第14話 日暮れ

 一方、ステラの方では——。


 町の通りで買い物を終えた後、ステラは宿屋のカウンターに肘をついて身体を休めていた。ふぅ、と音にもならない透き通ったため息を吐いて、椅子はぎぃぎぃとそのリズムに応じている。

 すると、彼が手持ち無沙汰なのを察したのか、宿屋の女将がカウンターテーブルに一杯の水を置いた。


「全く。ここは酒場じゃないんだけどね。特別だよ」

「ありがたく頂くよ。酒場なら安酒でも注文していたんだけどね」


 ステラは微笑混じりに感謝を述べると、まるでバーボンを煽るかのようにしてその縁に口を付けた。


「ひょっとして、金がないのかい?」

「はは……ちょっと色々あってね」


 そこで思い返すのはアームルートでの日々。話せば長くなるので、色々と言葉を濁して二口目を一気に喉に通した。

 すると、グラスを置いた音と同時に、女将が否応なく茶色の液体を注いだのである。「ちょっと」と制止しようとしたが、続いて氷が放り込まれた。


「注文通りの安もんだよ」


 それは女将曰く『安物』のバーボンだった。香りはどこかで嗅いだことのある上品なもので、ステラはその心当たりから、きっと大陸中で流通している有名なブランドなのだと予想した。であれば、安物だと言えるはずがない。


「ごめんよ。さっきは冗談で言っただけで、実は俺酒を飲むような年齢じゃ……」

「なぁにおもしろくない冗談言ってるんだい」

「別に冗談じゃない。お金だって持ってないんだよ?」

「ちょっとちょっと。あたしが貧乏人から金を取るほど人情の欠けた人間に見えるかい?」

「俺がケチなだけかも」

「ケチでも貧乏人でも、子どもでも大人でも。誰だって生き残れるようにこの世界は優しくできてんだよ。ほら、ぬるくなる前に受け取っときな」


 半ば強引にグラスを押されて、仕方なく喉に放り込む。想像通りの熱さだけが残り、なんとも言えない心地を感じさせた。

 女将の言葉が脳内で反芻される。それと同時に思い出される、朝に出会ったベラ爺という老商人の言葉。


『ケチじゃ生き残れない世の中、か』


「——それじゃ、二日は住み込みで働いてもらおうかね」

「ええー!? だ、騙したな!」

「タダでやると思ったかい! ケチの上に穀潰しになっても良いのなら話は別だけどね」

「くっそぉ~……分かったよ」


 グラスに氷だけを置いて、ステラは渋々立ち上がった。




 それから時間が経ち、日暮れが近くなる。もうすぐ夜が来るのだと、西の雲が赤く告げていた。


「おばちゃ~ん! この樽ってここでいいの?」

「そうだよ。力持ちが居て助かるねぇ」

「なんたって鍛えてますから! フン!」

「……あはは、ふふふ!」


 ステラが女将の言葉通りに雑用を手伝っていると、街路から子ども達のはしゃぐ声が聞こえた。

 その中には聞き覚えのある声も混じっており、作業の手を止めてその方を見る。すると、少しして町角から飛び出してきたのは、小さな青髪の魔術師の姿だった。


「ナギ! 俺が働いてるときになに遊んでるんだよ~」

「ステラ! どうして樽を運んでるんですか。働くなんて柄にもないですね」

「柄にもないって俺をなんだと思ってるのさ……って、そういうナギは——」

「とおりゃーっ!」


 ステラが訊ねようとすると、同じく角から子ども達が現れ、ナギに抱き着くようにして飛び掛かった。

 二人、三人と続々子ども達が飛び出して集まったかと思うと、ステラの存在に気付いた彼らは忙しなくナギの背中に隠れた。相変わらず、ステラの図体に距離感を作っているようだ。


「あはは……さっきまでこの子の勉強を見てたんですけど、いつの間にか子ども達が集まってきちゃって。今は一緒に遊んでたところです」


 ナギの影から、『神学超大全』と題されたぶ厚い本を大事そうに抱えた少年が顔を出した。続いて、二人、三人と子ども達がステラの様子を窺う。


「髪の毛長ーい! 男なのに」

「背が高い!」

「ヘン!」

「へ、ヘンとはなんだ、ヘンとは!」


 口々に言った子ども達に対し、ステラはがおーっ、とわざとらしく威嚇した。子ども達は楽しそうにはしゃいで逃げ回る。すると、その声を耳にした女将が宿の裏口を勢いよく開けて現れ、ステラに向かって声を荒げた。


「旅人さん! 仕事は終わったのかい!?」

「うげ……」

「あ! もしかしてお金が無くて働いてるんですか?」

「節約だよ節約。それに、この町のことについて色々聞きたかった所だしさ」

「……それって、まさか魔術師のことについて聞くつもりですか」

「まぁ、ゆくゆくはね」

「聞くのはいいですけど、あんまり踏み込み過ぎないようにしましょうね。アームルートでも聞いたと思いますけど、魔術師は世間一般ではあまり好かれない人間ばかりです。それに、ここは小さいながらも工場町ですからね。さっきも言った通り少なからず因縁みたいなものはありますよ」

「大丈夫大丈夫! そう何度もは踏まないさ!」


 ナギは尚も不安げな様子だったが、そんな中でも子ども達は退屈そうに服の袖を引っ張るので、再び意気込んで子ども達の相手に戻ったのだった。

 別れ際、ステラがナギを見送ってしみじみとしていると宿屋の女将が背後から話しかけてきた。


「旅人さん。今日のところはこのくらいで終わりにしな。後は休んでいいよ」

「ほんと? まだそんなに時間も経ってないけど……」

「そろそろ日暮れだからね。少ししたら連れの坊やを呼んで帰ってきなよ。——ああ。それまで暇なら、丘の上の工場を見学していくといい。あそこはオルディンガータウンの名所だからね」

「名所……ってことは結構歴史も古かったりするのかな」

「そうだねえ。それでも竣工を迎えたのはちょっと前だから……1950年頃だったかね」

「ってことは、もう五十年も前になるのか」


 その工場の様相からは、半世紀の歳月は感じられない。新築とまでは言えないが、苔やツタ一つ見えないそのレンガの壁には少しばかりの新しさを感じる。しかし、そうしてステラが思ったままの疑問を零した時、女将が突如ぎこちなく言葉を発した。


「ご、五十年……?」

「え?」


 ステラは差引きの計算でも間違えたのかときょとんとしていたが、その様子はそれどころではなかった。


「おばちゃん、俺何かおかしなこと言った?」

「——ああ、連れを呼ぶまで暇なら、丘上の工場見学でもしていくといいよ。あそこはオルディンガータウンの名所だからねえ!」

「なっ……!」

「ほら、仕事は終わりだよ。うちは晩飯は出ないからね。外で済ませてきなよ!」


 女将はまるで何事も無かったかのように、尚且つそれは昼間に見た女の奇怪な言動のように、再び同じ言葉を繰り返して会話を続けたのだ。

 違和感に胸が騒いで、鼓動が少しばかり早まった。警戒の表情を見せるステラに女将が何も気にしていない様子だったのも含めて、やはりあの時と同じだった。

 ステラは咄嗟に推理する。あの時は魔術師。そして今回は五十年。この言葉に何の関連も見出せないが、言えばこの町の人々はフリーズ。その後にまるで何事も無かったかのように振る舞い始めるのではないかと。

 幸いなことに自分達に実害はない。しかしそれらを確かめようと何度も試すのも気が引ける。それは目に前に居る一見普通の人間達が、まるで何者かに都合よく操られているように見えて仕方が無かったからだ。

 不都合な事があるからそれまでの会話がリセットされ、やり直される。ステラはそのような傲慢な気配を二度の現象から察していた。


『この町、やっぱり普通じゃない……! でも俺一人で解決できる問題じゃなさそうだ……』


 ニコニコと微笑む女将に背を向け、ステラは宿屋の裏口を開けた。


「ナギを探さなくちゃ……」

「暗いからね。足元に気を付けるんだよ~!」


 朗らかに優しい言葉が彼の背中に届く。木の扉が軋みながら閉じると、ステラは町の空気を吸った。

 辺りを一瞥してもナギは見えない。子ども達と遊んでいる声も聞こえない。よほど遠くへ行ったのだろう。

 その時。ふと、森の方から以前と同じような視線を感じた。宿屋に訪れる前にも感じたそれの正体は、この時になってもやはり分からなかった。しかし推察するならばそれはナギか、あるいはナギの側に居た子ども達のような、余所者の二人に怯える誰かなのだろう。


「怖くないよ、出ておいで」


 居場所も分からないまま声を掛けたが、返事は返ってこない。しかし、その代わりに足音や葉の擦れる音などの気配を感じることはできた。その気配は少しずつ丘を登っていき、工場の方へと向かっていく。

 赤焼けの工場を見上げ、少しの間思案した。仮にあれの正体がナギであれば追いかける意味は充分にある。もしそうでなくとも、手がかりがない今は行動することが先決だ。


「……か、懐かしいな」


 期せずして、それまで記憶の奥底に眠っていたあの声と今の状況が並んだ。先程の気配が、幼い頃の記憶と重なりかけたのだ。


『ステラ、追いかけっこしようよ』


「……はっ、まさかな」


 頭を大袈裟に振ってその疑念を忘れると、ステラはつま先を丘のてっぺんへと向ける。そして赤い工場を見上げながら、そこに続く坂道を登り始めた。

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