第20話

 姉妹っぽさを真剣に考えるようになってから数日。

 考えても考えなくても時間は過ぎるもので、気づけば世間は夏休みを迎えていた。


 天乃と一緒に暮らすようになってからもう一ヶ月以上経っている。その間少しは仲良くなれたような、そうでもないような。


 でも、少なくとも私たちは以前ならしなかったようなことをするようになっている。

 例えば——。


「ねえ、天乃。やっぱりやめない?」

「は? 何を言っているんですか。もしかして、このまま帰るつもりですか?」

「遊んで帰ろうよ」

「駄目です。今日の目的、忘れたとは言わせません」

「んー……」


 夏休み某日。

 私たちはある目的のために街を歩いていた。


 以前の約束を果たすという目的であり、それはつまり。

 私の下着を、天乃に選んでもらう、というあれだ。


「なんですか、恥ずかしいんですか。今更ですよね」

「私は恥ずかしくないけど……天乃は?」

「なんで私が恥ずかしがるんですか」

「なんでと言われても。……まあ、はい」


 私はバッグから手鏡を取り出して、彼女に見せた。

 天乃の顔は真っ赤だ。


 この前私に下着を見せてきた時も真っ赤だったけれど、そんなに照れるのにどうして私の下着を選ぼうとするのだろう。


 照れられると、少し困る。

 別に下着を見ようと見られようといいのだが、天乃が照れていると、私も照れてしまうような気がする。

 ううむ。


「……見せないでください。なんですか、照れちゃまずいんですか」

「まずくはないけど、恥ずかしいなら無理して選んでくれなくても……」

「それは駄目です。先輩のはダサすぎです。許されません。どうせ今日もあのダサダサの下着をつけてるんでしょう」

「そんなに頻繁に見せるものじゃないし、よくない?」

「よくないです。行きますよ」


 天乃は耳まで顔を真っ赤にしながら、私の手を引いてくる。

 いつもとは立場が逆だ。


 天乃との距離感はめちゃくちゃだ。手を繋いで街を歩くのにも時間がかかったかと思えば、下着を見せたり見られたり。下着を選んでもらうなんて、友達にも姉妹にも当てはまらない行為な気がする。


 私たちがこれからどうなるかはわからないけれど、今の私たちは割と微妙な関係性だ。


 友達と言うには何かがおかしくて、姉妹と言うにも変な感じ。

 まして、ただの先輩後輩だなんて言えない。


 言葉には言い表せない、姉妹と友達ともっと別の何かを行ったり来たりしている私たちの関係は、一歩間違えばあらぬ方向に飛んでいってしまいそうだった。


「天乃はほんと、いつも真剣だねぇ」

「その言い方、ムカつくのでやめてください。……今日は先輩のその余裕、奪ってみせますから。覚悟してください」

「ふふ、はーい」


 私は天乃に手を引かれるままに、店に入る。

 こういう店に来るのは初めてだ。正直場違いな気がするけれど、天乃が堂々としているので、私も胸を張ることにした。


 意外にも天乃は、私の下着を選んでいるときは真剣そのものだった。

 次第に照れもなくなってきたのか、真面目な顔でこれが似合うとかあれが似合うとか言われたけれど、下着の良し悪しはいまいちよくわからなかった。


 結局サイズを聞かれて、おすすめされたものをいくつか買うことになったけれど、その間私は圧倒されたままだった。


 試着をしている間、天乃もいくらか自分の下着を選んでいたが、特にそっちには言及しなかった。


 買い物を済ませて店を出る頃には、私はなんだか肩が凝ってしまった。

 前に毛糸を買いに行くのに付き合わせた時、天乃はこんな気持ちだったのかもしれない。

 今更ながら、悪いことをしたという気持ちになる。


「天乃って、いつもこうやって下着選んでるの?」

「ネットで買うことも多いですけどね。実店舗の方が何かといいんです。服もそうですけど」

「わかるかも。毛糸とかもそうだしね」

「……手芸脳ですね、先輩は」

「手芸部ですから」


 手を繋ぎながら街を歩く。

 繋ぐだけで恥ずかしがっていたのが嘘であるかのように、天乃は当たり前みたいな顔をして私の手を握っている。


 マンネリというのは、こういう慣れから生まれるものなのかもしれない。

 もっと強引に来いと言われているのなら、慣れを吹き飛ばすくらいのことをしないとだよなぁ、と思う。


 私たちがまだ慣れていないことで、姉妹っぽいこと。

 ううむ。


 これは、姉妹っぽくはないかもしれないけれど。仲良い姉妹なら、するかもしれない。


 私は繋いだ手を解いて、天乃と腕を絡ませた。そのまま私の方に天乃の腕を引いて、そのまま力を込めてみる。


 私も天乃も半袖だから、触れ合う面積が増える。

 高い気温の中で、彼女の体温を感じた。微かに汗をかいたその肌の柔らかさが、私から慣れを奪い去ってくれる。


 同時に、余裕も。

 やっぱり最近の私は、天乃と一緒にいる時余裕がないのだろう。強引に天乃と姉妹になろうとしたのも、今にして思えば余裕がなかったからなのだ。

 それがわかっても、平然と彼女と関わるなんて無理だけど。


「先輩?」

「なーに、天乃」

「いや、それは私のセリフです。急になんなんですか」

「マンネリ化を防ごうと思って」

「これ、姉妹っぽいことなんですか?」

「そういうことにしておいて。きっと、仲良い姉妹ならやるよ」

「……この程度で、終わりですか?」


 天乃はそう言って、私を見下ろしてくる。

 挑戦的な瞳が私を試していた。


 腕を組むのは、この程度という言葉で済まされてしまうような行為なんだろうか。だとしたら、もっと姉妹らしいことって、どんなことだろう。


 考えていると、天乃は私の腕を引っ張って、そのまま耳元に唇を寄せてくる。


「先輩。……大好きです」


 囁かれたその言葉は、あまりにも甘ったるい響きだった。

 鼓膜までどろどろに溶かされてしまうそうになる。


 私は目を丸くして、天乃を見た。

 天乃は冗談とも本気とも判別できないような顔をしている。顔を赤くして、でも鋭い目で私を睨みつけるように見ているから、なんとも言えない心地になった。


 冗談や嘘でもいいと思う。

 どっちにせよ、こういう時に私が返すべき言葉は一つだけだ。


「私も大好きだよ、天乃」

「……冗談です。本気で返さないでください」

「私も冗談」

「……っ」

「っていうのは、冗談」


 にこりと笑う。

 天乃は眉を顰めた。


「私は本当に、天乃のことが好きだよ」

「……真顔で言わないでください。キモいです。私は冗談ですから」

「それでもいいよ。冗談でも、天乃の口から好きって言葉が出たことが嬉しい」

「ムカつきます。叩いてもいいですか?」

「いいけど、優しくね?」

「……やっぱ、いいです。余裕な先輩を叩いたって、何も楽しくないです」


 私は立ち止まって、天乃の手を引っ張った。

 私より背の高い天乃は、腕もちょっと私より長い気がする。

 お姉ちゃんとしての威厳は、ないかも。


「余裕じゃないよ」

「は?」

「いつも天乃と仲良くしたいって、必死になってる。最近気づいたんだけどね。私、天乃の前だと全然余裕じゃないみたい」

「……先輩は、嘘つきです」

「私、天乃に嘘はつかないようにしてるよ」


 天乃は少し考え込むような表情を見せてから、小さく息を吐いた。


「やっぱり、余裕じゃないですか」


 囁くようにそう言って、天乃は私の腕を引いて歩き始めた。

 少し強引なその歩みで、バランスが崩れそうになる。私は必死になって彼女と歩調を合わせた。


 天乃は脚が長いから、歩幅も広い気がする。

 私ももっと、歩幅を広くした方がいいかもしれない。お姉ちゃんを名乗るなら、天乃より力強い感じで、彼女を引っ張っていかなきゃだよなぁと思う。


 私は天乃の腕を引いて、早足で歩く。

 それに呼応するように、今度は天乃が私の腕を引いた。


 天乃の力に負けないように腕を引っ張って、もっと速く歩くと、天乃も速度を上げた。


 ほとんど競走みたいになってしまっている。

 真昼の往来で、私たちは一体何をしているんだろう。


「なんなんですか、先輩」

「お姉ちゃん、だから。天乃のこともっと、引っ張ってこうと、思って」

「息切らしてそんなこと言われても、困るんですけど」

「お姉ちゃんの顔、立ててよ」

「嫌です。お姉ちゃんぶりたいなら、もっと速く歩いたらどうですか。不甲斐ない先輩をお姉ちゃんと呼べるほど、私は甘くないです」

「は、ふ」


 息が切れる。

 でも、天乃は余裕そうだ。


 そういえば、天乃が運動しているところは見たことがないかもしれない。もしかすると天乃は、運動が得意な方なんだろうか。


 だとしたら、彼女が手芸部に入ってくれたのは、奇跡と言える。

 なんだか嬉しくなって笑うと、天乃は怪訝そうな顔をした。


「いきなりなんですか、キモいです」

「あは、は。天乃、大好き」

「……そんなことを言える余裕があるなら、まだまだです」


 天乃はそう言って、さらに速度を上げる。

 そろそろ脚がちぎれるんじゃないかと思ったけれど、意外についていくことができる。

 私はそのまま、家まで彼女と一緒に走った。

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