第2話、迷子の美少女留学生

「Uu……Please help me . I'm lost and in trouble……」


 そんな声が聞こえて俺は読んでいたラノベから顔を上げた。


 暖かな春の日差しの差す公園のベンチで、読書をしながらのんびりとした休日を過ごしていたのだが、聞こえてきた少女の声で物語の世界から現実に引き戻される。


(英語……? 迷子になってるってどうしたんだ?)


 この公園は観光客と全く無縁の場所だ、ここで英語を聞く事はまずない。


 それが何となく気になり、俺は声の主を探すように辺りを見回す。すると少し離れた場所で困ったような表情をして立っている少女の姿を見つけた。


 年齢は俺と同じ高校一年生くらいだが、その雰囲気は明らかに日本人とは違う。


 陽光を浴びてキラキラと輝く長い金色の髪、染めているのではなく自然な色合いで、日本語ではなく英語を喋っているし、海外から来た事は間違いない。


 その少女は公園を行き交う人達へ必死に声をかけていた。さっきと同じように英語で迷子になっている事を告げるのだが、誰も少女の言葉を理解出来ず、厄介者を相手にするよう足早に立ち去っていく。


 少女は途方に暮れたようにベンチへ座り込んだ。


「Somebody ......somebody please help me.......」


『誰か、誰か助けてよ……』と弱々しく少女は呟く。


 寂しそうな表情でぼうっと空を見上げているその姿は、まるでこの世界から見放されたかのようで、顔立ちは整っているからか痛々しさがより際立って見えた。


 なぜ外国の美少女がこんな場所にいるのか、どうして迷子になっているのか、スマホで知人と連絡は取れないのか、色々と考えつつも俺は読んでいたラノベに栞を差して立ち上がる。


(放っておけないよな)


 俺の中の正義感がそう強く言っている。


 困っている少女を見捨てて本を読み続けるなんて出来るわけがなく、俺は深呼吸して気持ちを整えると意を決して少女に近付いていった。


「Are you lost? If you're in trouble, I can talk to you」

『迷子? 困っているなら相談に乗るよ』


 出来るだけ優しい声音を意識して話しかけると、少女はゆっくりと顔をこちらに向ける。


 近くで見た少女の姿に俺は思わず息を飲んだ。はっきり言ってその少女はとてつもなく可愛かった。


 煌めく金色の髪を腰まで伸ばし、長いまつ毛に縁取られた大きな碧い瞳は宝石のように綺麗だった。顔立ちは精巧に作られた人形の如く整い、高い鼻梁から続く桜色の唇はぷっくりとして艶めいている。白い肌は雪原のように透き通り、穢れを知らない無垢の天使を思わせるような雰囲気すらあった。


 金髪碧眼の美少女――この感じだとハーフでもなさそうだ。


 それから少女は俺を見つめながら、驚いたようにぱちぱちとまばたきして口を開く。


『英語……? わたしの言葉……分かるの?』

『まあちょっとだけな。それより困ってるみたいだけど大丈夫か? もし良かったら力になるけど』

 

 そう返すと少女は花が咲いたような明るい笑顔を浮かべて立ち上がる。そしてほっと落ち着いたかのように胸を撫で下ろした。


『ああ嬉しい……っ。言葉が通じなくて本当に困っていて……。でも良いの? わたし、あなたに頼っても』

『ああ、困ってる人をいたら助けてあげなさいって父さんからよく言われてるからな。だから何か困った事があれば遠慮なく言ってくれ。出来る限り協力する』


 こうして言葉が通じる相手と出会えた事がよっぽど嬉しいのか、少女は目を細めて何度も首を縦に振る。


『ありがとう。スマホの充電が切れちゃってどうしようかって困ってて、ここが何処かも分からないまま、歩いていたらこの場所に……』

『なるほど、それで道行く人に助けを求めていたのか』


 しかし日本語が話せず、周りの人も英語が分からずで途方に暮れていた。そこにちょうど英語の出来る俺がラノベを読みながら休憩していたというわけだ。


『それじゃあ、まずは自己紹介から。俺は月白 連。キミの名前は?』


 俺が名乗ると彼女はふわりとした笑みを浮かべて答える。それはまさに天使を思わせる微笑みで、見ているだけで心臓が高鳴る程の可憐さだった。


『わたしはソフィア・ワットソン。つい最近、イギリスから日本へ留学の為に引っ越してきたの。わたし以前から日本がとっても大好きで、だから今日は色々な所を見て回ろうってそう思っていたんだけど……』

『はしゃいでるうちに迷子になった、と。そういう事か』


『そうなの……はあ、わたしってば浮かれていたわ。大好きな日本の写真をスマホでたくさん撮影したり、動画を撮ったり、それを友達に自慢しようと思っていたら、いつの間にか充電が無くなっていたなんて……』

『スマホの充電が切れるのに気付かないくらい集中して撮ってたって、ソフィアさんは本当に日本が好きなんだな。そうやって俺達の国を好きになってくれる人がいてくれて嬉しいよ』


『レンは日本人なの? 凄いね、ほとんどネイティブみたいな発音よ』

『日本人だけど必死に英語の勉強をしてたんだ。だから日常会話レベルならギリギリ』


『ギリギリだなんて。そんな事ないわ、とっても聞き取りやすいもの』

『ありがとう。とりあえずソフィアさんが分かる場所にまで移動しようか、家族とか心配しているかもしれないし』

『うん、よろしくね。レン』


 ソフィアはにこりと微笑むと俺の手をそっと掴んだ。


 小さな手の優しい温もりを感じて、俺の体の奥から不思議な感情と共に熱が込み上げてくる。それに驚いてつい声を上げてしまっていた。


『ちょっ、ソフィアさんっ……!? 手を握るのはその……』

『ご、ごめんね……。でもまた迷子になってしまうのが怖くて……やっとレンみたいな言葉の通じて、頼れる人に会えて、だから、その……』


 顔を赤くして謝る彼女。潤んだ瞳で見上げる彼女は何処か弱々しくて、どれだけ寂しい想いをしたのか察するには十分過ぎた。


 大好きな日本とは言え、ここはソフィアにとって今まで足を踏み入れた事のない異国の地。頼れるスマホもバッテリーが切れて使えず、周囲の人には全く言葉が通じない。このまま自分はどうなってしまうのかと不安で仕方なかったはずだ。


 俺はソフィアを安心させようと微笑みかける。そして彼女の小さな手を優しく握り返した。


『分かった。それじゃあソフィアさんが帰れるようになるまで手を繋いでいよう、俺がついてるから大丈夫。もう何も怖い事は起きないし、俺が君を必ず元の場所に送り届けてあげるから』

『嬉しい……本当に、本当にありがとうね。レン』


 ソフィアは花のように可憐な笑顔を浮かべてこくりと首を縦に振った。嬉しげに顔を綻ばせて俺の手をぎゅっと強く握り返す。


(……可愛い)

 

 ソフィアには笑顔がよく似合う。見ているだけで守ってあげたくなるような、そんな庇護欲を掻き立てられるのだ。


 だがそれ以上に俺はソフィアの声に惹かれていた。その声を聞いているだけで心の中は幸福感で満たされていく。どうしてソフィアの声に惹かれるのか理由は分かっていた。


 初めてその声を聞いた時に感じたのは懐かしさだった。


 いつも俺がスピーカー越しに聞いていたとある女性アイドルの声にソフィアの声はとても良く似ていたのだ。


 彼女の声は透明感があって何処までも伸びていき、天上に届くほど美しく、それでいて慈愛に満ちた声。


 その声の持ち主は海外のトップVtuber――アリス・ホワイトヴェール。


 彼女は俺にとって憧れの存在で、デビュー当時からずっと推し続けていた。彼女の配信はもちろん欠かさず視聴しているし、部屋には海外から輸入して手に入れたアリスのグッズが溢れている。寝る時はアリスのASMRボイスを聞きながら眠りにつくのが日課だった。


 俺はマンションで一人暮らしをしているのだが、親からの仕送りを出来る限り節約し、残ったお金はスーパーチャットやグッズ購入の為に使ったりしている。彼女からコメントが読み上げられた時には嬉しくて涙が出た程だ。アリスは俺にとってまさしく生きる糧であり、人生そのものと言ってもいい存在。


 こうして俺が英語を話せるのは、推しのアリスが配信の時に何を喋っているのかを理解する為。翻訳済みの切り抜き動画や機械翻訳ではなく、自分の力でアリスが何を言っているのかを知りたくなったのだ。


 それからというもの、俺は夜遅くまで毎日のように英語の勉強に明け暮れた。英語を理解すればする程、アリスとの距離が近付いていくような気がしてどんどん英語の勉強にのめり込んでいく。


 その努力が実り、今となっては聞いて理解するだけではなく、こうしてソフィアと普通に会話出来るレベルにまでなっているのだから、推しへの想いの強さというのは凄まじいものだと実感する。


(それにしても、似ているな……ソフィアさんとアリスちゃんの声)


 声の質も、笑い方だってそっくりで、まさか本当に彼女がアリス・ホワイトヴェールなんじゃないかなんて思ってしまうのだが――。


(――いやいや。まさか、そんなわけないか)


 自分の妄想力の豊かさに呆れてしまう。


 チャンネル登録者数300万人を超えているアリスは海外のVtuber界隈のトップと言われる程の人気者で、その名をVtuber発祥の地である日本にまで轟かせている。そんな彼女とこんな所で出会うわけがなく、彼女は今も海外で暮らしていてバーチャルアイドルとして忙しい日々を送っているはず。


 それにアリスはソフィアと違い、もう少し幼げで柔らかな感じで喋る。本人だと決めつけるには早計過ぎるのだ。


『それじゃあ、とりあえず大通りまで連れて行くから。見覚えがある場所を見つけたら教えて欲しい』

『うん、ありがとう。頼りにしてるわ、レン』


 こうして俺は迷子の美少女留学生、ソフィアと共に行動する事になり、彼女が無事に家へ帰れる事を願いながら、手を繋いで公園を後にする。


 一見すると俺達の出会いは運命的だった。けれど俺が彼女との何かに期待する事はない。


 ソフィアの傍にいると、どうしても推しであるアリスの姿を想像してしまう。その口から紡がれる声音は、憧れの存在とあまりによく似すぎて、それが俺の心を落ち着かせなかった。


 もし本当にソフィアがアリスであったならこれ以上ない程に嬉しいが、そうでないならアリスへの憧れや今までの熱い想いを無関係なソフィアに押し付けてしまう事になる。


 無事に彼女を送り届けたら、ソフィアとの繋がりはそこまでで、それ以上の事を求めてはいけない。会えるはずのない憧れの存在に会えた気がして心が踊っているだけなんだ――俺はそう自分に言い聞かせる。


 迷子の少女と、それを助けただけの少年の、これはちょっとした不思議な出会いで、彼女との縁はこれっきりだと、俺はこの時そう思っていた。

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