7−2「真意」

(…いつか、言ったことがあったよな。俺とお前は同じ悪夢を抱えていると)

 

 それは、今しがた崩れていったレッドの声。


 声は聞こえるというよりは頭の中で響くようで、気づけば、粒子に触れたときに眼帯が外れてしまい、亮の右目はあらわとなっていた。


(俺たちがお前を操作しているとき。そのときには、またの記憶もお前に共有される。深淵しんえんのぞけばなんとやら…それが【亡霊ゴースト】の正体だ)


 晴れてくる視界。

 だが、そこに映るのは見覚えのある光景。


(ゆえに、はお前の根底にある恐怖もちゃあんと知っている)


 そこは、亮がかつて住んでいた父方にあたる祖父母の家。


 …机の上に並ぶのは大量のビール缶。


 壁にかけられたコルクボードには隙間なく写真が貼り付けられ、その上を赤や青のグシャグシャとした線が無造作むぞうさに書き込まれている。


 パソコンの置かれた机でスマートフォンをいじるのはギラギラとした目の男。

 男の顔を見るなり、亮は額にふつふつと汗が浮かんでくるのを感じた。


(怖いか?怖いんだろう、この男が…お前の父親である男が)


 パソコン画面には見覚えのあるソファに座る幼児の姿。


(それは俺も同じ。人間、ああなっちまったらおしまいだと思う見本だよな?)


 その言葉に、亮の胸が締め付けられるように痛み出す。


(…そう、おかしいと思っていたのよ)


 ついで、聞こえてくるのは母親の声。

 三年前の年号が入ったカレンダーの下がる、今の亮の家の台所。


 目の下にクマを浮かべ、松葉杖まつばづえをかたわらに持った母親は亮に渡された医師の診断書を広げながらプツプツとつぶやく。


(でも、分かった。私は悪くなかった。夫のことも、アナタの育て方にしても。私の責任ではなくて、本人の生まれ持った性質にして遺伝の問題で…)


 そこから続けられるのは記憶にすら残らない亮の過去に起こした問題の数々。

 それを止めどなく口にし続ける母親に、亮の心はかき乱される。


(そう…遺伝。それは家系図かけいずのどこで発現はつげんするかもわからない爆弾ばくだん


 どこからともなく聞こえるレッドの言葉。

 いつしか、狭い室内で一枚の紙を囲む男女三人の姿が見えた。


 ひとりはマイン、もう一人はアミ。だが、最後の一人はおぼろげにしか見えず、亮は彼こそがレッドではないのかと思いいたる。


(どうする?結果だと、親父の体質は遺伝するようだが)


 室内にいる二人の顔はどこか不安げではあるも、しばらく黙っていたアミは(…まあ、薄々予測はしていたけれどね)と不意に書類を手にするとビリビリと用紙を細かく引き裂く。


(調べたら、日本の場合。こうなった時点で専門機関に入れられて、所得しょとくの低い仕事にしかありつけないそうよ。でも、事前に薬を飲めば性質を抑えられるようだし…私は当初の予定通り、医者を目指すことにするわ)


 さっさと書類をゴミ箱に捨てるアミに(対した自信だな)と半ばあきれた声を出すマイン。


(まあ、私自身も薬学部の先生と話し合っていたからね)


 アミはそう言うと肩をすくめてみせる。


(人体実験とまでは言わないけれど、手に入れた新薬を私自身で試してみて、今後どうなるか治験をしてみようと思っているの)


 それに(何を?)とは、決してたずねないマインとレッド。


 アミは幼い頃からどことなく周囲から浮きがちであり、それが本人にとってのネックになっていることは家族間でも周知の事実であった。


 ついで(お前はどうする?)と不安げなレッドへと声をかけるマイン。


 まだ背の低いレッドはマインの言葉に目を泳がせると(僕は、とにかく大学に行って、社会に出てみようと思う)と口にする。


(おばあさんが社会を知るには、いろんな企業に行った方が良いって言っていたから。ともかく働いてみて、自分に合う場所があったらそこにいれば良いって)


 マインはそれに(…そうか。お前にあった居場所が見つかると良いな)と彼の頭をくしゃりとでる。


 そして、次にグシャリと音がすると、落とした段ボールを前にして呆然ぼうぜんとするレッドの姿がそこにはあった。


(何をやってる、さっさと運べよ。このノロマ!)


 倉庫と思しき車庫の中で(すみません)と謝るレッド。


 しかし、監督と思しき男は胸ぐらをつかむなり(…じゃあ、ないだろ!)と声を荒げる。


(お前のせいで、会社にどれほどの損失が出ると思っているんだ。中身の損傷そんしょうでどれほどの価値かちが消えるか、計算したことはあるのか?)


 青年時代のレッドは相手の剣幕けんまくさに(いえ…でも)と怯えたように視線をそらと男は(クソッタレ!)と彼を床に放りだし(その態度が問題なんだよ!)と大声を上げる。


(何か言いたげな顔しやがって。俺だって怒鳴どなりたくて怒鳴っているわけじゃあねえ。お前の態度が俺をイラつかせるんだ!)


 床に落ちた段ボールを指さし(さっさと棚に戻せ!)と声をあげる男。


(給料から差っ引いてやる。こんな人間、雇うんじゃあなかった!)


 去っていく男の背中。

 足を震わせつつ、段ボール箱を手にするレッド。


(俺は、やはり社会に馴染なじめない人間なんだ…)


 その背後にちらつく、失職してアルコールにおぼれた父親の影。

 重そうにダンボールを抱えながら青年時代のレッドはそうつぶやいた。


 …その影が、いつしか亮が最期に見た父親の姿へと変わる。

 医者から薬を投与され、病院の受付でぼんやりと宙空を見つめる亮の父親。


(仕事はもう無理でしょう。行政でヘルパーをつけ様子を見ることにします)


 それは、母親との離婚後。

 ひとり前の家に残ることとなった亮が見た父親の最後の姿。


(…お前は恐れていた)とささやくレッド。


(自分の抱える爆弾に怯え、父親と同じ扱いを受けることを恐れていた)


 会社を医者をたらい回しにされ、専門機関で勧められたテストを受ける亮。


 花火のシールが貼られたどこか楽しげな室内の様子とは裏腹に、冷や汗を流し問題を解くその姿は、かつて放送室で参加させられた実験のときと同様に恐怖と焦りにまみれ、手に持つペンはカタカタと震えていた。


(人に振り回され、生きることが次第に困難となっていく人生)


 医者に勧められた薬を飲み、トイレで吐く亮。


(そんな人生にお前は怯え、俺と同様に絶望していた)


 職を転々とし、アミのツテで医者から処方された薬を飲み続ける青年のレッド。


(そんな人生から逃げたくなるのも、当たり前のこと。身動きができなくなる前に、この世から消えたいという願望を人は誰しも持っているものさ)


 かなりの量の薬を手に持ち、服用しようとするレッドの手元。

 薬の空に埋もれていたスマートフォンに、一通のメールが入る。


 取り上げると送り先はマインから。


 NASAで起きた事件と人工知能となった祖母の仕事を手伝って欲しいという旨の文言が手短に書かれている。


(だったら、いっそ死ぬのも悪くないと思った。人知れない場所に飛び込んで、そこで死んでしまう人生もありかもしれないと思った…けれど)


 【ウィンチェスター】の中で呆然とするレッド。

 

 防護服に身を包み、調査用のドローンやセンサーを持つ同僚が、空間内でつぎつぎと死んでいく現場。


 彼らは誰しもが内部の物質に触れるなり、捕まり、引き裂かれ、もはや原型を留めていないものすらいた。


 そんな、彼らの粒子が人知れずレッドの体へと吸い込まれていく。


(なぜだろうか。何度その場所に行こうとも、俺だけが生き延びた)


 たった一人、虚ろな目をして【ウィンチェスター】の外へと出るレッド。

 夜の街にたたずむその瞳には、先ほど消えたメンバーの影が映り込んでいた。


(そうしているうちに、空間で体の一部を失いながらも外に出られる人間が出てくるようになった)


 足や腕を空間に取られ、レッドと共に出てくる人間。


(俺はいつしか、彼らと記憶や肉体の共有ができるようになっていた)


 レッドの無言の指示を受けながら、彼らは失った部位を空間の粒子で補填ほてんし、見えない手足は重いものや障害物をどかすなど空間の探索をする上で役立っているようにも見えた。


(だが、連中の命も長くはなかった)


 探索を繰り返すうち、体が崩れ去っていく人々。

 彼らも肉眼にすら見えない粒子となり、レッドの体へと入っていく。


(一部の連中は、自身を長生きさせることはできないかどうか、医者や研究者に頼み込むようになった)


 その先で行われた、アミや仲間の研究者による薬物実験の様子。


 レッドはガラス越しに実験に参加したアミを見るも彼女は無表情のまま室内に入るなり、仲間の研究者と共に得られた結果を電子カルテへと打ち込んでいく。


(…だが、それらの現象を止める術はないように見えた。そして連中も、自身が俺と精神的に繋がっていることを医者連中に最期まで話すことはなかった)


 繰り返される実験、量を増していく薬物。

 病院や研究所の中で苦痛が、悲鳴が、いつまでもレッドの耳へと残る。


 ある時、給湯室でひとりアミも大量の薬を服用している様子が見えた。


 ゴミ箱に大量に捨てられた薬物の空。

 そこに追加の薬を飲み、表情を無くしたアミは仲間の元へと去っていく。


(たぶん薄々うすうす勘付かんづいていたんだろう。話したところで自分たちの状況が好転するわけがないことを。でもわずかでも希望にすがりたくて実験に参加し、結果として消滅し…やはり俺だけが生き残った)


(なぜ、なんだろう?)と崩れた仲間を見下ろし、ポツリとつぶやくレッド。


(早く消えたいのに。誰よりも早くこの世界から消えたいのに。なぜか連中だけが先に消え、俺の中に記憶だけがつのっていくのか)


 実験室の中で。病棟の中で。

 苦労の末にようやく出られる空間の出口直前で。


 レッドと共に行動する仲間が空間の犠牲となり、肉体の操作はできようとも、リミットに耐えられず崩れていく。


(…意識が消える直前に俺は連中と会話をする。そのたびに俺は自分は消えたいと叫ぶのに、連中の意識ばかりが先に消えてしまう)


 粒子となっていく仲間から手を離し(…おい、頼むから)と顔を覆うレッド。


(連中は決まってこう言う。自分が生きるよりもアンタが生きていた方が良い。お前は生きるべきだと…でも、俺には連中の真意がわからない)


 【ウィンチェスター】の中で、ひとりレッドはすすり泣く。


(連中と同じ苦痛を味わっているにも関わらず、なぜ俺に生きろと言うのか。俺はこんなに苦しんでいるのに。連中ばかりが先に行くのか…わからない!)


 次々と粒子と化していく防護服の同僚たち。

 そんな中で、さめざめと泣くレッド。


(正直、耐えられなかった。これ以上、仲間の残滓ざんしを抱え込むことは限界だった。俺自身もすでに疲れ果てていた)


 覆った顔を上げるレッド。


 その顔にいくえもの他者の顔が映り込む…それは、レッドがそれだけ多くの人々の記憶を体に宿してしまったということに他ならない。


(大量の記憶を抱え、絶望し続け)


 もはや、数えることすら出来なくなった同僚の死。


(…俺は思った。すべてを壊そうと)


 【ウィンチェスター】の中で暗い目をし、やがて空間の外へと歩き出すレッド。


(自分だけが生き残ってしまうのなら、周りから壊していけば良い)


 その背後には手足をなくし、人形のようにレッドを同じ動きをする人々の群れがあった。


(俺は、空間に肉体を持っていかれた人間を自分の手足として使うことにした)


 疲れた顔で笑うレッド。

 背後の人々もレッドと全く同じ笑いを浮かべる。


(そして、俺たちは彷徨さまよう羊の群れ…【ラム】と名乗るようになった)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る