第48話




 血臭が漂っている広間は濃密な死の気配に満ちていて、息が詰まりそうだ。


 それでも引き下がることはしない。黒獣王オーディックと対峙する。


 星崎さえそばにいてくれたら、【好感度レベルアップ】でオーディックとの力量差を埋めることができたかもしれないが、その望みは絶たれた。


 俺一人の力で、この窮地を乗り越えなきゃいけない。


 だけど、心のどこかで安堵もしていた。


 転移魔術のトラップで星崎と朝美は魔城内のどこかに飛ばされてしまったが、オーディックがいるここよりも危険な場所なんて他にはないはずだ。


 もしも星崎や朝美が広間に取り残されていたと思うとゾッとする。取り残されたのが、俺でよかった。


 だからって、自分の命を諦めるつもりはない。


 瞳の焦点をオーディックに合わせる。遠目からでも、怖気がするほどの死の気配をまとってやがる。目をそらしたくなるが、そらせばその瞬間に殺されそうで視線を動かせない。


 敵の姿を視界にとらえながら、記憶をたぐり寄せて、友達が話してくれたことを思い出す。


 オーディックが装着している『黒獣王の鎧』は闇属性への耐性が高い。なので闇属性の攻撃は通じない。


 逆に光属性の攻撃はオーディックの弱点なので効果的だ。戦闘前には準備しておくことが必須になってくる。

 

 オーディックの出現事態がイレギュラーだから、そんな準備はできるわけがなかったがな。せめて光属性の攻撃手段さえあれば、勝機を見出せたかもしれないが……あいにくと、そんなものは持ち合わせていない。


 そしてオーディックが逆手に握っている『黒獣王の剣』は凄まじい攻撃力があって、多くのプレイヤーを苦しめた能力も秘められている。


 友達との会話からオーディックの情報を引き出すと、肺をふくらませるようにして深呼吸をした。


【蔵よ】を発動させて、『辺境遺跡の剣』を異空間のなかに仕舞う。代わりに狂いし聖騎士からドロップした、『修羅に挑みし剣』を取り出す。


 鮮やかな血潮で染めあげたような真紅の剣を手にする。


 戦う相手のレベルに応じて攻撃力があがる能力を持った剣。格上と戦う今だからこそ、その真価を発揮する。


『修羅に挑みし剣』の重さを右手で感じながら、この世界に来て体験した一つ一つの戦闘を思い返していく。 


 敵が誰であれ、俺は生き延びてきたんだ。今回だって、生き延びてやる。


 それにこの世界で戦ってきて、わかったことがある。


 ゲームと違って、レベルやステータスといった概念だけが全てじゃない。それ以外の要素だって、勝敗に影響をおよぼす。


 頭のなかで感情の整理をつけると、こっちから仕掛ける。胸をよぎる不安を押さえ込んで、左手に【追尾する短剣】を具現化して投擲する。


 銀色に光る短剣が、一直線に飛んでいった。


 オーディックはその場から動こうとしない。ヤツなら短剣を避けることなんて造作もないはずなのに。


【追尾する短剣】がオーディックの顔面に命中する。しかし短剣は突き刺さることなく黒い体毛に弾かれて、地面に落ちて消えてしまった。

 

「避ける必要もないってことか」


 短剣が刺さらなかったのは、単純に威力が足りなかったからだ。あのバケモノの防御力の前では、【追尾する短剣】は通用しない。


 オーディックは鋭い牙が生えそろった口から熱のこもった吐息を吹くと、前傾姿勢になる。


 ――来る。そう直感したときにはオーディックは跳び出していた。広間のなかを蛇行するように疾走しながら迫ってくる。


 瞳を左右に動かすが、視覚では追えない。というかもう来る。


 雄叫びが響き、逆手に握られた漆黒の剣が荒々しく水平に振るわれる。


 動きについていくことはできず、直感を頼りに『修羅に挑みし剣』を構える。


 刃が噛み合う音が鳴った。激しい振動が全身を震わせ、体ごと吹っ飛ばされる。


 地面に触れた靴底がすり減っていき、後退させられる。


 両足に力を込めて、吹き飛ばされた体を無理やり急停止させる。


 かろうじてだが、防御に成功。両腕の感覚がなくなったみたいに麻痺しているが、まだ生きていた。


『修羅に挑みし剣』のおかげだ。『辺境遺跡の剣』を使っていたら、剣ごと叩き折られて体を真っ二つにされていた。オーディックの攻撃をまともにくらえば、よくて致命傷。九割以上の確率で命を落とす。


 ノーダメージでクリアしろとか、バカげた難易度だ。


「よくぞ我が剣を防いだ」


 オーディックは獰猛な唸り声を発しながら語りかけてくると、再び突進。今度は蛇行せずに直進。距離を詰めてくる感覚がさっきよりも速い。


 眼前に迫ってくる巨体に心臓が跳びはねそうになるが、走行がまっすぐなぶんさっきに比べれば防ぎやすい。


「【闇霧やみぎり】よ」


 オーディックがそう唱えると、漆黒の剣が闇色の霧を帯びていく。


 まずい! あれは!


 再び漆黒の剣が横薙ぎに振るわれる。回避は間に合わず、防ぐしかない。


 闇の霧をまとった斬撃を真紅の剣で受けて、またしても吹っ飛ばされる。


「ぐっ……!」


 両足の踏ん張りを利かせて、後退する体に急ブレーキをかける。


 そして先ほどまでなかった倦怠感に、膝が崩れそうになった。


「これは……」


 自分の手足や胴体を目にして、歯噛みする。


『黒獣王の剣』にエンチャントされていた【闇霧】が、俺の腕や足、全身にまとわりついていた。

 

 これが『黒獣王の剣』の能力。相手のHPを徐々に削っていく闇の霧を発生させる。


 まとわりついた【闇霧】は、しばらくすれば自動的に消えるが、厄介なのは状態異常を癒やす治癒魔術を使っても消せないことだ。この黒い霧は、時間経過でしか消すことができない。


 急いで自分のステータスを確認すると、『HP:47650/47800』になっていた。表示されたHPが、毎秒ごとに数値を減らしている。


 オーディックが『ラスメモ』のプレイヤーたちから凶悪なエクストラボスと呼ばれている由縁は、このスリップダメージを与えてくる【闇霧】にある。この黒い霧に多くのプレイヤーたちが苦しめられ、俺の友達も「強すぎて倒せない」と頭を悩ませていた。


 まとわりついた【闇霧】が時間経過でしか消せないのなら、減り続けるHPを回復させないといけない。だが、回復魔術が使える朝美は転移魔術のトラップで飛ばされてしまった。


 ただでさえオーディックの攻撃力は凄まじいのに、HPが減り続けるだなんて最悪だ。自分の生命力を削ぎ落とされているみたいで、精神への負担が半端じゃない。


 さきほどオーディックの斬撃そのものは防いだが、【闇霧】は俺の体に付着した。スリップダメージは、ガードを貫通して入ってくる。


 つまり、オーディックの【闇霧】を防御で受けるのではなく、完全に回避しないとHPが削られ続ける。


 防御が許されないなんて、難易度がはねあがりすぎだろ。


 だけど、こっちの事情なんて相手は気にしちゃくれない。オーディックは全力で俺を殺しにくる。




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