第4話 帰らん

「俺が山のぬし、白狼だ!」


 やえの間近に来た主様がそう言った。

 狼を見た経験の無いやえだが、狼と言えば……


「ははぁ、狼さんでしたか。

 えろうすんません。

 狼さんは見た事がのうて、お犬さんと区別が付きませんでした」

「まぁ、それは良い。

 外見で狼と犬の区別が出来るのは年季の入った猟師ぐらいだからな。

 それは良いが、何故怖れない?!

 狼が目の前にいるのだぞ」


「あの……我儘言うて良ければ……

 やえは経験が無いので……初めては優しく加減して欲しいです」

「…………娘、何の話をしている?」


「あの……やえは女衆から教わりました。

 狼言うたら……男の人はみんな狼で見境なく女に襲い掛かる獣じゃ、て……」

「違うっ!

 狼はそんな事はしない」


 やえの耳に又ため息を着く音が聞こえた。



「とにかく娘は里へ帰るが良い。

 里長には俺から話そう。

 贄など不要だと」

「それは……いけんです」


「何故だ?

 お前さっきから言ってる事がおかしいが。

 もしや…………

 獣とまぐわいたい、とか。

 そんな趣味なのではあるまいな」


「まぐ……

 主さん!

 幾ら主さんでも許しませんえ。

 うちは生娘や、言うちょりましょうが。

 生娘つかまえて、なんちゅう事言いよるん!」


 相手は山の主。本来声を荒げたりしてはいけない存在なのだが、つい大声で言ってしまうやえである。

 しもうた。奥様にくれぐれも主様に失礼の無い様に言い使っちょったんじゃった。すっかり忘れちょった。


「主さん、すんません。

 言葉があろうなってしまいました」

「いや、こちらこそすまなかったな」


 やえが頭を下げると、視界にある白い物も鼻先を下に向けた。三角形に上を向いていた耳がこちらに向けられる。


「あんねぇ、主さん。

 うちは帰らん。

 帰る訳にはいかんのじゃ。

 こんな子供じゃ不服かしれんが、ご飯として食べるか、女として好きにするか、

 どっちかしてくれんかのう」

「何故だ、何故素直に里に帰らない?」


「うちはねぇ。

 子供の頃から目が悪い。

 何をするにも人の手を借りにゃいけん。

 父ちゃ、母ちゃの家から里長の所にやられて。

 それでも、掃除をしようにも他の人に用具の場所を教えて貰ってからしか出来ん。

 台所仕事なんて以っての他じゃ。

 包丁も扱いよる、火も使う、絶対近づくな言われちょる。

 そんな役立たずのうちじゃけど……

 ……………………

 奥様にこの娘は山の主様の贄にする、言われて……嬉しかったんじゃ。

 ああ、うちでも他人の役に立てる事が有る。

 うちにも果たすべき役割があったんじゃ、って。

 ほやから。

 帰る訳にはいかんのじゃ」

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