第32話、推しからのお願い

 翌日の日曜日。


 今日も朝から可愛らしいアリスの配信に胸をときめかせ、今日は学校もないので二度寝でもしようかとベッドに入ったのだが、そこで室内に響き渡るのは来客者を告げるチャイムの音だ。


 まだ眠かった目を擦ってからインターホンを覗けば、そこにいたのは見慣れた人物。


 俺は玄関に向かい扉を開けると、私服姿のソフィアが立っていた。


 今日は出かける予定がないのか、ソフィアの私服姿は昨日よりも随分とラフで、デニムパンツに白のTシャツといったシンプルなものだ。右手には何かが入ったビニール袋を持っている。


 彼女は相変わらずの美貌でニコニコと嬉しそうな表情を浮かべていて、俺の姿を見るとさらに笑みを深めて挨拶してくれた。


『おはよう、レン。今日も良い天気ね』

『おはよう、ソフィー。そうだな、今日もいい天気だよ』


『あの、ちょっとお話があるの。お邪魔してもいい?』

『構わないんだけど、ちょっと待ってもらってもいいか? その、まだパジャマに寝癖もついてて、顔も洗ってなくて』


『ふふっ、大丈夫よ。わたしは気にしないから。寝起きの感じがするレン、なんだか新鮮で良いと思うもの』

『そう言われると余計に恥ずかしいぞ。ともかく、だらしない格好のままじゃ流石にダメだから、推しに対して失礼だろうし』


『レンってばやっぱり紳士よね。うん、分かった。それならわたしはここで待っているわね』

『いや、すぐ終わるからリビングでゆっくりしててくれ。外で待たせるのも悪いし、コーヒーでも出すからさ』


 俺はそう答えてソフィアを家の中に招き入れる。


 部屋に戻って俺が着替えている間、彼女にはソファーで座ってもらう事にした。


 その間に手早く身支度を整え、髪や服装を軽く整える。洗面所で綺麗さっぱり顔を洗った後に、それからキッチンに向かってコーヒーの準備を始めた。


 朝日の差し込むキッチンに漂うのはコーヒーの香ばしい匂い。それはリビングで大人しくしていたソフィアにも届いたのか、すんと鼻を鳴らして穏やかな表情を浮かべているのがここからでも見えた。

 

 そんな彼女の姿に思わず頬が緩むのを感じながら、俺は用意していたマグカップを手に取ってソフィアの元に向かう。


 湯気が立つほど熱いコーヒー。それをテーブルに置いてから俺は彼女の隣に腰掛けた。


『ほい、コーヒー。淹れたてだ』

『ありがとう、レンが淹れてくれるコーヒーっていっつも美味しそうよね。砂糖とミルクの分量も完璧、わたしこれ大好きだわ』


 ソフィアは嬉しそうに笑ってから、早速一口飲んで満足げな吐息を漏らす。


 その反応を見て俺も自分の分のコーヒーを一口飲む。自分でもなかなか上出来だと思える味だった。


『それで今日はどういう要件なんだ? 何かあったっけ』

『うん、ちょっと見てもらいたいものがあって』


 そう言うとソフィアは持ってきていたビニール袋の中から、昨日俺と姫奈と遊んだ時に買った新作のゲームソフトを取り出す。既に封は切られていてプレイされた形跡があった。


『わたし、このゲームでちょっと新しい事をしてみようって思ってるの』

『新しい事? アリスちゃんの配信でそのゲームを使った、いつもと違う何かがしたいって感じか?』


 俺の質問にソフィアは何かを企む子供のような笑みを浮かべて、こくりと小さく首肯する。


『えへへ、そうなの。レン、これは今までにないアリスちゃんのビッグプロジェクトよ。このプロジェクトを成功させて今のチャンネル登録者数300万人から大きく増やして400万人を目指しちゃうつもりなの』

『チャンネル登録者数を100万人増やす程のプロジェクト……やべえ、それはめっちゃ気になるな。でも、ただのファンである俺にそんな大事な話をしても大丈夫なのか?』


『もちろんよ。実はね、レンにそのプロジェクトを手伝って欲しいって思ってて。むしろ聞いて欲しいくらいなの』

『俺に? でも俺は普通の一般人だし、アリスちゃんの配信を盛り上げるような企画なんて何も思いつかないぞ』


『大丈夫よ、企画を考えるのはわたしのお仕事だから。レンにはその協力をして欲しくて』

『なるほど、俺の協力、か……』


 正直言って不安だった。


 ソフィアからこうやって頼ってもらえるのは嬉しい。けれどアリスの配信を盛り上げる為の企画に協力して欲しいと言われても、俺はあくまでアリスの配信を見ているだけの人間だ。そんな素人がいきなりプロの仕事を手伝えるのかと疑問が残る。


 その不安をソフィアは感じ取ったのか、彼女は安心させるように優しく微笑んでくれた。俺の手を握って真っ直ぐ見つめながら口を開く。


『これはね、レンの協力がないとなし得ない事なのよ。わたし、レンを本当に心から信頼している。あなただから頼める事なの』

『俺だから頼める事……そっか。そこまで想ってくれてたんだな』


『当然よ。迷子になっていたわたしを助けてくれて、アリスの秘密をずっと黙ってくれていて、学校でもいつも傍でわたしのお世話をしてくれている。昨日だってそう、服屋さんでわたしやヒナさんを守る為にこっそり動いてくれてた。こんなに信頼出来る人はレンしかいないって思うくらいにわたしはあなたを信頼してる。だからね、ぜひ協力して欲しいの。急にこんな事言われて困っちゃうかもしれないけど、お願い』


 真剣な眼差しでソフィアは語る。その瞳には確かな熱意が宿っていて、彼女の言葉に嘘偽りはないのが伝わってきた。


 俺が今までずっと応援し続けてきた憧れの存在が、今こうして俺の事を信頼してくれる。そしてそんな彼女から助けを求められている。


 彼女の真っ直ぐな想いに触れて、不安よりも彼女の為に力になりたいという想いが強くなっていく。


 だから俺はソフィアの手を握り返して力強く返事をした。


 ソフィアの期待に応えられるかどうかは分からない。それでも俺は俺なりに全力で頑張ろうと思った。


『分かった、ソフィー。協力させてくれ、俺に何が出来るかは分からないけどさ。だけどソフィーの為ならどんな事でもするって約束するよ』

『ありがとう、レン。あなたならそう言ってくれるって信じてた』


 ソフィアは嬉しそうに頬を緩ませて、少し恥ずかしそうにはにかんでから改めて俺に向き直る。俺も彼女のように姿勢を正して真っ直ぐに視線を合わせた。


『それで、ソフィーの言う新しい試み。一体どんな内容なんだ?』

『ふふっ、それはね――』


 そう言ってソフィアが語った内容は正直驚きのものだった。


 それでも碧い瞳を輝かせて、楽しげに語る彼女の姿はとても眩しいもので、俺は彼女の期待に応えたいと強く思ったのだ。


 俺が応援しているアリス・ホワイトヴェールというVtuberの新しい可能性を広げる為に。そして何より俺を信頼してくれるソフィアの為に。

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