ただいまホームカミング

 魔法陣を飛び出すと、無事に私は飛び込んだときと同じ荒れ果てた物置兼炭焼き小屋の前に出ることが出来た。目の前にはなんて事のない雑木林を背景に建つ小屋があり、空は澄み切って青い。

 先に飛び込ませた男女は力なくはあったが、久しぶりに吸っただろう新鮮な空気と風に当たったお陰で随分顔色が良くなっていた。

「外だ!」

「空が見えるわ!」

 他愛ない叫び、それも開放感に満ちた喜びの声をあげる二人を見て、私は密かに満足したわ。きっと彼ら以外にも無数の犠牲者があの神殿にはいたはずなのだ。顔も名も知らない多くの人々があそこで穢らわしい邪神とその眷属らの胃袋を満たすために貪り食われ、家族や友人たちに行方を探されているかもしれない。そんな中から、偶然とはいえ、ほんの少しでも救い出すことができたのだから。

 ちっぽけな自己満足にすぎないけれど、何も出来ないよりずっといいはずだわ。少なくとも、スプリングガルドの名前に恥じない行動だったと思いたい。

 とはいえ、それも近づいてくる集団の足音が聞こえてくると話は違ってくるわね。ここにユーガ騎士団長たちをつれてくるように少年に言い渡したことを、彼はきちんと実行してくれたのだ。

 私の姿をユーガ団長に見られるわけにはいかない。名残惜しい気持ちを感じつつも、アンリ殿下を地面に寝かせて離れた。

「キエェイ!」

 跳躍して雑木林の中へ飛び込み、枝葉の茂みの中に姿を隠す。外に出られた喜びにまだ小躍りしていた男女は、いつの間にか私の姿が見えなくなったことにようやく気づき、自分たちの保護者が忽然と消えたことで酷く慌てていた。

 けれど、まもなくユーガ団長とその一隊がリュー少年に案内されて現れて彼ら彼女ら、そして傍らに横たわるアンリ殿下を発見した。

「ややっ! そこにおられるのはアンリ殿下! それに、あなや! なんだお前たちは!」

「ひえぇっ!」

 汚れた裸体で縮こまって悲鳴を上げる男女にたいし、高圧的なユーガ団長はぐぐっと眉をつり上げつつも、彼なりの優しさを見せて言った。

「お前たち、ここにおわす貴人について何事か知っているか? であれば、かような格好について不問といたそう。誰か、身を隠すものを持って参れ!」

 ユーガ団長の部下たちが、めいめいにマントや襤褸布を引っ張り出して男女に配る。他方、ユーガ団長はアンリ殿下を抱き起こしていた。

「おお、この顔は間違いなくアンリ殿下。しっかりなされよう!」

「・・・・・・ぅぅ、・・・・・・はぁ・・・・・・ぁ」

 団長の腕の中で、ぱっちりと殿下の目が開く。赤鴇色の素敵な瞳が目の前の角張った男の顔を認めるや、びくっ、と震えた。

「わぁ! ゆ、ユーガ団長!? な、何を・・・・・・顔が近いです!」

「おお、お目覚めになられた! 殿下、お身体の具合は如何に。・・・・・・殿下はかれこれ七日もの間行方知れずだったのですぞ」

「行方知れず? ・・・・・・ああ、そうか。スケッチをしに外へ出た時から記憶がないよ。すごい、すごく、頭が重い・・・・・・何日も眠っていたみたいだ・・・・・・」

 そう言いながらアンリ殿下はゆっくりと立ち上がって見せた。恐らくご自身が言うように、何らかの薬か魔術かによって昏々と眠り続けていたに違いなく、立ち上がって見せた姿もいつも以上に頼りなさげだわ。

「酷い夢を見ていた気がするよ・・・・・・暗い暗い夢だ。タペストリで見たことのある、邪な霊や神々に取り巻かれて、じわじわと締め潰される、そんな夢だった気がする。それでも目を開ける直前まで、なにか香しい者が近くに侍っていたようにも思える。あれは邪神というより、女神のようだった・・・・・・ふぅ」

 つぶやきながら、小屋の壁に寄りかかって額を拭う殿下に、ユーガ団長は腰帯に吊っていた水筒を差しだした。

「殿下、お飲みくだされい。殿下のためにそれがしはいつも気付け薬を持っておるのです。其れをお飲みになり、今はここを離れましょうぞ」

「ああ、うん。・・・・・・ところで、ここは一体どこなんだい?」

「ここはジャーダイ伯国でござる。まぁ、まもなく元、がつくでしょうな。殿下の拐かしの主犯はかの女領主であろうと、それがしは見当をつけてございます。殿下の意向次第で、いかような拷問も施してしんぜましょうや」

「拷問!? とんでもない。何かの間違いだよ。仮に僕をさらったとしても事情があるんだろう。無用ないたぶりなぞせず、公正な審判をするように」

「おお、なんとお優しいお言葉。殿下のお心の深さにそれがしは感動しております! おおん!」

 ユーガ団長がやおら泣きはじめ、アンリ殿下は驚くやら、嬉しいやら、なんとも困っておられたわ。それでもその表情は明るい。

 私は樹上の陰から見ているにすぎないけれど、この様子ならユーガ団長に後を任せても大丈夫だろうと判断したわ。

 後ろ髪引かれるものを感じながら、私は小屋の周囲から離れた。枝葉の揺れだけがそこに残り、樹下の人たちはそこに私がいたことなど思いも寄らないでしょう。

 

 

 何度か休息を挟みながら、私は人目を避けて街道をそれつつ、スプリングガルド候国目指して走り続けた。憂いを払拭できたことで背中は軽く、飛ぶように木の上を跳ね、河を泳ぎ渡り、峠を越えた。

 次第に地勢が見慣れたものに変わると、そこはもうスプリングガルド候国だ。救国の英雄が領する土地としては驚くほど質素な土地だろうけど、私には生まれ育った大切な故郷だわ。

 領内に入ったところから、私は一層慎重な移動を心掛けた。父の作った防衛網に引っかからないためだ。不埒な侵入者だ! と勇んで捕まえたら全裸で現れた実の娘だった、では余りに申し訳ないもの。

 ようやく領主屋敷の擁する庭園に入り込んだ時にはとっぷりと陽が暮れ、屋敷の窓には灯りが光っていた。素早く壁に取り付いてみると、中で使用人たちの話す声が聞こえた。

「ウラーラお嬢様はまだ見つからないのか」

「八方手を尽くし、人を放っているのだが、まるで沙汰なしだ。侯爵閣下はなんと言っているんだ」

「何とも仰らないのだ。探すように、とは言っているが、あまり熱心ではない。まるで表向きだけのようだぞ」

「どうしたことだろう。お嬢様をあれほど愛しておられるというのに。まるで、放っておけば勝手に帰ってくるとでも言いたげな目で、今日も弓を片手にお出かけになられた。しかもまだお帰りになられてない!」

「なんということだ。たまさか旦那様まで行方不明になりはしないだろうな」

「馬鹿者! あれほどの剛の者がそんなわけないだろうが!」

 侃々諤々、主人一家が留守なために、手持ち無沙汰の使用人たちが気を揉みながら話し込んでいる。しかもどうやらお父様は外出しているらしい。

 ・・・・・・聡いお父様のこと、私が自力で脱出出来るだろう事に見当をつけておられるのだわ。私がニンジャの修練をつけていることは、間接的にでも知っているはずだから。

 さて、お父様がいないのなら、中に入るのは実にたやすいこと。壁の陰を登り、自分の部屋の窓にたどり着く。窓は内から施錠されているけれど、窓枠の隙間から聖霊銀のリボンを送り出して掛け金を外す。

「・・・・・・ただいま、と」

 床に敷かれた絨毯の上に、素足で降り立つと、ようやっと身の危険ある状況を脱し、安心安全な領域に帰ってきた事が感じられ、張りつめていた神経の糸が切れた。

「・・・・・・あ、いけない」

 うっかり床の上に転がっていると下の階から人が歩いてくるのが分かる。私は急いでクローゼットを開け、ナイトガウンを被った。

 床を伝う足音が近づき、ドアの隙間から灯りが差し込む。私は間一髪、肌に馴染んだベッドの中へ入り込んだ。

 射し込んだ光が淡く室内に広がる。ランタンを持った使用人の影が壁に伸びた。この息づかいは家宰を務めるマッキャロンだわ。

 父より一周りは年上のマッキャロンの掠れるような息づかいと共にランタンの灯りが部屋を舐めていく。ベッドの天蓋に垂れるカーテンに光が当たって、眠る格好の私の上に広がった。

「だぁれ・・・・・・?」

 私が気怠げに誰何する声を掛けて見せた途端、マッキャロンがひきつったような悲鳴を上げて、さっきまで私が転がっていた絨毯の上に腰を抜かしていた。

「ひっ! お、おじょう、様・・・・・・?」

「どうしたの・・・・・・マッキャロン。まるで幽霊でも見たみたいに、顔が真っ青よ?」

 体を起こした私を端から端まで確かめるように見ながら、老いた家宰使用人は絞り出すように言った。

「お、おお、お嬢様! お嬢様! ほ、本当に、本物のお嬢様、で、ございます、よね!?」

「・・・・・・ふふ。変なマッキャロン。当たり前でしょう? ねぇ、用事がないなら眠らせてちょうだい。話があるなら、朝日が昇ってからでもいいでしょう・・・・・・おやすみ」

 そう言って私は枕の上に頭を沈め、寝返りを打った。不審そうな家宰の唸り声が聞こえ、やがて部屋を出ていった。

 よし、まず第一関門は抜けた。夜明けと共に第二関門が始まるわ。・・・・・・ともあれ、ひとまず私は眠った。まるで何年も眠っていなかったかのように、私の意識はぷっつりと途切れ、すぐさま寝床の中に溶けた・・・・・・。

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