


今年から地方公務員に仲間入りを果たした元副会長の言葉にしみじみと頷いた元会計は、お目当ての化粧品会社の経理部の内定をもぎ取っており、春から隣の県で社会人デビューの予定だ。


「そうそう。企業ってなるとやっぱりここから出ないと」


「でもさ、私が歯科医院継ぐ頃にはこっち戻って来て受付してよ。佐伯ちゃん愛想いいしさ」


「えーほんとですかー?じゃあ、こっちでいい人見つけられるように頑張ります」


「とか言って、ちゃっかり社内結婚してそうだけど」


「ええーほんとですかー?でも、社内女性7割だしー・・・まあ、探してはみますけど」


嬉しそうに春に向けて期待を膨らませる先輩の楽しそうな表情をぼんやりと眺めていたら、玲子の代の副会長が思い出したように恵に視線を向けて来た。


「で、恵は?仕事どうすんの」


途端玲子が、同期の口に大量のイカゲソを突っ込んだ。


それと同時に未来の経理部社員が顔を顰めて苦言を呈する。


「もう・・・今日は仕事の話はしないって・・・」


目を白黒させてイカゲソを頬張る玲子の同期に向かって、恵は苦笑いを返した。


大学3年生も終わろうとする今頃になっても、内定はゼロ社のまま。


どうにかデビュー作にはありつけたものの、目まぐるしく変化する出版業界に恵の終の棲家は残念ながら見つけられなかった。


担当さんと二人三脚で書き上げた二作目は全くヒットせず、それならと就活に本腰を入れてみたものの、なんせ小説を書くこと以外やりたい事が無い恵なので、就活は全くと言っていいほど打っても響かなかった。


幸い父親の歯科医院は順調で、このまま仕事が決まらなかったら、今まで通り受付を手伝ってくれればそれでいいよと言われている。


なんとも不甲斐ない次女とは真逆を突き進む長女は、一度も立ち止まることなく歯科医師になる道を邁進しているというのに。


「私はー・・・・・・家事手伝いですかねぇ」


恵の言葉ですべてを悟った男が、申し訳なさそうに肩を落とした。


「あ・・・・・・なんかごめんな・・・・・・・・・そうだ、あのさ、俺の勤めてる西園寺建設、県外だけど来年以降新店舗で事務員募集予定あるんだよ。もしほんとに仕事決まらなかったら、考えてみれば?」


「ありがとうございます・・・もしもの時は、考えてみます」


出来るだけ軽い口調で頷いてみせた恵の隣に戻って来た山尾が、ビール瓶の栓を開けながら静かに言った。


「急がなくていいんじゃない?恵はやりたいこと決まってるんだから。作家としてデビュー出来たってことだけでもすごいし。俺たちの誰も出来なかったことなんだからさ」


昔から彼のフォローはいつだって絶妙だ。


背中を押すのではなくて、現在地の自分を誇れるような言葉をさらりと口にする彼の声は、ただただ穏やかで優しい。


不思議とその言葉を聞いていれば、大丈夫だと思えるようになる。


「そうよそうよ!恵の才能はほんとに凄いんだから」


「よく言った山尾!」


自分の事のように胸を張った玲子が、空のジョッキを差し出してくる。


そこにビールを注ぎながら、山尾がおもむろに視線を向けて来た。


「焦らず、無理なく、恵らしくね。あと、県外はお勧めしないな」


「え、なんでだよ山尾。うちの会社福利厚生も滅茶苦茶いいよ?」


これでも優良企業トップ50に入っている会社だぞと声を上げた先輩に、山尾が柔らかく告げる。


「寂しくなるでしょ?」


彼は、誰が、とは言わなかった。










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