第16話 かわいそうという思いだけでは、通用しない。

 老園長は穏やかに話しているが、反面、目の前の女性への不満を抑えている。

「それは、もう、戦争さえなければよかったと、何度思ったことでしょうか・・・」

 山上保母は、自らの思いのたけを絞り出すように、その思いを老園長に伝えた。

 そこで老紳士は、一計を案じた。

「あ、済まんが哲郎は席を外して、清美と親父さんのところを頼む。わしは、ちょっと、山上さんに話しておきたいことがあるから。頼む、な」

「わかった。じゃあ、そちらはぼくのほうでなんとかするから」

 嘱託医の次男は、老園長の意思を汲んで動き始めた。彼が席を外して間もなく、老園長は有無を言わさぬ口調で、しかし穏やかに、中堅保母への説諭を始めた。


 戦争さえなければ、山上さんは今頃、どこかのご立派な家に嫁入りでもして、有閑マダムよろしき優雅な生活のできる御身分であったか知らん。

 じゃが、ここに及んであんたはよつ葉園の保母として勤め、結婚もされて、子どもさんも生まれて。仕事と家庭を両立させながら頑張っておる。

 子どもの頃に思っておったような人生が送れていないのは、辛かろう。

 そこ、わしは心底、わかっておる。


 じゃがな、あんたの常日頃の言動を見るに、ホンマに、きつい世界で生きている人たちに対して、どこかで見下しているような節が見られる。

 よつ葉園に来るような子らに対して、かわいそうじゃからなんとかしてあげたい。そういう気持ちが節々に感じられる。それが一概に悪いとは、わしは申さぬ。

 しかし、その子が力をつけていこうというあかつきになってなお、同じような言動を維持しておる。

 それはせいぜい、家の子ども、まあよつ葉園内では通用しても、この社会で仕事に励んでおる、あるいは、これから自らを立てていかねばならん人にとっては、害悪とまでは言わんが、足を引っ張るどころか、反感さえ得かねない。

 山上先生の仕事は、正直、よつ葉園内で子ども相手の仕事がほとんど。それゆえ、社会の最前線で生きる人らのことが、わしの目からすれば、せいぜい表面程度しか見えておらんことは明白である。

 そんなあんたの述べる「手に職」という言葉に、さて、何の説得力があろうに。

 わしが日頃子どもら、特にこのよつ葉園を出て間もない子らに申しておることを、あんたがその表面ツラを真似して述べてみても、説得力などありゃあせん。

 わしは先ほど、あんたはここでは黙っておれと申したが、その理由は、今わしが述べた通りじゃ。

 悪いが、あんたは、もうしばらく、黙っておりなさい。よろしいな。


 老園長は、有無を言わさぬ言葉で、既婚とはいえまだ若い保母を厳しく説諭した。

 山上保母は、いささか悔し涙に暮れているかのような表情を浮かべている。


「では、山上先生、ちょっと、そこで待機されたい」

 いつもの柔和な顔に戻った老紳士は、元入所児童とその父親のいる場所に寄った。

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