第3話 彼の事情

(三人称視点)


 男は北の町ハンマブルクから、『永遠の町』パラティーノにやって来た。


 男の名はアーベント夕暮れ

 勿論、本当の名ではない。

 組織――盗賊ギルドで活動する者が名乗る二つ名だった。


 アーベントは自由都市同盟の一角を占める商業都市ハンマブルクから、移住してきた。

 ハンマブルクでは盗賊ギルドに属し、将来の幹部候補の呼び声高い若手のホープである。

 だからと言って、盗賊という訳ではない。

 主な職分は諜報活動であり、秘密工作員と言った方が適切と言えよう。


 彼らは夜の闇に紛れて、忍び寄る者――ナイト・ストーカーと呼ばれている。


 アーベントは今、新たな任務を受け取るべく、とある場所を訪れていた。


「今回の青い鳥作戦オペラツィオーン・ブラウアーフォーゲルはどの任務よりも優先される」

「分かっている。手短に頼む」


 場所は目抜き通りにある人目があるカフェテラスだった。

 向かいに座る中年の男と口の動きだけで読み取る読唇どくしん術で意思を通わせるのだ。

 ナイト・ストーカーである者にとって、息を吸うくらいに軽くこなせる技である。


「障害を排除し、すみやかに公女プリンツェッスィンを確保せよ」

「任務了解」


 アーベントは立ち去る男に目もくれない。

 立ち去る男もアーベントに目もくれない。

 それがナイト・ストーカーの流儀である。


 決して、悟られてはいけない。

 油断をしてはならない。

 どこで何者の目が光っているのか、分からない。


 昨日の敵は今日の友ではない。

 昨日の敵は今日の敵であり、昨日の友は今日の敵となる。

 それがナイト・ストーカーの生きる世界なのだ。




 一人になったアーベントは暫し、物思いに耽る。


 アーベントはハンマブルクの商人ギルドマスターの家で生まれた。

 何不自由なく、暮らしていた幼少期。

 そのまま、何事も無ければ、彼は父親の跡を継いだ有能な商人となっていただろう。

 父親はやり手の商人であり、アーベントも幼くして将来を嘱望されるほどに利発な子供だったからだ。


 ところが約束された未来と幸福な日々は唐突に終わりを告げる。

 十八年前、アーベントの一家は彼を除く全員が惨殺されたのである。

 この事件でまだ、幼い使用人の子供まで含めた十四名の尊い命が失われた。

 現在においても犯人像の特定すら出来ておらず、未解決事件になっている。


 一転して、寄る辺の無い身となったアーベントを引き取ったのが、父親の盟友である盗賊ギルドのマスター・真夜中ミッターナハトだった。

 ミッターナハトこそ、闇に紛れて、忍び寄る者ナイト・ストーカーの提唱者であり、創設者となった人物である。

 このことは世間に全く、知られていない。

 そもそもがナイト・ストーカーは光に照らされた明るい道を歩む者に決して、知られることのない存在なのだ。


 アーベントの生まれ持った才能は極めて、高かった。

 ナイト・ストーカーになるべくして生まれたと言われても疑いを抱く者はいない。

 そんな逸材だったのである。

 養父の元でその素質をみるみるうちに伸ばしていく。


 頭脳においても身体能力においてもアーベントに匹敵する人材はいなかった。

 高い身体能力に加え、身体を強化する魔法を効果的に使用出来る彼は特異な存在である。


 魔法は特別、珍しい物ではない。

 物心を付いた子供でも生活魔法と呼ばれる簡単な物であれば、使えるのだから。

 しかし、持って生まれた魔力の量には個人差が大きい。

 魔法を自在に使いこなせる者――魔法使いとなると話は違う。


 アーベントは魔法使いになれる才能を持っていたのである。

 しかし、彼は象牙の塔に籠る魔法使いにはならなかった。


 家族がなぜ、殺されたのか?

 十八年前に何が起きたのか?

 それを自らの力で知ろうと考え、辿り着いたのが剣聖ソード・マスターの道である。


 ナイト・ストーカーでありながら、ソード・マスターであるアーベントは天下に比類なき人材の一人と言っても過言ではない。




「いや……無理だろ。家族は変身メタモルフォーゼでも剣技でもどうにか、出来んぞ……」


 カフェテラスを出た妙齢の女性がうら寂しい路地に入り、誰もいないことを確認するとその姿をにわかに変じた。


 変身メタモルフォーゼの魔法を解いたアーベントである。

 他者の精神に働きかけ、認識を阻害する魔法は高度ではあるが世界的に珍しいと言えるものではない。

 認識阻害の効果が施された魔石が、商店で販売されているのだ。


 しかし、変身メタモルフォーゼは本質的に異なる物である。

 術者本人の形質を変容し、違う人間に化けることが出来る。

 それが変身メタモルフォーゼという魔法だった。


「どうする……考えるんだ、アーベント」


 落ち着きがある派手さのないデザインのパステルブルーのモーニングドレスが、見る間に薄緑色のスーツに変わっていく。

 華奢で小柄だった体格の女性はもういない。

 細身ではあるが、引き締まった筋肉が服の上からでも分かる偉丈夫がそこにいた。


「落ち着け、アーベント。出来ないのなら、出来るようにするのがお前だろう。そうだ。ないのなら、作ればいいだけさ。簡単なことだ。極自然に探るだけで済む……そうだとも。黎明の聖女。あの女が怪しいと俺の勘が囁いている」


 夕焼けの色に近い黄金の髪を手でくしゃくしゃとひとしきり、搔き毟ると紫水晶アメジストのような瞳に強い光を宿した男は路地裏へとその姿を消すのだった。

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