第6話

 

「優勝はバグパッチかぁ」

 

 そんなこと言いながら、自分の家に着いたのはもう次の日の昼だ。あの後、みんなで朝までカラオケに入り酒飲んで寝ていた。

 バグパッチはやはり面白かった。昔見たあのときの感じを、更に研ぎ澄まさせ、ただ最後にどんでん返しを仕込む。圧巻の上手さだった。大きな笑いというわけではないが、その手腕は圧巻だった。

 

「七緒〜ただいま〜」

 

 声を掛けるが、返事がない。よく見れば、いつも七緒が履いている革靴がない。

 

 外に出てるのか。いつ頃帰るのか。

 

(ドライか)

 

 たしかに、俺は七緒のことはよく知らない。ストイックに芸をしていて、こんな家に住んでいる。バイトも何をしてるのか訊いても教えてくれない。というか、思えば俺はそんなことを聞こうともしてなかったと思う。

 

(たしかに、ドライなコンビかもな)

 

 そんなことを思いつつ、自分の携帯を見る。すると、昨日一緒にいたバルクカルク先輩二人からメールが届いていた。

 

『俺たち、解散するわ』

 

 昨日、彼らが、俺たちの同期を送り出す二人の姿を思い出した。

 

『なんでなんすか、まだまだ行けますよ、兄さん』

 

 あんなに仲良さそうな二人が、解散するのか。

 その気持ちをぶつけたメールをする。

 暫くして、返信が来た。

 その文面を見て、俺は唇を固く結んだ。

 

『ラストイヤーで、踏ん切りがついたわ』

 

 ツッコミの山崎さんは芸人として、ボケの朝倉さんは実家の家業を継ぐそうだ。未練を感じさせない文面に俺は何も言えなくなる。

 

 

 あの二人の、挑戦はあの寒い景色で終わったのだ。

 

(仲良い二人でも、こうなんやから、ドライな俺らはどうなるんだろか。特に俺は、芸人としては才能がない)

 

 今は温かい七緒の家にいる、はずなのに、足元が凍りつくように寒かった。

 七緒は、今俺を必要としてくれている。けど、それは芸人としてなのだろうか、それと飯炊き担当としてなのか、それが俺にはわからない。

 

 

 8年目、暑い夏の日。俺たちはまた千両漫才へとエントリーする。辺りを見れば、随分若い子たちが、増えたなあと思った。

 

「初の二回戦からやな」

「そうだな、あ、霧彦山のカナヲだ。おーいカナヲ! ちょっ、声掛けてくる」

「ネタ合わせには間に合うようにな、ほな、俺は喫煙所おるわ」

 

 敗者復活戦まで行けたコンビは、次の年は二回戦から始まる。かれこれ、7年間お世話になった一回戦に今年は出なくていいのは、なんとも不思議な感じだった。

 そして、貴重な先輩の解散を経験したドライな俺らは、去年からネタくらいしか変わらない。

 

 ただ、まあ、七緒からお願いされて、アルバイトを減らし始めた。

 あと、少しずつ固定客も増えて、チケットも安定して売れるようになったため、いろんな劇場にお呼ばれするようになったのだ。

 勿論、変わらず闇ライブにも出たりして、自分たちの漫才の腕は磨いている。

 俺のお笑いセンスは、すべり芸としてもはや確立してしまっているが。

 

 カナヲ、豆助、同期の「バンジーキュウ」のボケ 葉山と、舞台袖から今日の客たちを見る。意外と固いお客様なのか、空気が重い。

 

「子供の漫才に、くすりともせんとか、心死んでるんちゃう?」

「それ、葉山兄さんブーメランやろ、去年ガキに場荒されて、痛い目合ってたやん」

「豆助、叩くぞ」

「カナコ、葉山兄さんの暴行見ちゃった! 通報する〜!」

「きめぇわ、って、ヤブお前はこういう時、乗らんかいな」

 

「すまん、関西のノリ怖いわ」

 

「はーーーい、そういうとこよな! お前!」

 

 葉山はそう言ってわざとらしく肩を竦める。本当ならばこういうのに乗れるべきなのだろうが、何を言うべきなのかわからん。他の後輩たちも「ヤブっさんの冷水芸すごいですわ」とケラケラ笑う。

 8年目でも、芸人として下手くそなのはとても自覚があった。

 

「ん? あ、七緒から連絡きた、すまん行く」

 

 ポケットで携帯の、振動に気づき、通知を見る。そこには七緒からネタ合わせするから来いという内容だ。

 そそくさと喫煙所に向かう俺に、葉山は「おう頑張ろうな」と声をかけてくれた。

 

「おいこら、ネタ合わせだろうが、んっ、ぁっ、ばっ、やめろ」

「やぶっちゃん、ごめん、死にそうや」

 

 人気のない非常階段。そこで、ネタ合わせするかと思いきや、いきなりキスをしてくるものだから慌ててしまった。

 

 今朝見て思ったが、七緒の顔は少しばかり窶れている。七緒は今年ピン芸人グランプリにて、あと少しで決勝戦のところまで行ったのだ。

 それからか、七緒単独のネタ見せ系の仕事が増えており、番組用にとネタを考えるのも大変そう。俺は相変わらず面白くないので、少しでもと料理や家事を引き受け、最近始めたマッサージ屋のバイトで覚えたマッサージなどをしてあげてたりする。

 俺は一体? と思いつつ、ツッコミは七緒に言われるがままだ。

 

 ぎゅうっと、俺よりでかいやつが俺を抱きしめている。なんとも言えない気分のまま、落ち着くまで抱きしめられていた。

 

 結局、ネタ合わせは最小限で行い、ギリギリの笑いを取った。どうにか3回戦には行けるレベルだろう。結果発表されるのは明日だ。あまりにも体調悪そうな七緒だったので、他のメンツと飲むのをキャンセルして、一緒に帰宅する。七緒は明日も地方で仕事だ。呼ばれてない俺は何もできない。

 

 体調悪そう七緒は最終的にはぐったりとしていた。仕方ないと、なんとかタクシーから部屋へと引きずり、部屋のベッドに寝かせてやり、俺はお粥を作ったあと、今日の汗を流そうとそのまま風呂へと入った。

 

 その夜、物音で目が醒めた。俺が作ったお粥を食べたのか、台所でガタゴトと音が聞こえる。そして、暫くして、自分の部屋の扉が開いた。

 

「どうした?」

「お粥、ありがとう、母親料理作らん人やから初めて食べたわ」

「まじか、体調悪いなら早く寝ろよ」

「おう」

 

 俺は七緒のことを向くことなく言い、自分もまた寝ようと思った。しかし、扉が締まることなく、寧ろ自分の方へと足音が近づいてくる。どういうことだ? と、思っていると俺の布団へと七緒が入ってきた。

 

「暑いんだけど、どうした?」

「ごめん、今日だけはこうしててほしい」

 

 七緒は随分弱々しい言葉で俺を背中側から抱き寄せる。余程参ってるのだろう。そんな姿は全く見たことない姿だった。なによりも、その腕はかなり弱々しい力で、振り払うにも馬鹿らしい力。

 

「……今日だけだからな」

 

 俺はそういうと、そのまま眠りにつく。七緒もまた、静かに俺を抱きしめていた。

 

 翌日の明け方。七緒は少し気だるそうな体を引きずりながら、この家を後にする。今日は一人で沼津に行くらしい。

 

「魚でも食えるんかな? あの辺り何食べるんが正解なん?」

 

 ぶつぶつと呟く七緒に、「かき揚げ丼でも食ってくれば? デカ盛りの海鮮丼も有名らしいぞ」と答えてあげる。その答えに思わず胃もたれしたのか、七緒は少しばかりしかめっ面をすると、「もう行くわ、お土産なんか買うてくる」とさっさと家を出ていく。

 

 俺は彼を見送った後、アルバイトに向かう時間までまた眠りについた。

 

 8年目の三回戦当日。俺は、会場から随分離れた場所の病院にいた。

 

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