好きな人

 僕の通う私立加茂ヶ崎高校は、最寄り駅から二つ先の駅の近くにあるスポーツで有名な高校だった。


 スポーツ校にいるからと言って、僕がスポーツにおいて素晴らしい実績を残しているかどうかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。


 入学を決めたのには、実はとても不純な動機があるのだ。まあ、その理由をあえて誰かに語りはしないのだが。


 いつものように各駅停車の電車に揺られ、二駅目で降りる。それから改札に向かって歩いていると、背後から快活な声が聞こえた。


「おーい、速水くーん!」


 聞き覚えのあるその声に僕は振り返る。ポニーテールを左右に揺らしながら、笑顔でこちらに駆けてくる女子生徒――彌富やとみ華弥かやの姿を認め、僕の口角は自然と上がっていた。


「お、おはよ」


 そんな自分のぎこちない声掛けにやや不安を感じたが、彌富は笑顔のままだった。


「うん、おはよう」


 追いついてきた彌富は、そのまま僕の隣に立つ。


 それから僕と彌富は改札にICカードをかざし、そろって改札を出た。


 駅舎から出ると、暖かい陽射しと少しだけ冷たい風が頬に触れる。視線の先には同じ制服を着た生徒たちが、同じ方向を見ながら歩いている姿をあった。


 どことなく明るい表情に見える生徒たち。きっと春の陽気がそうさせているのかもしれない。春は新しいものとの出会いが多いため、期待も膨らむのだろう。


 僕たちもそんな生徒たちと同じ方向を向いて歩き出した。


「そういえば、今日は朝練ないのか?」


 隣を歩く彌富に目をやり、僕は尋ねる。


「うん! 始業式だからね」と彌富もこちらを向いた。


「へえ。スポーツ校と言えど、さすがに学校行事には従順なわけだ」


「うちの部活はね。でも、野球部とかサッカー部はいつも通りらしいよ」


「そりゃ、大変だ」


 野球部やサッカー部はこの地区ではかなりの強豪で、テスト週間や年間行事のある日でも特例で練習があったりするんだとか。


 そして彌富の所属するソフトテニス部は強豪ではないものの、練習はそれなりに厳しいらしい。


 ここまで真面目に彌富の話を聞いていたが、実はそんなにその話の内容自体に興味はなかった。彌富と話せることがただ嬉しかっただけなのだ。


「そういえば、今日クラス発表だねー」


「ああ」


「今年は同じクラスだといいね!」


 思いがけないその言葉に、驚いてハッと彌富の顔を見る。すると彌富は満面の笑みをしていた。


 もしかして、今のは本心で言ってくれたのだろうか。


「そうだな」


 そうあってほしいと僕が一番願っているはずなのに、彌富から言われた言葉に狼狽していたせいでつい平坦な口調で答えてしまう。


「あ、そうだ! 速水君に――」


 彌富が何かを言いかけた時、


「華弥~!」


 と背後から女子生徒の声が聞こえ、彌富と僕は同時に振り返った。どうやら彼女と同じソフトテニス部員が、彌富を呼んでいるようだ。


「おはよー」


 それから彌富は顔の前で手を縦に上げると、「ごめんね」と言ってその女子生徒の元へと向かった。


「そういえば、彌富はさっき何を――まあ、いつか話してくれるだろう」


 後方へかけていった彌富を見るために、顔だけで振り返る。

 彌富は呼ばれた女子生徒たちと楽しそうに談笑をしているようだった。


「一緒に学校までは行きたかったけど、こればっかりは仕方がないよな」


 僕は視線を前方に戻し、校舎を目指して再び歩みを進めた。そして先ほどまで彌富がいた場所にそれとなく目を向け、彌富の面影を探す。


 彌富華弥は人気者である。明るく人懐っこい性格で運動神経も良く、人望も厚い。そしてルックスは悪くない――というかかなりいい方だと思う。


 制服越しではあるけれど、くびれも綺麗だし、スカートから伸びる両足は程よい筋肉がつき、細すぎずふと過ぎない健康さがある。


 笑った顔は大変に可憐で、ひとたび見れば目を離すことも憚られるほど――他にも上げてみればきりがないほどに素晴らしい女子なのだ。


 彼女をここまで褒めちぎるのにはわけがある。そう、僕は彼女に惚れているのだ。中学生の時からずっと。


 つまり僕がわざわざスポーツ校に進学した理由は、そういう理由があるということだ。


 彼女と同じ高校に通いたいがために自分とは無縁のスポーツ校を一般受験し、今でも部活に入ることなく(一年生の三カ月間だけ、文芸部には所属していた)、とてもバラ色とは言えない可哀そうな高校生活を送っている。


 人気者の彼女と僕が不釣り合いなのは分かっているが、一縷の望みは捨てたくはない。もしかしたら、何かの奇跡で――なんてこともあるかもしれないじゃないか。


 そんなことを思っているうちに、校門へ向かう緩やかな長い坂の前に着いた。

 

 思わず嘆息すると、その坂を睨みつける。そして覚悟を決めるように肩に掛けた学生かばんの取っ手を掴み、ゆっくりと上り始めた。


「去年の記録的猛暑の日。坂を上っている途中で視界が真っ暗になったんだよな」


 その時は膝に手をついて少し休憩してから上り切ったんだっけ。そんなことを思い出す。


 今の季節は何とも思わずに上っていけるこの坂も、夏場になると最悪だった。


 上り終えた後には、汗だくになり、体力をほとんど持っていかれる。伝統あるスポーツ校ということで、きっとわざとこんな坂を門の前に作ったに違いない。


 僕みたいな生徒だっているってことを少しでも考慮してもらいたいものだ。


「……春休みの間、ずっと部屋に籠っていたからかな。学期末より、確実に体力が衰えている気がする」


 息を絶え絶えに坂を上っていると、次々と後ろから来る生徒たちに抜かされていった。


 通り過ぎる度にこちらを見てコソコソ話すのはやめていただきたい。内心そんなことを思いながら、僕は緩い坂道をゆっくりと上っていった。


 坂の途中、ところどころに桜の木があり、薄ピンク色の花を綺麗に咲かせていた。風が吹くたびにさわさわと音を立て、吹雪のように花弁が散っていく。時折頬をかすめたり、髪に引っ掛かったりするのを払いながら僕は歩き続けた。


「そういえば、彌富はどこに? さっき僕の後ろに行ったはずなんだけど……」


 もしかしたら僕の知らないうちに追い抜いていったのかもしれない。弱った恥ずかしい姿を見られたと思うと、少し憂鬱になる。


 そして坂を上り始めて五分――僕にとってはその倍以上に感じられたが――白い建物が姿を現す。設置された窓から同じ紺色のブレザータイプの制服を着た男女の姿を見つけ、僕はふうっと小さく息を吐いた。


「――今日からまたこの坂を上らなきゃならないと思うと、少し憂鬱だな」


 坂の方を振り返り、肩を落とす。それからまた前を向き、建物の方へと向かって歩いていった。

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