第十五話 至インタープリテーション

 プリンは夜の内に消えていた。三個のうちの一個は昨夜至が自分で食べた。汀は夜のうちに残りの二個を平らげたようだ。

 冷蔵庫を開けてみたのは……、なるほどシャワー上がりの飲み物をまさぐったのかもしれない。しかしそこでプリンを見つけた汀は、プリンはご飯に含まないと解釈したらしい。ご飯は一緒に食べるのがルールなのだから、そう考えないとプリンを平らげてしまったこととの整合性がとれない。汀の中ではプリンは一人で食べてもいいのだ。もしかすると汀はプリンは飲み物だと定義しなおしたのかもしれない。


 いつもは早起きな汀だが今日はまだ寝ているみたいだった。夜中に起きていたような形跡があるのだから眠りについたのは明け方だったりするのかもしれない。それでも朝ごはんにするとなれば、起こさないわけにはいかない。


 至が自分で勝手に食事をとってしまえば、家族のルールもそういうもののように変化するのかもしれない。汀だってそのルールを受け入れれば家族と顔をあわせずとも、話したくないことを聞かれずとも空腹が満たせて都合がいいはずだ。


 しかし至は汀のルールに従うことにした。ルールには一貫性があったほうが良い。変更するならばしっかりと手続きを踏まなければならないし、汀の気が乗らないときだけ曲げるというのでは、絶対に彼女の為にならない。


 汀のロフトの足をこんこんと叩いてみたが反応がなかった。寝ぼけた声も聞こえるようにと梯子を数段上り、カーテンの外から声をかけると、汀は眠たそうな声でいらないと応えた。声からは彼女の機嫌を読み取ることは出来ないが、それ以前に眠たいのだろうということは分かった。至は無理に起こすことはしないで朝は一人で食べた。そして昼になって再び声をかけると、今度はしっかりと目が覚めているようだった。

「いりません、ごめんなさい」


 汀の机の上にはポータブルのワンセグテレビが置いてある。ここ数日汀は寝室にこもっているが、テレビを持ち込んでいるわけではないのだ。


 昼食を済ませた至は、少しゆっくりしてからコンビニに向かった。コーラを買いに行ったのだが、ついでにプリンも買った。汀もプリンなら食べるらしいことが分かったからだ。そしてそれを携えてガレージに戻り、おやつにするぞ、と汀を誘うとまたしても断られるのだった。

「おやつくらい、勝手に食べてください」

「おやつくらい一緒に食べようよ」

「……うん」


 渋りつつも汀は了解してくれた。別に何を話すつもりもないのだが、至は正直嬉しかった。何も話すこともなくぎこちなく食べ終わって解散するのだろうと思っていたのだが、意外なことに汀の方には聞きたいことがあったみたいだ。

「至さん、向井さん。知ってますよね?」

「豊のこと? このまえ会ったでしょ」

「……の、妹さん」

「なゆた? よく豊について来るんだよ」

「向井なゆたさんは、わたしと同じクラスです。どうして教えてくれなかったんですか?」

「あ、そうなんだ。え、それで……今頃気がついたの?」

「はい」

「そうか、なゆたは人見知りだからな……」

「教えてくれていれば、もっとずっと簡単に仲良くなれたかも知れないのに」

「おれはなゆたが何年生だとか気にしてなかったし……。うっかりすると、あいつ中学生だってことも忘れちゃうな。――そういえば、なゆたには本を貸しっぱなしだったな」

「仲良いんですか? 意外ですね」

「そう? 汀となゆたで一体どんな話をするのかと考えるとそっちの方が腑に落ちないけどな、おれは」

 そういうと汀はふふっと笑って見せた。でも仲が良いというのなら今度呼んでみるのもいいかもしれない、と至は思った。


「そういえば、至さん。パソコンの本ばかり読んでるのかと思ったら、幅広いんですね」

「それも意外? そうか……。ずっと機械に向き合ってるとは言っても、いま取り組んでるのは、心だからね。それにナンシーの前は昆虫とか、小動物をモデルにしたロボットを作ってたんだよ」

「昆虫っていうと、飛ぶんですか?」昆虫と聞いて汀は少し興味ありそうな顔をした。察するに蝶のようなファンシーなものを思い浮かべたのだ。

「いや、どちらかというとゴキブリみたいに這う」


 生物学関連の書籍はともかく、心理学とか、哲学というと至の柄ではないだろう。汀が意外に思うのも分かる。至自身、人工知能に取り組もうと思い立った頃には、心というものに大きな関心は払っていなかった。それも学習によって獲得できるものだと確信していたのだ。


 おやつの後も汀は引きこもっていたが、それでもわりと気楽に過ごしているようだった。寝室に至の本を持ち込んで読み耽っているということも分かった。学校をさぼった昨日とは違い土曜日なので家でゆっくりしていることに後ろめたさを感じることも無い。あるいは何かがもう解決に向かっているのかもしれない。なゆたがどれくらい頼りになるかも分からないが、知り合いが汀のクラスに居るということは至を安心させた。


 これまで母や祖父の職場での人間関係など気にしたことはなかった。父親が居ないとはいえ、至には恵まれた環境で育ったというような自負があった。遅い子持ちとでも言うような立場となった祖父母は至を溺愛できあいし、至は与えられる立場に慣れきっていた。家族といえば大人ばかりだった至にとって汀の保護者という立場は新鮮なものであり、直接何をしてあげたわけでもないのだが、汀の心配をしている自分を少しばかり誇らしく感じるのだった。

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