第5話 『霊穴』のありか

 少年殺害現場を訪ねた日から三日後、花袋は再び独歩に付き合って麹町を訪れていた。

「俺はどうして、お前と殺人現場を巡っているんだろうな……」

「僕の家賃をずいぶんと心配してくれていたから、実際に稼いで見せて安心させてやろうというわけさ」

「いやいや、そりゃ家賃のことは心配はするけど、怪奇雑誌でひと山当てようとするのは、全然安心材料にならないからな!」

 花袋の言葉を、独歩は右から左へと聞き流している。いつもそうだ。この男は、自分に都合が悪いことをさらりと流してしまうのだ。のれんに腕押し、糠に釘。

「それと、今日は殺人現場じゃない。薬屋店主の殺害現場は山の中だったからな。今日行くのは、被害者の家だ」

「いやいやいや」

 得意げに言うことではないし、どちらにしろ好んで行くような場所ではない。花袋が首を横に振りまくるのを尻目に、独歩は気にした様子でもなく、ステッキを振りながら歩いていく。

「警察には話を通してある。現場に手を触れない約束で、鍵を借りた」

「お前、そういう根回しは恐ろしいほどに得意だよな……」

 いつのまにか相手の懐に入り込んで、重要なことを聞き出したりする。独歩はそういうことがやたらと得意だ。編集者になる前は敏腕新聞記者だったというのも頷ける。

「まぁ、気楽に構えていたまえよ。できあがった本が売れれば家賃問題だって解決するとも。そのための取材さ。刺激的なものが見える可能性は高いが……」

「素で危ない橋を渡ろうとするな」

「さほど危なくはないよ。ただ、事件にどれくらい『霊穴』による怪奇が絡んでいるか知りたいだけだし、実を言うと、答えはもう八割がたわかっている」

「はぁ?」

 わかっていると。今、そう言わなかったか。

 ならばわざわざ現場に向かわなくてもいい気もするが、独歩はそれでは納得しないらしい。

「殺されたという店主の薬店へ行ってみよう。きっと『霊穴』があるぞ。家賃を賭けてもいい」

「それ、勝って得するのお前だけだろう……」

 花袋の白けた小言にもめげず、独歩は意気揚々と歩きだす。仕方なく、花袋は後を追った。

 野口が逮捕されるきっかけとなった、薬店の店主殺害。その被害者である都築富五郎の店も、麹町にあるらしい。

 野口の犯行とされる一連のできごとは、全てこの麹町界隈で起こったことなのだ。彼が全てやったとすると、近所でこれだけの事件が立て続けに起こったのによくぞ気付かれなかったものだ、と驚嘆する。

 しかし、野口は近所の評判がすこぶる良い男だった。義兄の寧斎からの覚えは悪かったものの、それでも一度は婿養子入りを許されている程度には信頼されている。

 寧斎は不治の病に侵されていたこともあり、彼の死は当初は病死と伝えられていた。野口の逮捕で、警察は寧斎の遺体を検死のために墓から掘り返すハメになったという。警察も苦労をする。

 何分か黙々と歩いた後、不意に独歩は花袋の方を振り返った。

「花袋、かなりやつれていたとはいえ、野口はなかなかの男前だっただろう?」

「ううむ、確かに何と言うか、女が好きそうな顔ではあったような。新聞には色々書き連ねられていたな。色男の大胆な犯罪……ってさ。美人の 嫁がいたのに、他の女性とも関係があったとか何とか……」

 花袋も、その辺りは新聞に書かれていたのを読んだ覚えがある。

「そこが重要さ。僕の考えを話そう、花袋」

 独歩は立ち止まり、ある『仮説』を披露した。


 野口は美丈夫として評判で、複数の女性と関係を持ち、浮名を流していた。

 それでも、寧斎の病気治療や、嫁への感染の可能性を気にしていたところを見ると、細君にはそれなりの特別な感情と執着があったに違いない。

 寧斎によって家を追い出され、しかし職も持たない彼は彼の死後も妻との復縁を許されなかった。そのため、満州で通訳の仕事を得たとうそぶき、実際満州に渡るための金を得ようと画策した。満州まで行ってしまえば、その先で通訳などしていなくても、しばらくして金を作って帰れば仕事をしてきたと胸をはれるからだろう。

 旅費を稼ぐため、都築に架空の投資話を持ち掛け、呼び出して絞殺。首つりに見せかけて樹に吊るした。これが起訴された薬屋店主殺人のあらましだ。

 野口は誠実そうな姿で、いかにも本物らしく詐称をして世の中を渡ってきたのだ。

 冤罪を受けた哀れな被害者のように振る舞っていたが、その本質は真性の詐欺師だ。悪人は、いつでも悪人のようにふるまい、悪人のような姿を持つとは限らない。

 だが、『怪奇』の前ではどんな善人も悪人も、全て等しいのである。『怪奇』は人を選ばない。性質上、負の気質を持つ者に惹かれやすくはあるが――人間の善性には、何ら影響を与えはしない。

 ふてぶてしく詐欺を繰り返し、女遊びができる精神性を持った野口男三郎は、本来ならば「怪奇に嫌われる」性質ではないだろうか。

 だから、野口本人には『怪奇』は憑かなかった。

 ――ただし、『怪奇』がすぐそばにあれば、『怪奇』に憑かれた人間に影響されれば、話は別だ。


 独歩の話を聞いて、花袋は呆然とした。

「それじゃあ、お前の考えだと、野口とは別に『怪奇』が憑いていたヤツがいるってことなのか? 大丈夫なのかよ、それは。本人に憑いてなくても、近くにいるだけでヤバいってことだろ?」

 臀肉事件が『怪奇』に関連しているとして、その影響で野口が猟奇殺人を起こしたとなれば、笑いごとではない。『怪奇』に遭遇した人間全員が、潜在的に殺人犯になる可能性を秘めているということだからだ。

 独歩は、少しの間考え込んでいた。そして、かぶりを振った。

「君、もっと人間を信用するといい。そもそも『霊穴』はそんなあちこちあるものではないだろうし、『怪奇』だって簡単に人間を殺人鬼に変えたりはしないさ。そこまで影響力が強いなら、今頃帝都は地獄絵図になっている」

「それは……そうかもだけどな」

 人間を信用していることと、『怪奇』の影響を心配することは、両立するのではないだろうか。微妙に論点をそらされた気がしないでもない。

 独歩へうろんな眼差しを向けていると、彼はふと笑って見せた。

「まぁ、すぐそこだから、とにかく僕の確認ごとに付き合ってくれまいか。僕はね、この事件を引き起こしたそもそもの原因がわかった気がするんだ」

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