第十一話 本間汀の秘密

 汀たち三人と仲良くすることについて向井さんがどう思っているのかは、正直なところわからなかった。馴染んできてはいたし、楽しんでいるのは間違いないともおもう。しかし、確実に悪い影響もあった。高橋くんに絡まれることが明らかに多くなったのだ。向井さんはきっとなるべくしゃべらないように、目立たないようにと気を使っていたし、いまでもその傾向はある。言葉で説明する必要が無い限りは首をふったり、頷いたりといった仕草で間に合わせている。しかし向井さんが汀たちと関わりを持つようになると、目立たないわけには行かなかった。何せ高橋くんは有野さんと向井さんの間に位置していたのだから。

 そのうえ給食になれば二人はより接近した位置関係になった。高橋くんの友達は彼の席に集まったからだ。しゃべっている向井さんを見れば、なんだコイツしゃべるんじゃないか、なんて思ったかもしれないし、向井さんの個性的なしゃべりかたを耳にすれば、もっとしゃべらせてやろうなんて思うのかもしれない。――高橋くんのようなタイプの子は。


 高橋くんは伊藤くん、松下くんと仲が良かった。伊藤くんは利発なイメージで、目立たないがクールな存在感があった。松下くんは、このグループの外にネット用語を多用する仲間を持っていた。

 高橋くんは――、例えば公園に自転車で乗りつける小学生の男の子たち、その中にリーダー格の子が居るとすれば、高橋くんと同じ印象を持っているかもしれない。きっとそのリーダーは、寒いから誰々の家に行こうぜ――、なんてリーダーシップを発揮して、わりと強引に誰かの家に上がりこむんだけど、案外その度胸が買われ、親御さんに気に入られるタイプだろう。しかし中学生としては子供っぽい。――特に女の子に対して。


 この日、高橋くんの席に集まった彼らは机に格子を描いて三人で五目並べをしていた。年中やっているわけではないと思うが最近のブームなのだろう、よくそれをやっていた。二人ずつの対戦を端から見ていると松下くんがいつも負けているようだが、三人対戦だと実力はあまり関係なくなる。

「さとし、止めろって」高橋くんが松下くんをとがめる。「せいじがあがっちゃうだろ」

「高橋くんが止めればまだ大丈夫だよ」

「ふざけんな、おまえ。毛抜くぞ」

「やめてよ高橋くん、うち絶対禿げる家系なんだから……」


 高橋くんは乱暴な言葉を使うが、松下くんはいつもそれを上手にあしらう。伊藤くんはにやにやしながら自分の駒を配置していった。この三人はみんななタイプが違うように見えるが、お互いを許容している。そんな彼らの様子、雰囲気を見ると、きっと三人は幼馴染なのだろう――と、汀は思うのだった。


 やがて始業のチャイムが鳴り、みんな席に戻っていった。しかし、なかなか先生はやってこないのでみんな思い思いに談笑を始める。汀は有野さんと話し、向井さんは例のノートを出して、何かを書き付けている。近くに友達の居ない高橋くんは手持ち無沙汰になって、隣の席の向井さんの宇宙ノートを半ば強引に取り上げて、ぱらぱらと眺めた。

「これ、なに書いてあんの?」

 ノートにはたまに星の絵があったり、その横には何かを計算したような殴り書きがあったりした。最近のページには星の絵ではなく、宇宙人なのかわからないが、人間の形をした何かが描いてあった。それはマンガ調でも写実的でもなく、かといって決して描き込まれているわけでもなくて輪郭だけなのだが、設計図のように丁寧だ。そのうちの一つ、歩いている姿の絵には、その生物の重心のような点と、そしてそこから後方に伸びる矢印と重力を示すような下方向への矢印、そしてもう一本、よくわからないが後ろの足のかかとの方に伸びる矢印が図示されている。

 しかしノートの内容のほとんどは筆記体のアルファベットで書かれた単語と、入れ子になった括弧だった。

「命令なの」

「命令? 命令が飛んでくるのか?」

「命令が飛んでくるの?」

「宇宙から、電波で命令が飛んでくるんだろ? それをこの辺に……、埋め込まれたアンテナで受信するんだろ?」高橋君は自分の右耳の後ろのあたりを触る。すると向井さんも高橋君の耳の裏を覗き込もうとする。「おれのじゃねーよ。おまえのこと言ってるんだよ」

 高橋くんは少し強い口調で言ったので、向井さんはおびえたような表情をして、それから自分の左耳の後ろをさわりながら答えた。

「で……電波で命令が飛んでくるんじゃないの。わたしが命令するの。埋め込まれたアンテナは……。あ、アンテナは髪の毛に、目立たないようにって……」

 その様子を見ていた汀は、高橋くんの背後から近づき向井さんのノートを取り上げた。

「向井さんに怒鳴どなったりしないで」

「おい、返せよ。なんでおまえが怒ってんだよ」

「仲良くする気がないなら向井さんに話しかけないで」

「あるよ。おれは普通に話してただけだって」

「なんで怒鳴ったりするの」

「こいつの話し方、なんかいらいらするんだよ」

「だったら話すことないじゃない。これはわたしから返しておくから、もう向井さんに話しかけないで」


 高橋くんは明らかに不機嫌な顔になった。これは五目並べで負けて乱暴な言葉を使うときとか、向井さんに対して乱暴な言葉を使う時の顔ではない。汀は高橋くんに対して間違ったアプローチをしてしまったと感じた。

「お前なんなんだよ。向井の親がわりか? 親が居ないのはお前だろ?」汀はどきっとした。知られたくないからという以前に、なぜ知っているのかと驚いたのだ。「みんな知ってるぞ、お前、孤児だって」

 すると、向井さんが口を開いた

「ほ……本間さん、お母さんいるよ。ケーキ買ってくれるお母さん。本当だよ」

 汀はこれにも驚いた。なんで向井さんまで汀のことを知っているのだろう。高橋くんは、しかしそれをすぐに否定する。

「養子なんだろ。本間の兄が家に火をつけたって、なあ、そうなの? それってつまりさ、お前の兄さん、両親を……」

 高橋くんがそこまで言うと、有野さんが急に立ち上がって、椅子に座ったままの高橋くんを椅子ごと突き飛ばした。高橋くんは向井さんの足元まで飛ばされた。向井さんは驚いて身を引く。高橋くんは起き上がりながら、何すんだよ、と大声で叫ぶが、言い終わらないうちに、詰め寄った有野さんから平手打ちを食らった。いつもおっとりしている有野さんが、まるでロボットのように冷淡な存在に思えた。何も言わなかったのだ。嘘つくな、とも、嘘だよね、とも。何も言わなかったし、何も顔に出さなかった。

 椅子が転がったときに随分と派手な音がしたので、すぐに何人かのクラスメイトが駆け寄りその場は収まった。すぐに先生がやってくると授業が始まり、汀は有野さんの背中を見ながら、有野さんもずっと知っていたのかな、なんて考えた。


 わたしが、お母さんと――なんて言うのをどんな気持ちで聞いていたんだろう。汀は思った。

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