面影

 片手を頭上いっぱいに伸ばして、レイトはアーチにぶら下がった鉄輪を揺らす。この街が現役だった頃は、ここに街の名の書かれた看板がぶら下がっていたのだろうか。地面に視線を落としてみても、当然ながらそれらしいものは何一つ見当たらないけれど。


 三人が辿り着いた街は、ニタの住んでいた廃虚街の半分ほどの面積しかなかった。その代わりに、一つ一つの建物の距離が近い。当時の居住人数という点では、互いに引けをとらない規模だっただろうと予想される。


「お、ギリギリ池が見えてるじゃねぇか。てことは……そっちに街道があるから、汚染エリア方面は……っと」


 街の中心、砂利道の中央にある涸れた石造りの噴水の上にハルキが立っていた。半分崩れて平らな部分などほとんど残っていない先端に、片足のヒールだけを乗せて器用にバランスをとっている。


「街道側の音響装置は確認してきたよ」レイトは噴水まで行ってハルキに声をかけた。「これで奥側と合わせて四か所とも正常に作動してることになるね。旧型だとは思うけど効果はさっき見たとおりだし、この街にいる限りは獣に警戒しなくてよさそうかな」

「そりゃ何より。さすがの俺も、夜通し神経張ってるのは一晩で限界だ」


 ハルキが噴水から飛び降りる。拠点にできそうな廃屋を探しに行ったニタはまだ帰ってきていなかった。


「ハルキ、上からニタちゃんは見えた? 難航してるようなら手伝いに行った方がいいよね」

「あー、あいつなら向こうでウロチョロしてたぞ。行くか? 他にやることもないし」


 やや湾曲した道の左右に並び立つ家々を軽く覗き込みながら、二人は街の奥の方へと移動する。石や木材を主として建てられた家はどれもそれなりの規模を有していたが、天井が崩れ落ちていたり、壁の二面がすっかりなくなってしまっていたり、どこもかしこも元気な植物に覆われて拠点とするには不十分なものばかりだった。


 そんな街並みから小道一本隔てたところに、ニタは立っていた。目の前の二階建ての建物は他よりも二回りほど大きく、おそらく何らかの商業施設だろうとレイトは推測する。


「おーい、ニタちゃん。調子どう?」

「あ、レイちゃん、ハルちゃん! あのね、ここなんだけど」

「わりとデカい建物だな。ここから見た限りじゃ天井も壁も生きてる……中は?」


 ハルキが扉を失った戸口から片足を突っ込む。何度か靴裏で地面をパタパタと打って、それから中に完全に踏み込んだ。


「へぇ……なんか、懐かしい場所だな。なぁレイト、おまえも来いよ、これ覚えてるだろ?」


 振り返ったハルキに手招きされる。レイトはニタと互いに視線を送り合い、それから言われた通りにすることにした。先にレイト、それからニタの順番で戸口をくぐる。


 そこは、かつて街の酒場としてにぎわいを博していたのだろう空間だった。店の構造や劣化具合こそ違うものの、纏う雰囲気は出発前に作戦を立てていたあの店と同じだ。懐かしい、とレイトも無意識の内に口にする。


 奥に近い天井の一部は崩れ、点かない蛍光灯の隣から日光という名の照明を供給してくれていた。薄明かりの中、腐食して崩れた机と椅子の残骸が床の上をまんべんなく埋め尽くしている。ただ、それさえ掃除してしまえば結構なスペースが確保できそうだった。


 レイトは真っ二つに折れたバーカウンターの上に身を乗り出し、レンガが剥き出しになった壁を撫でる。他の建物があんな状態なのにここだけ保存性が高いのは、きっと防音や振動対策で壁は分厚く、構造材は多めにしっかりと組まれていたためなのだろう。


「他の部屋は……奥に二つと、地下への階段か。この崩れっぷりじゃ、こっちの扉はどう考えても開かねぇよな」


 部屋の中央で廃材を踏みつけ、仁王立ちしたハルキが奥壁を眺めながら面倒臭そうに頭をかいていた。奥には確かに木製の扉が二つ見えるが、左の扉の前にはかつて二階に通じていたであろう、階段だった木材の山がある。崩れる時に近くの天井や壁も巻き込んでしまったらしく、たとえ障害物をどかしたところで扉自体が歪んで動かなくなっていそうだった。

 その少し手前では、長方形の真っ暗な穴がぽっかりと口を開けている。レイトのいる場所からはただの穴でしかないが、ハルキには階段が見えているらしい。


 と、その穴の近くで、何やらガチャガチャと音を立てながらうごめく白い物体が一つ。ニタだった。


「……ニタちゃん? 何やってんの?」

「んー。何かないかなぁ、って」


 なるほど、遺物探しか。

 レイトも試しに、手近な角材を持ち上げてみる。上に乗っていたホコリと木くずが雪崩のように滑り落ちて、下からいつのものかも分からない硬貨が数枚転がりでた。


 おおー、と感嘆の息を漏らすレイト。ハルキがそれを目ざとく見つけ、二人を見比べるようにして片眉を上げる。


「おいこら、二人してそんなことやってる場合かよ。もっと先にやることがあるだろうが」

「でもハルちゃん、たぶん拠点にできそうな建物はここだけだよ? そしたらお掃除はやらなくちゃいけないことだし、そのついでに落とし物を探したって」

「ただ持ち上げて戻すだけの動作を掃除とは言わねぇんだわ、これが。いいか、掃除ってのはこうやってだな」


 ハルキが廃材の隙間に足をねじ込み、姿勢を低くする。目の前の塊を肩で力強く押せば、重く鈍い音を響かせながら次々と仲間を巻き込みつつ山となって壁際へと追いやられていった。


 ニタが拗ねたような顔をしているのは、あれはまさか納得しているんじゃないだろうな。不安になったレイトは、前衛芸術のようになってしまった木材の山を指さして声を上げる。


「残念ながらハルキ、邪魔なものをただ壁際に寄せるだけの動作も掃除とは言わないんだよ」

「は、なんでだよ。床は見えるようになったじゃねぇか」

「『掃』いて、『除』くのが掃除! ハルキのそれは単なる移動!」


 ハルキは顔全体に不服を押し出している。口を尖らせたまま手をはたいて、その振動が伝わったらしく左腕を振って顔をしかめた、その時。


 ――ザク、と。遠くで砂利を踏む音が聞こえた。

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