ここまでおいでハイドアンドシーク

 机を挟んでにらみ合い、私はさりげなく前に進み出ながら挨拶する。

「ごきげんよう、ジャーダイ伯爵。全裸で失礼しますわ」

 恭しく頭を下げる。隣部屋で化粧を直したマリンカ・ジャーダイは、手に華美な拵えの杖を握り、宝石のはまった先を突きつけていた。

「何者! ここがジャーダイ伯爵の舘と知っての狼藉か」

「失礼ですがジャーダイ女伯爵、自分が陥れようとした娘の顔形くらい、覚えておくものですよ」

「なんですって・・・・・・いえ、その赤い髪、まさか!」

 もともと険しい顔立ちであったマリンカ女史の顔が、さらに一層険しさを増して私をにらみつけた。

「ワーディンの娘! 名は確か、ウラーラ!」

「いかにも。重ねて全裸で失礼しますわ。ですが私がここにいる理由、ご存じですわね? ご自身の胸に手を当ててお考えくださいな」

「・・・・・・なんのことかしら。私は由緒ある大公家に取り入る下賤の家柄の輩を、善意から退けるよう取りはからっただけよ」

「大公の息子の婚約者にして救国の英雄の娘を拐かし、身を辱めようとした罪。いかに伯爵家といっても言い逃れは出来ませんわ。すでに貴女様が人身売買を生業とする悪党を手駒に犯行を指示したことを示す証拠はいただきました。後はこれをしかる方々に手渡せば済むこと」

「しゃあしゃあと! そんななりでこの舘から抜け出せる訳がないでしょう! 誰か! 出よ! 侵入者よ! この者を捕らえなさい!」

 マリンカ女史は杖の先の宝石を振りながらそう叫んだ。宝石はどうやらがらんどうの鐘になっているらしく、振るとガラガラと鈍く太い音が鳴った。

 鐘の音に連れられたように激しい足音がこの部屋へ向かってくるのが足先から伝わってくる。

「ほほほ。痴れ者のワーディンの娘! そんな姿で現れて。そうね、ワーディンの娘なら下々の慰みになってくれた方がありがたいわ。日々の勤めに免じて褒美をくれてやるのも貴族の度量というもの」

「勝手なことを。失礼するわ、マリンカ・ジャーダイ」

 私がそういった途端、マリンカ女史の杖先から怪しい霊光が奔り、私に向かって飛び出した。魔導衝撃波マジック・ブラスト

 私はとっさにその場でブリッジ反転して迫る霊光を回避する。胸の間を通過した魔導衝撃波が机に炸裂し、ガボンッ、と大きな音を立ててへこんだ。

 魔導衝撃波は魔術師と呼ばれる者たちの戦闘法のひとつ、威力は大小あるけれど当たれば巨大な猛獣や怪物であってもひとたまりもないわ。しかし、マリンカ女史が魔導衝撃波が出せるほどの本格的な魔術師だったなんて。

「青ざめたわね、ワーディンの娘如きには勿体ない魔導の力よ」

「なんの。これくらいは避けられますわ。では、改めて、失礼!」

 私は身を屈め、下肢に力を込める。縮めた発条ばねのように圧縮された筋肉の力を一挙に解放し、全速力で目の前のマリンカ女史めがけて飛び出した。

「きゃっ!?」

 さすがに面食らったマリンカ女史。私は彼女の一歩手前で跳躍、頭上を飛び越え、背後の壁を蹴って方向転換し、彼女の脇に開いたままの扉に飛び込む。

 脇では鏡台の傍で腰を抜かして倒れている老女がいるけど、無視して私は廊下に出た。

「捕まえなさい! 侵入者よ!」

 すかさず追いかけたマリンカ女史が叫ぶのとほぼ同時に、廊下の角を曲がって警備兵の一隊が現れた。

 私は振り返り、逃げる。男たちの怒号と女伯爵の金切り声が背中に浴びせられるわ。

「侵入者は魔女よ! 捕まえた者にはどんな褒美でも与えるわ!」

 魔女とは失礼ね。魔女じゃなくてニンジャよ。それに魔女というなら、魔法を使うマリンカ女史の方が魔女ではないかしら。

 私は追っ手を引きつけながら目の着いた先から廊下の角を曲がっていく。角を曲がりながら私は、屋根の上から天井裏へ侵入した時に発見した出入り口を探す。

 こういった大きなカントリーハウスは季節ごとに使う用具だの、幼児や老人など特定人のみが使う道具だのをしまうために、天井裏や壁裏に設けられた空間がある。そこへ出入りするための戸口は景観を損なわないように巧妙に隠されているわ。

 私はあらかじめいくつかの出入り口を見つけていた。今から使うのはそのうちの一つよ。

「いたぞー!」

 はたと、私は自分の進む先で別の警備兵の集団が待ちかまえている事に気づいた。

「これで袋のネズミね、さぁおまえたち、あの女を捕らえなさい。ワーディンの娘ですもの、多少痛めつけてもかまわないわ」

 追いついてきたマリンカ女史に追い立てられ、警備兵たちが手に棒や槍を構えてじりじりと詰め寄ってくる。

 その目には、明らかに好色な輝きがあるわ。裸の娘を見るにしては、不躾すぎるわね。ただの女ならその目に竦み上がることでしょう。でもわたしはただの女でなく、ニンジャよ。

 私は腕に巻かれたリボンを解く。振るい狙うのは、床に敷かれた毛足の長い絨毯よ。一閃された絨毯に切れ込みが走る。私が床を叩くと絨毯が浮き上がって警備兵たちの視界を遮る。

「おわーっ!?」

 男たちがたたらを踏んでひきさがった隙を突き、私は天井裏に上る梯子が隠されている隠し戸を開けて中に潜り込んだ。壁の化粧板の一枚が外れるようになっているのよ。

 絨毯が床に戻った時にはすでに私は彼らの視界からは消え去っている。薄い化粧板一枚越しに彼らとマリンカ女史の荒々しい足音が伝わってくるわ。


「どこ行ったんだ、あの裸女!?」

「煙みてぇに消えちまったぞ!?」

「さ、探すのよ! 絶対に屋敷から出してはいけないわ! 逃がしたらおまえたち全員、魔術の実験台にしてやるからね!」

「へ、へいぃぃ!」


 可哀想に、悲鳴を上げて男たちの足音が四方へ去っていくわ。そしてマリンカ女史の、神経質そうな足音が弧をその場で繰り返し聞こえるところに、別の足音が近づいてきたわ。


「まったく、一体どこに・・・・・・ああ、先生」

「お嬢様、いえ、御舘様、これは一体なんの騒ぎでしょうか!? 明日には大公様の先触れの一段が街道を抜けてこの屋敷へやってくるというのに」

「・・・・・・ルオキーノ先生、今更だけど、ワーディン、スプリングガルドの娘のウラーラは、本当に身柄を押さえてあるのよね?」

「へ? ええ、たしかに。そのように内々に連絡がありましたよ、その・・・・・・盗賊どもの頭から」

「じゃあ先生が直接確認したわけじゃないのよね」

「まぁ。私の顔を見られては、巡り巡ってお嬢様、失礼、御舘様の身柄が危うくなりますし・・・・・・あの、いったい何の話を・・・・・・?」

「・・・・・・ウラーラが逃げ出しているわ。それだけじゃなくてこの屋敷に潜んでいるのよ」

「なんと・・・・・・そんなことがあるはずがないではありませんか。お嬢様は存じない事と思いますが、あの砦を塒にしている盗賊どもは、何年も東部の諸領国で人身売買を行い、以前は邪神に組みした領主どもの手下として悪逆非道を」

「うるさいわね! とにかくあの魔女はこの屋敷にいるのよ! 先生も一刻も早くウラーラを見つけだせるよう手伝いなさい、いいわね!」

「は、はぁ。かしこまりました・・・・・・」


 困惑するルオキーノ師の声を連れながら、マリンカ女史の足音が遠ざかっていったわ。

 私は隠し通路に掛かっている梯子を上って天井裏に出る。天井裏で梁を伝いながら、私はほかの隠し戸を目指したわ。それらはこの屋敷のあちこちにあるのよ。

 これは別にこの屋敷が特別そうであるわけではない。領主のカントリーハウスやタウンハウスには、主とその一家にもしもの事があった時に身を隠したり、外へ脱出するための機構が密かに用意されているものなのよ。

 ただ、この屋敷の隠し戸はあまり手入れがされているとは言えないわ。家具や調度の奥に押し込まれて使えなくなっていたり、そもそも壊れていて出入りできなくなっていたり。

 それに外に出られるであろう戸口も、残念ながら機能していなかった。たぶん、外の庭園に散財する花壇か泉の一つに偽装されているのでしょうけど、戸口をつないでいる蝶番がさび付いて完全に固着してて、どうやっても動かせないの。

 仕方ないから、私は屋敷の天井裏に潜み、屋内の様子をじっくり観察することにした。

 私を捜して屋敷内を巡回する兵士たちの目は鋭い。正門や裏手門などには脱出をゆるさない為に一人は監視が張り付き、どの廊下も死角なく兵士が立っているわ。

 さて、すぐの脱出ができない以上、私は彼らをなんとか攪乱してやらなきゃいけない。でもそのための道具はない。あるのは、私の腕に巻いてある聖霊銀のリボンのみ。これ一つでは瞬時に数人を抹殺することはできても、屋敷の中の全員を相手取ることはできないわ。

 さて、どうしたらいいかしら、と、私は天井裏や、壁の中から屋内を覗きながら考える。マリンカ女史とルオキーノ師は、兵士たちの監督をしつつもやがて自室に戻っていったわ。気付けば既に日が暮れつつあるのね。リュー少年は無事に帰ったかしら。

 天井裏と壁の中を這い回りながら、私は一つの部屋に通じる隠し戸にたどり着き、中を探った。そこは屋敷の外れで、窓らしいものもなく、暫く人が出入りした様子もない部屋で、どうやら兵士たちもこの部屋まで見張りにはこないようだ。

 隠し戸をゆっくりと押し上げる。隙間に詰まった埃が、パキッとかすかな音を立ててこぼれ、戸口を塞ぐ化粧板が外れて落ちた。

 光源になるものが一切ない部屋は闇に沈んでいる。でも関係ないわ。ニンジャは夜目を鍛えているから。

 この部屋は狭いけど、たくさんの棚があり、火が久しく焚かれていない炉があった。棚には様々な薬草や薬剤の詰まった瓶、 没薬、乳香が並んでいるわ。なるほど、ここは蒸留室スティル・ルームね。

 蒸留室とは、本来は屋敷の主人一家や来客へ提供する酒類や薬草を作製するための部屋よ。大乱の時代は毒殺の危険を防ぐために、あるいは逆に毒殺のための毒を作るために、盛んに利用されたらしいわ。もっとも、近年は泰平になったから使われない事が多いのよね。だから大概は外から購入してきたお酒や煙草の保管室になっているんだけど。

 この蒸留室は本当に使われていないみたい。床には跡が残るくらい埃が積もっているもの。でも、私には好都合だわ。

 私は夜目で棚の薬剤を取りだし、 薬研を引っ張り出して調合を始めた・・・・・・。

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