第6話
「不岩さま!」
冬樹は扉の前にいた人物に思いっきり抱きついた。
「あぁ、冬樹」
抱きついてきた冬樹を優しく抱き返し、穏やかな声を出すこの男はクトーと同じような上背だった。柔和な顔つきで、髪も目も茶色い。一見すると優男風なのだが、意外と鍛えられた体をしている。
冬樹が顔を上げると、いつものように目を細めて笑う不岩の姿があって、その笑みに釣られて笑顔を零す。
「おい!フユキ!」
いい雰囲気で見詰め合う二人に、何が起こったのかわからず固まっていたクトーが声を荒げた。
「あっ!ごめん、クトー」
冬樹はクトーに謝ると不岩から離れようとする。しかし、不岩が腕を掴んだせいでクトーの元へ戻ることは出来なかった。
「これこれ、冬樹。私は君を迎えに来たんですよ?」
「え?」
「え、じゃないでしょう」
確かにそれもそうだ、と冬樹は頷く。
「いや、頷いてんじゃねぇよ!」
クトーに突っ込みを入れられて、今度はそれに頷く。
「これこれ」
今度は不岩に突っ込まれ、冬樹はどうしたものかと悩んだ。そして、とりあえず紹介しようと思い至る。
「えっと、クトー?こちらの方は不岩さまと言って……」
「いや、知ってる」
「え?」
クトーの遮りの言葉に、またも冬樹はきょとんとした。
「
「え?」
「いや、だから岩峰の……」
「フーガ?不岩さまは不岩さまだよ?」
「いやいや、だからそいつは岩峰の竜フーガだっつうの」
クトーの言葉に、冬樹は混乱の極みだった。
「クトー、冬樹を惑わさないで下さい。冬樹、私は不岩と名乗っていますが、もう一つ名前があるだけですよ」
不岩に優しくそう言われ、あぁ名前が二つあるのか。と冬樹は頷く。
「納得してんじゃねぇって」
「え?うん……?」
冬樹の様子に、クトーは盛大に肩を落とす。こういうぼけっとした所が気に入っているのだが、今の状況では困るだけだった。
「まぁいい……。とにかくフーガ、そいつを離せ。フユキはお前んとこには帰んねぇ」
「そんなことを言われても困りますねぇ?わざわざ迎えに来たと言うのに」
「てめぇの事情なんて知らねぇよ。そいつは俺んだ」
いつの間にか険悪な空気が広がっていた。
「あなたの?いいえ、冬樹は私の大切な助手です」
「はぁ?助手だぁ?」
「なんです、冬樹から聞いていなかったのですか?」
不岩に言われて、クトーはやっと気付いた。触れられる存在に出会えて、浮かれまくりとにかく快適に過ごせる環境作りにばかり囚われていた。夜は柔肌を撫でて満足し、冬樹がどういう生い立ちなのかを全く聞いていなかった。
「冬樹は近未来科学研究所の研究員なんですよ」
「近未ら……科学?ってあれか?電気ーとかテレビーとか言うやつのことか?」
「……本当に嘆かわしい。科学こそが停滞した我々竜の未来を切り開くというのに……」
ぼけっと二人の会話を聞いていた冬樹が、ここで首を傾げた。
「不岩さまは、人間ですよね?」
「いえ、違いますよ。素性を隠し人間に混じって生活しているだけです」
「人間に混じって?」
「えぇ。私は竜なんですよ。あなた方が崇めている地龍が私です」
冬樹は不岩の言葉に心底驚いた。シャラントは科学の発展に伴い、竜と呼ばれる存在たちは空想の産物であると皆が理解している。しかし、昔からの慣習で地龍信仰だけは残っているのだ。信仰対象である地龍は世界の大地を創った存在と言われ、龍であり、また神であるとされる。
「え?うそ?」
「さて、嘘と言われると困ってしまうのですが……」
「なに?おめぇいつの間に神様になったの?」
クトーが呆れた声を出した。
「まぁ、いつの間にか。それでは、帰りましょうか」
話はこれまでと、不岩が冬樹の背に手をあてて歩くよう促す。
「って、おいおいおい!何ナチュラルにフユキ連れてこうとしてんだよ!」
「言ったでしょう?冬樹は私の助手なんですから、連れて帰るに決まっています」
「だから、フユキは俺んだっつーの!俺の妻になったんだよ!」
クトーの言葉に、飄々としていた不岩の表情が歪んだ。
「あなたの妻?なにを馬鹿なことを言っているのですか?あなたがただの人間である冬樹に触れられる訳がないでしょう?」
「いや、触れっから」
「……まさか」
全くもってクトーの言葉を信じていないらしい不岩は、フッと笑って冬樹の背を押す。
「あの……不岩さま?」
冬樹は二人の会話のテンポについていけないでいたが、帰ることを促されてやっと声を出すことが出来た。
「はい、何でしょう?」
「研究はどうなりましたか?」
何故かこの地に飛ばされてしまったが、その前日まで冬樹はある一大プロジェクトに参加していた。
それは、食物の遺伝子配列を組み換え、より多く実りより大振りな実をつけるようにするための、つまりは品種改良なのだが……配列の組み換えをコンピューターを用いて演算し、出来た遺伝子情報をピットと呼ばれる機器の中に配列変換したい食物の苗木を入れ、強制的に変換させるというものだった。
「そうですね、まだ発育させている段階ですが、概ね成功と言ってよさそうです」
「そうですか…よかった」
結果が気になっていたので、『概ね』であれ成功したなら嬉しく思えた。
「元々、我々竜が竜以外を伴侶にしたいと望んだ時、伴侶の体を自分と同じ竜に組み換える技術を応用したものですからね。大きな失敗は無いと思っていました」
「……は?そんなこと出来んのか……?」
驚いたクトーに、不岩がきょとんとする。
「……そう言えばあなたは仲間内でも避けられてましたものねぇ。知らないのも尤もです」
悪気は無いらしいのだが、どうも昔から不岩の物言いはクトーの癇に障る。
「わぁるかったな!俺が近づくだけで暑さにみんなバテちまうんだからしょうがねぇだろ!」
短時間なら自分の熱気を抑えることが出来るが、長時間――二日、三日――ともなるとさすがに疲れてしまう。元々竜は単体で生活しているし、たまに集まって近況を伝え合ったりする程度なので、交流は少なかった。
「いいでしょう、教えて差し上げます。なに、簡単なことですよ。伴侶とする者と体を重ねればいいのです。気の奔流が相手の体を巡り、徐々に体を作り変えていきます。まぁ、気を分け与えることになるので与えたほうの竜は力が落ちてしまいますが、生涯共にいる者が出来上がるのですから、それもやむを得ないでしょう」
「ってー…ことはつまり……」
クトーがちらりと冬樹を見る。
冬樹はクトーの眼差しが意味するものを読み取ってほんのり顔を赤らめた。
「……ん?なんでしょう、なんだか好ましくない空気が漂っている気がするのですが……」
見詰め合う二人に、不岩が顔を顰める。
「冬樹?冬樹?まさか、あなたクトーのことが……」
目の前で手を振られ、ハッと気付いた冬樹が不岩の問いかけの意味を理解して恥ずかしそうに俯いた。
たった十日しか一緒に居なかったが、顔の割りに純情で冬樹のことを可愛がりたくてしょうがないと言う風に接してくるクトーを好ましく思い始めていた。愛されれば、愛したくもなる。けれど、それだけではなくて、時に真剣に時に楽しげに物作りをしているクトーの姿をかっこいいと思っていたのだ。
「いけません。それは困ります。非常に困ります」
飄々としていた不岩が焦りを見せる。ガシリと冬樹の肩を掴んで視線を合わせた。
「ダメですよ、冬樹。だって…私はこの実験が成功したら……」
言わんとした言葉を察して、クトーが割り込む。不岩から隠すように冬樹を抱きしめた。
「クトー!」
不岩は柄にも無く取り乱した。冬樹がクトーの鱗で出来た服を着ているのはわかっていた。だから触れても直ぐに熱は伝わらないのだろう事もわかった。しかしクトーの素手が、冬樹の顔に触れている。焼け爛れてしまうと、
「うっせぇ。言ったろ?普通に触れんだよ」
クトーが冬樹の顔だけでなく、手袋を外させ手を撫でるように触れる。しかし、不岩が想像したように焼け爛れることは無い。
「……まさか…?…まさか!」
最初の言葉はクトーが触れても平気だと言う事実への驚きから出た。二回目の言葉は、冬樹の体に起きたのであろう事実を思い至って出た。
遺伝子組み換え実験は、竜の生態を元に考えて作られている。その際、不岩は己の気を流動させ、それがどのように動くのか一人で実験をしていた。竜の気を食物へ移すことで、どのような変化が現れるのかを調べていたのだ。大地の気質を持つ不岩だからこそ出来ることだったのだが、実験で使った食物はいつも調理して自分で食べていた。
一人でご飯は寂しいですよね?と冬樹に声を掛けられ、冬樹も一緒に食べるようになった。食物に移した気は調理する頃には抜け出て不岩へと戻っていたので問題は無いと思っていたが、食物の気が変質していたのだろう。少量ずつ冬樹の体に溜まり、その体を
「なんだ?」
「……はぁ…」
不岩は沈む気持ちをため息に乗せた。
劫火の竜は火竜から生まれる。しかし、劫火の竜を生んだ火竜であっても劫火の竜に触れることは出来ない。どんな種族であれそうなのだが、唯一の例外が土竜の中で生まれてくるのも稀な岩峰の竜なのだ。
クトーは己の性質から、他者を避ける傾向にあるが不岩だけは別だった。若い頃はクトーも雪山に篭っていなかったのでそれなりに不岩と交流があったのだ。いや、不岩は一方的にクトーのことを友と思っていた。
だからこそ、遺伝子組み換えの実験に精を出していたのだ。
竜は、伴侶としたい者が同族で無かった場合、己の気を注ぐことで伴侶の体を己と同じものに変えることが出来る。全ての竜がそう出来るのに、唯一それが叶わない者がいた。それが劫火の竜だ。
劫火の竜は触れるモノ全てを灰塵と帰す。だからこそ、伴侶にしたいものに巡り合えたとして、気を注ぐことが出来ないのだ。
だから、まずは食物の遺伝子組み換え、次は動物、そしていつかクトーに最愛の人が現れたとき協力出来ればと思っていたのに、気付かぬ内に成功していたとは。
そして、知らぬうちに披見体となってしまっていたのは、大切な大切な己の助手だった。
突然消えた冬樹の気を必死で辿り、やっと見つけたと思えばクトーとなにやらいい雰囲気になっている。
「…はぁ……は、はは……」
乾いた笑いが漏れる。
そして、沸々とどこにぶつけたらいいのかわからぬ苛立ちと悲しみが湧き出た。
「おい、大丈夫か?フーガ?」
クトーが抱き寄せていた冬樹から離れ、不岩の顔を覗き込む。
「……はは、ははは……。あのですね、クトー?」
「…なんだ?」
いつもと違う不岩の様子に、クトーは訝しげにしながらも律儀に答える。
「……一発…いえ、満足がいくまで殴らせて下さい」
「……あぁ!?」
驚いて声を上げるのと同時に不岩の拳が飛び込んできた。咄嗟に身を捻り避けたがすぐに第二波が飛んでくる。それを手の平で受け止めるが、勢いに圧され地面に倒れた。
訳も分からず不岩から繰り出される拳を避けたり受け流したりしていたが、不岩の気持ちがわからない以上、理不尽な行為に怒りが芽生えクトーもついに応戦の構えになる。
ゴロゴロと互いに転がりながら拳を交えるうちに、理性の糸がブツリと切れた。
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