第5話、奇跡を飛び越えて

『やほやほやっほーっ♪ アリスちゃんデースっ♪』


 ヘッドホンから聞こえる推しの声に俺は感動していた。彼女の英語で喋るその声がくっきりはっきり透き通るように聞こえてくる。


 アリスの声をもっと鮮明に聴きたくて新調したヘッドホン、そのスピーカーから響いてくる彼女の声はまさに天使の囁きのようだった。


「くぅ~~~っ。アリスちゃんの配信を見る為に早起きするのは最高だな!」


 迷子のソフィアを助けたのは既に昨日の事。俺は電話番号や住所などの個人情報を人質に取られ、それでようやく無事にソフィアから解放された。


 今は翌日の朝5時で、早起きした俺は自室のパソコンの前でこうしてアリスの配信を楽しんでいる。


 アリスは海外のVtuberなので、彼女が配信を開始するのは向こうのゴールデンタイム。しかし彼女の住む海外と日本では時差がある為、こっちでは朝の5時からとかなり早い時間帯からのスタートとなる。


 初めの頃は彼女の配信を見る為に毎日寝不足気味だった俺だが、この朝5時前に起き続ける習慣を続けていると、いつの間にか生活リズムが整ってきて今では何の寝不足も感じる事なく日々のアリスの配信を楽しむ事が出来ている。


 しかしその一方でアリスの方はいつもと違って何だか眠そうだ。


 決してあくびをしたり、実況がおぼつかなかったり、集中力が欠けているというわけではないのだが、いつもよりふんわりとした喋り方で、でもそれが可愛いとコメント欄は盛り上がっている。


 こうしてアリスが眠い理由を俺は知っている。

 アリスの中の人――ソフィアはイギリスを離れ、日本へ留学にやってきている。

 

 つまり海外で普段配信していた時間帯に合わせる為、ソフィアも朝早くから起きて配信を始めているのだ。


 故郷を離れて遠い国に来たとしても、300万人のチャンネル登録者を楽しませようと配信時間を一切変えない姿には海外トップVtuberとしての責任感とプロ意識を感じさせる。


「それに昨日身バレしたばかりだっていうのに、そういう気配も全く感じさせない。本当に凄い、アリスちゃんは凄すぎる」


 初めて出会った公園での出来事を思い出しながら、俺は彼女への尊敬の念を強めていく。もし俺が同じ立場なら普段どおりの配信なんて出来なかったはずだ。


 もしかしたら今この瞬間にも隠していた自分の素性がネット上に拡散されているかも――そんな不安を抱えながら明るく元気に配信をするなんて俺にはとてもじゃないが無理だ。


「それとも……俺の事を信用してくれてるから、なのか?」


 俺はソフィアと約束した。アリスの素性を明かす事は絶対にしないと。


 彼女はそれを信じていてくれているのか、それともその不安の色を視聴者に見せないようにしているだけなのか。


 どちらにせよ俺は彼女の秘密を守り抜こうと思っている。

 

 それと気になるのはアリスとソフィアの性格が真逆だという話。本人から聞いた話であっても、こうしてアリスの配信を見ているとやっぱりあれは嘘なんじゃないかと思ってしまう。


「まあ配信上で素を見せないなら別に俺には関係ないか」


 俺が推すのはアリスという一人のキャラクターであって中の人のソフィアではない。だから俺は今まで通りアリスを推し続ければいいだけなのだ。


 それに日常生活でソフィアと会う事もきっとないだろう。


 公園で彼女に会ったのは本当に偶然で、あんな事が二度も続いたら奇跡を飛び越えてそれはもはや運命だ。


 普通に学校へ行って、勉強して、アリスの配信を見て、そんな毎日がこれからも続いていく。だから別に中の人であるソフィアを意識する必要はない。


 そう自分に言い聞かせて、俺はいつものように朝7時まで続くアリスの配信を楽しんだ。



「今日は皆さんと同じクラスで勉強をする海外からの留学生を紹介します」


 雷が落ちたみたいだった。


 アリスの配信を見終えて、制服に着替えて、支度を済ませ、学校に来た所まではいつも通りだった。


 けれど教室に着いてから何やらクラスメイトの様子が騒がしい。


 窓際の一番後ろの自分の席に座りながら、一体彼らがどうして盛り上がっているのか聞き耳を立ててみると、新しい生徒がこのクラスに編入して来るという話だった。


 高校二年の5月半ばという中途半端な時期に珍しい事もあるものだと思っていたら、どうやらその編入してくる生徒というのは女の子らしく、しかもかなりの美少女だとか何とか。


 その噂を聞き付けた男子達は朝っぱらからテンションが高くなっているし、俺はその様子を教室の隅からぼーっと眺めていた。


(まあどんな美少女が来ようとも俺がお近づきになる事はないな)


 始業前はこうして自分の席に座ってアリスが歌う新曲で英気を養って、昼休みはアリスの過去の配信や名シーンの切り抜き動画のチェックに余念がない。帰宅してからはアリスの配信に備えて早めに就寝というのが俺の日常だ。


 もちろんそんな生活を続けていれば友達なんて出来るはずもなく、高校一年の頃から俺はずっとこのクラスでぼっちを貫いている。


 そんな俺にも一人だけ幼い頃から付き合いの続く友達と呼べる相手もいるのだが、クラスは別で基本的に絡む事はなく、たまに昼休みに一緒になるか、放課後呼び出されて面倒事に付き合わされるかのどっちかだ。


 クラスには俺と同類のVtuber好きの生徒もいるにはいるのだが、海外Vtuberの話になると『名前は知ってるけど、おれ英語わかんないからな~』と軟弱な事を言い出す始末で、結局はアリスの事を語り合える相手はいない。


 確かにアリスはチャンネル登録数300万人を超える海外トップのVtuberでその名を日本にまで轟かせているが、Vtuber発祥の地であるこの国には魅力的な人が他にも大勢いるわけで、言葉の壁を乗り越えてまで海外の子を推そうという俺のような人間は少ないのかもしれない。


 でもいつかは海外だけでなく日本でもトップの座に上り詰めて欲しいと、俺は諦めずにアリスを応援し続ける。それが俺に出来る唯一のファン活動であり、生きがいでもあるのだから。


 そんな風に考え事をしながらアリスの新曲に心を癒やされていると、いつの間にか朝のホームルームの時間になっていたようで――俺に雷が落ちてきたのはその直後であった。


「今日は皆さんと同じクラスで勉強をする海外からの留学生を紹介します」


 担任の先生が教卓の前に立ってそう告げた。


 その瞬間、俺は全身の血流が一気に加速したような感覚を覚える。


 今、先生は何と言った?

 留学生がこのクラスに来ると言ったのか?


 確かに……この辺りで外国人留学生の受け入れをしている高校は俺の通う美谷川高校くらいで、たまにそういう事がある話は入学していた時から知っていた。


 でも、まさかとは思うが、いや、そんなはずは――。


 噂通りだったとクラスメイトがざわめき始める中、俺はただ呆然とその光景を眺めていた。


 留学生であるその少女は教室の中へと足を踏み入れる。


 その佇まいには凛々しさがあり、着こなした学校の制服が、その上品で清楚な姿を更に引き立たせていた。


 彼女が一歩足を踏み出す度に、煌めく金色の長い髪はふわりふわりと揺れ動き、まるで天使の羽のように幻想的で、この世のものとは思えない程の神秘さすらある。


 彼女は教壇に立つと、透き通るような美しい碧色の双眼を真っ直ぐにクラスメイト達へ向けた。


「Nice to meet you. My name is Sophia Wattson. わたしは、ソフィア・ワットソン、です。これからよろしくおねがいます」


 たどたどしさのある日本語の挨拶と共に教室は静寂に包まれる。


 教室にいた誰もが息をするのを忘れて、無垢の天使を思わせる可憐な容姿と、天上に届く程の透き通った声に心を奪われていた。


 やがてその静寂は破られる。

 鳴り止まぬ拍手と生徒達の歓声、目を奪われる程の美少女留学生の登場に生徒達は興奮を隠しきれない様子で、けれどその拍手も歓声も、この時の俺には一切聞こえていなかった。


 目の前に広がる光景は、俺にとってあまりにも衝撃的過ぎて、心臓がバクバクと脈打ち、呼吸は荒くなり、視界がちかちかと眩む。


 そして教壇に立つ彼女も気付いた。

 澄んだ碧い瞳を何度もぱちぱちとさせて、俺のいる窓際の一番奥の席を見つめる。


 視線が重なり合った。

 俺達の瞳には互いの姿だけが映り込んでいた。


 見間違いなんかじゃない。これは夢じゃない。


「ソフィー……っ」

「Ren……!?」


 俺が助けた迷子の美少女留学生が、俺の推しであるVtuberが、俺と同じクラスにやって来た。


 それはもはや奇跡を飛び越えて運命だった。

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