第46話




『色褪せし魔城』が崩壊しはじめて、ダンジョンそのものが震撼しているのではないか。


 そう錯覚してしまう、凄まじい咆哮が轟いた。


 その一声で、剣を構えていた俺たちは身動きを封じられて硬直してしまう。


 抗うこと自体が無意味だと、そんな理不尽さを強いられるほどの迫力が、響いてきた咆哮にはあった。


「……なんだというのだ?」

 

 シャディラスは挙動不審になって、辺りに視線をめぐらせる。もはやその顔には余裕がない。響き渡ってきた咆哮は俺たちだけでなく、シャディラスにも等しく恐怖心を植えつけていた。


「……っ」


 星崎は引きつった表情のまま身を固くする。正体のわからない存在に戦意を抱くことさえできずに、焦燥を募らせている。


 朝美も身をすくめて息を飲んでいた。ナニカがすぐそこまで迫っていることを、肌で感じているんだ。


「この音は……」


 無意識に呟く。自分の声とは思えないほどに上擦っている。


 聞こえてくる。重機が動いているような重量感のある音が。だけどこの音は鈍重ではなくて軽快だ。逃げることが許されないことを俺たちに告げている。


 そして数多の命を奪い、死をまき散らした、恐怖を具現化したようなソレが姿を現す。


 広間の右側にある通路から、猛然と大きな黒い影が躍り込んできた。床に転がる魔物の死体を蹴散らし、血溜まりのしぶきをあげながら、すべり込んでくる。


 疾風をあびて、全身をおおっている黒い体毛が波打っていた。見あげるほど上背があり、身につけた漆黒の鎧のなかには強靱な筋肉が収められている。熱くたぎった呼吸が吐き出されるたびに、鎧が動いて音を立てている。


 狩りを得意とする狼のような怜悧で精強な面構えだ。頭部に装着した漆黒の兜の左右には穴が開いていて、犬のような耳が生えている。


 二つの鋭い瞳は底知れない暗闇を宿しており、熟練の狩人さながらに無駄なく動いて、広間の状況をあますことなく捉えていた。


 大きく裂けた口からは肉を噛み砕く牙を覗かせ、筋肉の塊である手足には獲物を切り裂く爪がある。


 拳をつくっている右手には、闇の底から引き抜いてきたような禍々しい漆黒の剣を逆手に握っていた。


 突如として広間に乱入してきたのは獣人だった。だが、『荒れ果てし辺境の遺跡』で見たものよりも巨体で暴力性を感じる。地上の人間は言うにおよばず、冒険者ですらその偉容には慄然としてしまう。


 この場にいる全員が、動揺を隠せないでいた。


『ラスメモ』の世界に来て、たくさんのバケモノを目にしてきたが、あの黒い獣人は俺が出会ってきたどんなバケモノよりも危険だ。


「亡国にとらわれた王が!」


 シャディラスは前歯を噛みしめながら、黒い獣を睨みつける。その表情には焦りと恐怖がにじんでいた。


 俺に向けていたはずの殺意を黒い獣に移すと、シャディラスは紫色の長剣を構えて地を蹴る。ここから逃げられないと判断して、先に仕掛けるつもりだ。


 シャディラスは水平に剣を走らせ、黒い獣に襲いかかる。だが、黒い獣はその斬撃を上回る速度で横に跳んだ。そして広間全体に響くような咆哮をあげ、逆手に握った漆黒の剣でカウンターを叩きつける。


 シャディラスといえども、あの黒い獣の攻撃をまともに受ければただでは済まない。下手したら一撃であの世行きだ。


 しかし、漆黒の剣が直撃する寸前にシャディラスは【影の転移】を発動。霧のように姿が掻き消えていき、猛スピードで迫ってきた漆黒の剣が空を切る。


 次の瞬間、シャディラスの姿は黒い獣の頭上に転移していた。敵の背後だけでなく、真上にも瞬間移動ができるのか。


 黒い獣の頭上を取ったシャディラスは紫色の長剣を真下に向けて、兜に守られている黒い獣の脳天を狙う。


「がっ!」


 しかし、紫色の長剣が届くことはなかった。


 シャディラスが刺突を繰り出すのに先んじて、黒い獣が左手を頭上に向けて伸ばし、人形でもわしづかみにするようにシャディラスを捕らえる。


 ガラスに亀裂が走るような音が鳴った。


 シャディラスが装着している紫色の鎧がヒビ割れていく。鎧だけじゃない。おそらく肉も裂けて、骨も砕けた。黒い獣の握力に潰されて、シャディラスの肉体から血が噴き出す。


 シャディラスは悲痛な声をあげてもがくが、黒い獣の左手からは抜け出せない。


 黒い獣は左腕を振りあげた。巨体をひねりながら左腕を振り下ろし、捕らえていたシャディラスを思いっきり地面に叩きつける。


 落雷のような轟音。砂埃が舞い上がり、鮮血が飛び散った。


「お、おのれ……」


 シャディラスは全身を痙攣させながら、床に手をついて立ちあがろうとする。満身創痍で、普通の人間ならとっくに死んでいる。


 地べたにひれ伏すシャディラスを、黒い獣は静かな瞳で見下ろしていた。その様相は、こうべを垂れる罪人をこれから裁こうとする王様のようだ。


「貴様ごときでは、我に死を与えることはできぬ」


 黒い獣は逆手に握った漆黒の剣を無造作に地面に突き立てると、威厳のある野太い声で語りかける。


 あの獣人も喋ることができるのか。


「ぐっ……!」


 シャディラスは顎を食いしばった。あらゆる箇所が故障しているであろう肉体を力ませて、血を噴き出しながら、膝を持ちあげて立ちあがる。


 体勢を立て直して、赤い瞳で黒い獣を睨みつけながら突進。紫色の長剣で刺突を繰り出す――その姿が消失する。


 シャディラスは突撃を仕掛けると同時に、クールタイムを終えていた【影の転移】を発動。黒い獣の背後に現れて、紫色の長剣を突き刺す。


 漆黒の斬撃が、三日月のような軌跡を描いた。


 黒い獣は正面を向いたまま、右手に握った漆黒の剣を背面に向けて振るう。シャディラスの行動を読んでいたんだ。


 生々しい音がする。斬り飛ばされたシャディラスの両腕と紫色の長剣が、宙を舞って地面に落ちた。


 両腕をなくしたシャディラスは顔中の筋肉を強張らせて絶叫する。


 その絶叫も、長くは続かない。


 黒い獣は背後に向き直ると、逆手に握った漆黒の剣を舞うように振りまわす。烈風を巻き起こす連続斬りで、光城涼介に死を与えるはずだったシャディラスの五体を八つ裂きにしていく。


 剣で斬るというよりも獣の牙で食い散らかされたような無残な有様になったシャディラスは、肉体の形が崩れていき灰になっていく。紫色の長剣も、身につけていた紫色の鎧も、灰に変わっていった。


 地面に積もった灰の山のなかには、赤く光る魂精石だけが残される。


 あのシャディラスが、為す術もなく一方的に殺された。


 ありえない展開に、言葉を失ってしまう。


 そしてやはり自分が勘違いしていたことを痛感する。


 シャディラスの鎧がひしゃげるように破壊されていく様を目にして、確信を持つ。


『色褪せし魔城』で多くの冒険者が犠牲になって生還できないのは、シャディラスが原因ではなかった。


 この広間で冒険者と魔物が入り乱れて殺されている惨状を生み出したのも、シャディラスではない。


 すべては、あの黒い獣だ。


 あいつの仕業だ。


 こいつこそが、魔城に潜んでいた怪物だ。


 このバケモノは初めて見るはずなのに、どういうわけか記憶に引っかかる部分がある。


 その理由もすぐに理解する。


『ラスメモ』マニアの友達が愚痴っていた。「あの黒いモジャモジャ」と。「プレイヤーみんなの心がへし折れた」と。


 確か、あの黒い獣の名前は……。


「朝美、光城くん。鑑定よ」


 ハッとして我に返った星崎が指示を飛ばしてくる。


 俺と朝美はすみやかに鑑定を行った。


黒獣王こくじゅうおうオーディック】 

 レベル:1200

 今は亡き黒獣国の王。滅びた国を想い、戦いに明け暮れている。

 装備した『黒獣王の剣』と『黒獣王の鎧』で、自身が不敗であることを証明してくる。


 鑑定を終えると、肝が冷えた。


 信じられないことに、レベルが1000を超えてやがる。 

 

 圧倒的な力量差に、さすがの星崎と朝美も顔面が蒼白になっている。


 黒獣王オーディック。本来であれば、ここには存在しないはずだ。なぜならコイツはダンジョンボスよりも凶悪なエクストラボス。


 そのなかでも、極上の難敵だ。


 天空に浮かぶ島型のダンジョンで特定条件を満たさないと出現しない。うろ覚えだが、友達がそんな説明をしていた気がする。


『荒れ果てし辺境の遺跡』で戦った『狂いし聖騎士』と同じで、規格外の存在だ。


 初見で勝てたプレイヤーは一人もいない。そう言われるほどの、鬼畜極まりない攻撃手段を用いてくる。それで多くのプレイヤーの心をへし折ってきた。倒せずに断念するプレイヤーがいたほどだ。


 そんな途方もない怪物が、星崎でも、朝美でもなくて、どういうわけか俺のことを獲物として見据えていた。




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