第2話 運命の扉

第二章 「運命の扉」


 家の前に誰か居る。三十代ぐらいの中年の女に見えた。女は愛美に気づくと、そそくさと立ち去った。一瞬の事だったので、愛美は女の顔を見る事はできなかった。だが愛美には、ちらりと見た女が母親のように感じられた。

(お母さんなら、夜勤で居ないはず。忘れ物でもしたのかしら)

愛美と母親は、もうずっと会話をしていない。家庭内別居のような関係だった。父親は、愛美が物心つく前に死んでいる。愛美は母親とふたり暮らしだ。

それなのに母親が愛美に無関心なのだ。たったふたりだけの家族なのに、母親は愛美と仲良くしてくれない。食事は母親が作り置きしたものを、電子レンジで温めて食べる。親子で一緒に食事など、久しく無い。

愛美は母親と仲良くしたかった。先ほどのバケモノを聖母と勘違いしたとき、愛美が思い浮かべたのは、聖母に祈りを捧げれば、母親との関係が改善するのではないか、というものだった。

 それで愛美は聖母を追いかけて、慌てて家を飛び出してしまったのだ。そのせいで怪異に巻き込まれてしまい、聖母の出現を信じた愛美の心は傷ついてしまった。 

 そもそも母親が仲良くしてくれれば、バケモノを聖母と信じて騙される事もなかったかもしれない。

(お母さんが守ってくれないから、バケモノに殺されかけたんだ。守ってよ。母親だったら、ちゃんと娘を守ってよ)

つい、怪異に巻き込まれた事を、母親のせいにしてしまう。

(誰でもいい。誰でもいいから、私を守って。どこかに私を守ってくれる人はいないかな)幼馴染みの暁の顔が思い浮かんだが、すぐに打ち消した。


愛美は二階の洗面台で念入りに顔を洗ってから、部屋に戻ると、部屋を出る前に開け放していたカーテンを、勢いよく閉め、ベッドに体を横たえた。愛美はスマートフォンを取り出すと、魔女のマリアさんにメールを打った。


「愛美です。マリアさん、大変な事が起こりました。バケモノが現れたのです。信じられないかもしれませんが、本当です。バケモノは最初、聖母のふりをして私の部屋の近くの外に出現しました。私を外におびき出し、正体を現して私に襲いかかったのです。危うく殺されるところでしたが、マリアさんから送ってもらったタロットカードのペンダントが私を守ってくれました。あのソードのエースのカードをデザインしたペンダントです。

もしかしたら、今後もバケモノに襲われるかもしれません。どうしたらいいですか? 原因はわかりますか?

私がキリスト教徒を辞めたせいで、神がお怒りになったのでしょうか? ウィッカンを辞めてクリスチャンに戻ったら、助かるでしょうか? 頼りになるのはマリアさんだけです。返信をお待ちします」


 愛美は一気にメールを書き上げ、送信した。愛美は祈るような気持ちで、魔女のマリアさんからの返信を待った。マリアさんなら、良いアドバイスをしてくれると信じているからだ。マリアさんからのメールの返信は、割と早かった。


「運命の扉が開いてしまったようですね。もう後戻りは出来ませんよ。これはあなたの持って生まれた運命です。キリスト教徒に戻る事には意味がありません。ウィッカンであることが、あなたを守る事になるでしょう。私が送ったタロットカードのペンダントは、特別な力を込めて聖別した護符です。これからも、いざというときあなたを守ってくれるでしょう。

 いずれもっと強力なアイテムを送ります。ただ、今のあなたには使いこなせないでしょう。あなたに資格が備わったとき、そのアイテムを送ります。それまでは、タロットカードのペンダントを使ってください。逃げないでください。逃げなければ、道は拓けるでしょう。自分の運命を受け入れてください。それと、身近な人に注意してください」


 愛美はベッドに横になったまま、何度もマリアさんからのメールを読み返した。

(運命の扉って、なによ? 私の持って生まれた運命? 私にどんな運命があるっていうのかしら? つまり私は、バケモノに襲われる運命を持って生まれて来たっていうこと? そんなの嫌だ)

 マリアさんからのメールを読んだ限りでは、愛美がバケモノと遭遇するのは先ほどで終わりなのではなく、むしろ始まりなのかもしれないと思える。愛美は暗澹とした気持ちになった。昨日までは平凡な女子高生だったのに、突然、奇妙な運命に巻き込まれてしまった。まるで自由に飛んでいた蝶が、蜘蛛の糸に絡まって逃げられなくなったかのようだ。

(タロットカードのペンダント、あのソードのエースのペンダントが守ってくれる。それは嬉しい。だけど、もっと強力なアイテムがあるんだったら、早く送ってほしい。資格ってなに? どうしたら資格が備わるの? 詳しく教えてよ)

 マリアさんには、もっと質問したいが、しつこくメールするのは、愛美には躊躇われた。いくら親しいとはいっても、やはり他人なのだ。親しき仲にも礼儀あり、という言葉もある。マリアさんへのメールは、嫌われたら困るので、しつこすぎない程度にするつもりだ。

 魔女のマリアさんは、愛美のウィッカの師匠である。ウィッカとはキリスト教以前の古代ヨーロッパの多神教信仰を復活させたもので、特に女神信仰が中心だ。ウィッチクラフトの中の多数派でもあり、ウィッカを信仰する人がウィッカンと呼ばれる。

 愛美はウィッカンになって日が浅い。高校三年生になってすぐの誕生日。五月十日にウィッカンになった。十八歳になった日が、ウィッカンになった日でもある。ウィッカンになって間もないとはいえ、師匠のマリアさんが優秀なので、愛美はすぐにウィッチクラフトに熟達した。満月や新月には特別な儀式もするようになった。

 愛美をウィッカンに誘ったのは、愛美がアルバイトをしているファミリーレストランの常連客の女性だった。占いを得意とする女性で、愛美の生年月日を聞いて占ってくれるのだが、それがよく当たる。あまりにも当たるので、愛美も占いに夢中になってしまった。

 その女性が魔女のマリアさんを紹介してくれた。実は愛美は、魔女のマリアさんとは、まったく会った事がない。メールだけの付き合いだ。一度、マリアさんに電話したいと頼んだことがあるが、電話は苦手とのことで、電話番号は教えてもらえなかった。

会った事はないが、魔女のマリアさんは、誰よりも愛美の事を理解してくれて、まるで昔から愛美の事を知っているのではないかと思えるぐらいだ。

 魔女のマリアさんは愛美が高校を卒業したら、自分が主催する魔女のグループであるカヴンに招待すると言ってくれた。それまでは通信教育と称して、メールでウィッカの歴史やウィッチクラフトのやり方を丁寧に指導してくれるそうだ。

 愛美の母親は敬虔なキリスト教徒で、愛美も赤ん坊のときに洗礼を受け、物心ついたときからクリスチャンだった。愛美がウィッカンになったのは、愛美に愛情を注ごうとしない母親への反発もあったと思う。しかしなにより子供の頃からキリスト教一色だった愛美にとって、ウィッカが新鮮に映った事がウィッカンになる決め手だった。

 魔女のマリアさんから女神像の絵や、ウィッチクラフトの儀式に必要な道具一式を送ってもらった愛美は、さっそく部屋に折りたたみ式のテーブルを使った簡易式の祭壇を作ると、女神像の絵を祀った。敬虔なキリスト教徒である母親に見られたら勘当ものだが、母親は愛美の部屋など覗こうとはしない。

 魔女のマリアさんから教えられた儀式の手順をブックオブシャドウと呼ばれる、いわば魔女のバイブルに当たるものに書き写して、愛美は実践した。スペル(呪文)は、ウィッカ専用のものより、旧約聖書の詩篇を愛美は好んだ。どこかでキリスト教を捨て切れていないのだろう。

 聖母のふりをしたバケモノを見て本物の聖母が現れたと素直に信じたのも、愛美の心の奥底に、まだクリスチャンとしての信仰が息づいているからだろう。聖母の出現の奇跡を疑わず、母親との関係改善を祈ろうと思ったのは、ウィッカだろうがキリスト教だろうが、自分を救ってくれるのならば、どちらでもいいという気持ちの表れだった。

 愛美は魔女のマリアさんに心酔し、あらゆる事をマリアさんに相談していた。母親と仲良くない愛美にとって、マリアさんは母親代わりの良き相談相手になってくれた。子供の時から自分を守ってくれる相手を探していた愛美にとって、マリアさんはようやく見つかった頼れる相手だった。この人が母親だったらいい、と思える相手であり、時には本当の母親ではないかと錯覚するほど、愛美に愛情を注いでくれた。

 愛美は祭壇の女神像の絵の前でブックオブシャドウを手にし、祭壇用のキャンドルに火を灯し、フランキンセンスのインセンスを焚くと、平和な日々が戻るように祈りを捧げた。バケモノに襲われる運命なんてまっぴらだし、運命を変えてくれるのが信仰だと信じていた。私の持って生まれた運命って何だろう? マリアさんの言葉が心に残った。

 

 翌日、ファミリーレストランでのアルバイトを終えた愛美は、家に帰る近道に小さな公園へ入った。「おかだ公園」と小さく書かれている。公園の中には木が何本も植えられており、あとは中央に丸いベンチと水飲み場があるだけの公園だ。二~三分で通り抜けられる。

 小さな公園には照明は無いが、近くの道路の街灯の明かりが届く。薄暗くはあるが、通り抜けるのには支障がない。七月で日が長いとはいえ、愛美がアルバイトを終えて帰宅する時間には、すでに日は沈み月が輝く。ウィッカンの愛美にとっては、月齢を気にするのも大切な事だった。

 夜空には下弦の月が浮かぶ。次の新月は夏休みに入ってからだった。愛美は今度の新月には、始めてやる儀式を試してみるつもりだった。その儀式が上手くいけば、愛美は自分の運命が変わるのではないかと期待している。魔女のマリアさんに指摘された、持って生まれた運命を変えたいのだ。

今夜は風も無く、むっとした空気が公園に立ち込めている。愛美は額から汗が流れ落ちるのを感じた。愛美は、左手に持っている、ピンクの無地のクラッチバッグからハンカチを取り出すと、額の汗を拭った。

 どこからかネコの声が聞こえた。仔ネコだろうか。公園でネコがたむろすることは、よくあることだ。愛美はネコが好きだった。薄暗い中を愛美は、ネコの声を頼りに探した。

 愛美はしばらくネコを探し、やっと見つけた。公園の隅の木の間に挟まるように、仔ネコが居た。仔ネコは可愛い声で鳴いている。よし、よし。愛美はしゃがむと、たまらず仔ネコの頭を右手で撫でた。癒やされる。至福の時だった。

 不意に仔ネコの鳴き声が変わった。可愛い声が、急に野太くなったのだ。一瞬、別のネコが鳴いているのかと思うほど、声の質が変わった。その声はやがて、ぐふふふふと、中年の男の下品な笑い声のように聞こえ出した。そして仔ネコから、腐敗臭が立ち上った。ネコの臭いじゃない。

(気持ち悪い)

 愛美は気味が悪くなって、仔ネコの頭から右手を放した。いや放そうとした。しかし愛美の右手は仔ネコの頭から離れない。

「嫌っ」

 愛美は慌てて立ち上がると、無理矢理に右手を引っ込めた。その愛美の右手に吸い付くように仔ネコが持ち上げられ、木の間から隠れていた仔ネコの胴体が現れた。そこに胴体は無く、ただ内臓がぶら下がっているだけだった。

「バケモノ」

 昨日に続いて、今日もバケモノが現れたのだ。愛美は仔ネコのバケモノを放り投げようと右手を激しく振るが、仔ネコのバケモノは愛美の右手から離れない。愛美は左手で仔ネコのバケモノを引き離そうかと思ったが、左手までがくっつきそうでためらった。

 愛美が右手を激しく振るたびに、仔ネコのバケモノの体の内臓も激しく揺れる。そのうちに内臓がちぎれて飛んでくるのではないかと警戒してしまう。

(誰か助けて)

 公園には誰も居ない。ぐふふふふ、仔ネコのバケモノは不気味に笑う。まるで女子高生を狙う中年の痴漢男のような、嫌らしい笑い声だった。その笑い声を聞いただけで、愛美には虫酸が走る。

(このままでは、何をされるかわからない。逃げないと。こんなバケモノと戦う勇気なんて私には無い。マリアさん、助けて)

 パニックになりながらも愛美は、魔女のマリアさんの言葉を思い出し、左手に持ったクラッチバッグを、左手の二本の指だけで器用につまむと、残りの指で胸のタロットカードのペンダントを握り締め、仔ネコのバケモノに向けた。

(これで消える)

 愛美が確信を持ってタロットカードのペンダントを突き出したのに、仔ネコのバケモノは消えてくれない。愛美は失望と同時に絶望した。そして、改めて恐怖が体の底から湧き上がり、愛美の全身は震え始めた。

 愛美はタロットカードのペンダントから指を離すと、左手でクラッチバッグをしっかり握り、そのクラッチバッグをめちゃくちゃに振り回して、仔ネコのバケモノを攻撃した。誰も助けに来てくれない以上、もう自分でなんとかするしかないからだ。

 だが仔ネコのバケモノは、クラッチバッグぐらいで撃退はできなかった。ぐふふふふ、仔ネコのバケモノはさらに笑うと、仔ネコのバケモノの顔から血が噴き出した。その血が愛美の顔にかかる。生臭い臭いがした。バケモノの血の臭いだ。

 仔ネコのバケモノの血が勢いよくかかるせいで、愛美は呼吸が苦しくなった。呼吸が苦しいので口を開けて呼吸をしたいが、そんなことをしたらバケモノの血が口に入る。愛美は必死に口を閉じた。

(もう一度だけ)

 愛美は覚悟を決めて、クラッチバッグを捨てると、もう一度タロットカードのペンダントを左手で握った。これでダメなら愛美は、仔ネコのバケモノの内臓に噛みついてやろうと思った。どう考えても、このバケモノの弱点は、無防備に首からぶら下がっている内臓だと思うからだ。愛美はもう、破れかぶれの心境だった。

(お願い。消えて)

 今度はタロットカードのペンダントの効果があった。仔ネコのバケモノは顔から血を噴き出すのを止め、下品な笑い声も消え、気づくと夢のように消え失せていた。まるでさっきまでのは、幻を見ていたのではないか、そう思わせるようなバケモノの消失だった。

 しかし愛美の右手には、しっかりと仔ネコのバケモノの頭が張り付いていた感触が残っている。幻覚であってほしい。その愛美の希望を否定する、右手の感触だった。

 公園の闇から何か聞こえる。ぶつぶつと呪文のような声が。またバケモノ? 愛美は凍りついた。これ以上の怪異の連続は、愛美の精神が持たない。愛美は恐怖に怯え、腹に力が入らなくなった。愛美は今にも倒れそうな感じだ。

 公園の闇から出て来たのは人影だ。人間だった。男のようだ。愛美は少しほっとした。痴漢ではないかと不安ではあるが、バケモノよりはましだ。

「暁」

 道路から届く街灯の明かりを頼りに、男の顔を確認して愛美は驚いた。ぶつぶつと呪文のような声を出して現れたのは、昨日に続いて今日も、幼馴染みの暁だった。

「君も災難だね」

「あなた、黙って見てたのね。他人事だから関係ないって考えなの? それによく会うわね。昨日も今日も、似たようなタイミングで。夜のお散歩? まさか私を監視してるって事はないわよね? ただの偶然なのよね。そうでしょう。そうだと言って」

「運命からは逃れられないよ」

 暁は眼鏡を直しながら、小声でぼそりと言った。公園に届く街灯の明かりは弱くて、暁の表情が読み取れない。まさか喜んでるの?

 暁の口から出た「運命」という言葉がひっかかる。昨日のマリアさんからのメールを思い起こさせるからだ。マリアさんは運命の扉が開いたとか、持って生まれた運命だとか言っていた。そしていま、暁も同じような事を言っている。これは偶然なのか?

 暁は、愛美がクリスチャンを辞めたこともウィッカンになったことも、なぜか知っていた。さらに愛美の運命までも知っていると言うのだろうか?

「あなた、私の事をなんでいろいろ知ってるのよ?」

「さあね。幼馴染みだから、ある程度はわかるよ」 

 暁の言葉には、微かな笑い声が混じっているように聞こえた。

「さっき、運命からは逃れられないって言ったわね。どういう意味? あなた、何か知っているのね? 知っているなら、お願いだから教えて。なんで私は、こんな目に遭わないといけないの? なにか理由があるの?」

「これからはボクと仲良くする事だね」

 暁はそう言い残すと、さっさと立ち去った。

(まだ聞きたい事があるのに。暁って、何者なの?)

 幼馴染みで熟知しているはずの暁が、急に謎めいた人物に思えてきた。暁は何かを知っている。そもそもバケモノを目撃しているのに、平然としているのがおかしい。普通は狼狽するだろう。悲鳴も上げず、逃げもせず、それでいて愛美を助けもせず、暁はただ静かに怪異を見守っていた。

 愛美は暁としゃべっている間も、体が震えていた。先ほどの仔ネコのバケモノに対する恐怖もあるが、バケモノを呼び寄せているのが愛美の運命のせいなのだとしたら、愛美が生きている限り、未来永劫、バケモノに狙われ続けるのだろうか。そう思うと、言いしれぬ不安に押しつぶされそうになるのだ。

(ダメだ。やはり自分で戦うなんて無理だ。誰かが助けてくれないと。魔女のマリアさんがそばに居てくれたら心強いのだけど)

 愛美は、魔女のマリアさんからプレゼントされたタロットカードのペンダントを握り締めると、じっと見つめた。今は、このペンダントだけが頼りだ。愛美はクラッチバッグから手鏡を出して、自分の顔を写した。やはり血は消えている。バケモノの血が顔に大量にかかったはずなのに。

 バケモノは現実に居る。だが同時に、バケモノは消えてしまう存在でもある。そして愛美の顔にかかった血の跡も消えてしまう。バケモノとはなんだろう?

 愛美が公園を出たとたん、それまでのむっとした空気を押し流すように、爽やかな夜風が吹き渡った。愛美は胸を膨らませて深呼吸をした。深呼吸でもしないと、気持ちが落ち込むからだ。


 愛美はようやく家に帰れた。途中の公園でバケモノに遭遇しなければ、とっくに帰れていたのに。愛美は玄関の戸を開けると、電灯のスイッチを入れた。暗かった玄関が、明るく照らされる。

「お母さん」

 玄関の電灯が点くと母親が立っていた。母親は愛美を見ても無言だ。青い顔をして、神経質そうな表情を浮かべている。母親は愛美を見ようともせず、黙って家の奥に入って行った。

(お母さん、玄関の電灯も点けずに、いったい何をやっていたの?)

 母親の行動は疑問だったが、気軽に質問できるような親子関係が築けていない。愛美の悩みの種のひとつだが、今はバケモノから逃れる方法を探すのが優先だ。

 愛美は階段を上がって部屋に入ると、ベッドに腰掛けてスマートフォンを取り出し、すぐに魔女のマリアさんにメールをした。


「今夜もバケモノに襲われてしまいました。ネコのバケモノでした。最終的にはマリアさんからいただいたタロットカードのペンダントに救われましたが、すぐには効果がありませんでした。なぜだか、理由がわかりますか? もっと強力なアイテムがあるとおっしゃっていましたよね。それを、すぐにでも送ってもらうことは可能ですか? 

それから前回のメールで、バケモノに襲われるのは、私の運命だというような事をおっしゃいましたよね。私には、どんな運命があるのですか? その運命を変える方法はありますか? このままでは、私は恐怖でおかしくなりそうです。今も泣きそうなんです。運命には逆らえないんでしょうか? 

私はまだ死にたくないです。どうか私の運命について、マリアさんの知っていることを教えてください。そして守ってください。誰かに守ってもらわないと、私は耐えられそうにないんです。返信をお待ちしてます」


 愛美は魔女のマリアさんにメールを送信するやいなや、ベッドに突っ伏した。何もかも嫌になった。昔に帰りたい。この世にバケモノが存在するなんて想像もしていなかった、ほんの数日前の昔に。愛美の目から涙が溢れ、頬を伝った。愛美はそのまま眠りに落ちた。

 愛美が気づくと、すでに空は白み始めていた。時計を見ると、朝の四時をまわっている。愛美はあわててスマートフォンを確認した。マリアさんからの返信がある。


「あなたの不安はわかります。私だってあなたの立場なら不安です。でも負けないでください。運命を受け入れないと道は拓けませんよ。一度開いてしまった運命の扉は、閉じることは出来ないのです。運命の扉を閉じようとするのではなくて、勇気を持って、運命の扉の向こうへと、突き進まないといけません。今さら運命を嘆いてみても、後戻りはできませんよ。前に進むしかないのです。

あなたの持って生まれた運命については、いずれわかる時が来ます。運命は変えられますよ。運命を変えるのは、あなたなのです。タロットカードのペンダントについては、十分にあなたを守ってくれるはずです。効果が無かったのは、おそらく一時的にあなたが資格を失ったから。そのタロットカードのペンダントを使いこなせないようでは、それ以上の強力なアイテムは送っても無意味でしょう。運命を変えるのは自分だという意識を捨てないで。身近な人に、怪しい人がいないかにも注意して下さい」


 愛美は魔女のマリアさんのメールを一読して、ため息をついた。自分で運命を変えろとか、運命の扉の向こうへ突き進めとか、愛美には無理な事ばかり書いてあるからだ。それが出来ないからマリアさんを頼っている。

しかも、タロットカードのペンダントを使う資格を失ったとか書いてあるが、その資格とは何なのかを説明してくれてない。強力なアイテムも送ってくれない。愛美の運命についても、詳しくは教えてくれない。

(やはりメールだけでは、意思の疎通は難しいなぁ。直に会って話さないと、なかなか知りたい事を教えてはもらえない。誰か身近に、私を守ってくれる素敵な人は現れないかしら。このままでは私、いつかバケモノに殺されるかもしれない)

 愛美はタロットカードのペンダントを見つめた。本当にこのペンダントを信じていいのか。本当に頼りになるのか。ネコのバケモノに、すぐには効果が無かった事が愛美を不安にさせた。

 愛美は改めてネコのバケモノを思い出し、身震いした。心が陰鬱になる。誰でもいい。私を、この苦しみから救い出してほしい。愛美は、そう真剣に願った。

 愛美は祭壇の女神像の絵の前で、祭壇用のキャンドルに火を灯し、フランキンセンスのインセンスを焚くと、自分を助けてくれる存在が現れますようにと、祈りを捧げた。

 愛美は、ウィッカンになってから毎日、女神像の絵に祈りを捧げている。この女神像の絵に描かれている女神は、とても慈悲深い顔をしていて、天使のように美しく描かれていた。

夏休みに入っての最初の新月の夜には、運命を変えられるようにと、愛美は、この女神像の絵の前で、本格的な儀式を行う予定だ。

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